299−1.古田史観など



 古田史観について、今回はご紹介したいと思います。
古田武彦先生の「古代通史」を紹介するとともに、F自身の日本古
代史観を解説したい。

 古田先生の疑問は、邪馬台国の位置はどこかということで研究し
たのが始めのようです。そして、中国の魏志倭人伝を正確に読むと
まず、邪馬台国という国ではなく、邪馬一国のことが書いてある。
その位置は、九州の福岡の近くだというのである。

 大和朝廷は、九州の今の唐津近郊から来た人たちによって、設立
させた政権で、倭国の属国であったが、倭国が白村江の戦いで敗北
したため、大和朝廷が日本と名乗って、日本を支配するようになっ
たのだと言う。7世紀終わり頃。

 17条の憲法も聖徳太子の作ではないと言う。それは、倭国の王
が作ったものであると。
 それと、日本書記は、蘇我氏の抹殺した正当化、大友皇太子の抹
殺の合理化と九州王朝がなかったことにするために、作られた歴史
書である。このため、矛盾がある。特に白村江の敗戦による混乱が
ほとんど書かれていない。

 私は、日本の古代のもう1つの研究、吉田信啓先生の「神々の遺
産」に注目している。ペトログラフである。この岩文字、超古代の
岩に書かれた文字がシュメール文字の古形であろうという。

 すると、この事実が本当であると、メソポタミア文明を作った人
が、日本から出た人となる。この発展系として、日本古代のペトロ
グラフが米国や南米でも発見しることになる。そして、日本古代の
縄文土器が、ペルーの遺跡でも出るに及んで、日本が世界の中心で
あった可能性が出てきているのです。

 この事実と、鹿島昇先生の「日本神道の謎」でユダヤの旧約聖書
と同じ儀式や習慣があると。この発展系が飛鳥昭雄の「秦氏の謎」
「神武天皇の謎」「失われたアークは伊勢神宮にあった」などの本
になっている。これが事実であると、ユダヤ人の失われた10部族
の末裔は日本人となるが、本当であろうか??

 この見解は、ユダヤ人のトケイヤさんも同じことを言っている。
もし、本当であると、日本神道は非常に古い起源になり、天皇制の
強化のため、古来の神道を天皇家が抱えることにより、日本の古来
からいる縄文人たちや、ユダヤ人たちを支配する道具としていた可
能性があるのです。天皇家は、朝鮮から来たこは、ほとんど事実で
しょうから、本来は仏教に帰依していた可能性があるため、聖徳太
子が自分の祖先が信仰していた仏教を日本にも導入しようとしたの
でしょう。

 明治以前の天皇家の寺があり、それは京都東山泉桶寺であった事
実も忘れることができないと思います。


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