293−2.知的アプローチと感覚的アプローチ



no.287-2の「知的アプローチと感覚的アプローチ」
について少しばかり物申します。

原文では、
> 知的アプローチと感覚的(感情的)アプローチ、その両方を併せ持
> ったアプローチと言うのが物事を理解、楽しむ為の方法としてある
> と思います。

> 芸術にも同じことが言えるし、仕事にもあてはまると思っています。
> しかしながら、物事によってどちらのアプローチに重きをおくかと
> いう選択が必要になり、概して知的アプローチに重きが置かれてい
> ます。

知的アプローチとは、演繹的に考え方等を進めていくことなのでし
ょうか?
感覚的(感情的)アプローチとは、直感的なものを言っているのでし
ょうか?
もしそうならば、
この感覚的なものを、知的なものに、変換していくことは可能です。
また
その変換能力を、理解力というのではないでしょうか?
その作業を、「学問をする」というのではないでしょうか?

例えば、宇宙に関する学問などは、直感に頼った推論にしか見えま
せん。
しかし、それが「正しい」というために、様々な理論や論理構成が
存在するわけです。

つまり、人は、直感的なものを頼りに論理立てて行くわけです。

例えば、ある人が、ある仕事で多大なる成功を収めたとします。
その人は、「感覚的に仕事をこなしただけだ」というかもしれません。

彼が、その成功に関する分析(論理構成)を行ったかどうかで、今
後が別れると思います。

成功する分析を行うことで、成功する仕事をこなすことが出来ます。
つまり、必ず勝つ「いくさ(戦)」にしか出陣しない、ということ
です。

私は、そのようなことは、可能だと思います。

大きな冒険(直感的要素)は少ないだけ良いとおもいます。
しかし、上述したように、論理立てるとき、常に直感的要素(個人
的性格がかなり色濃く反映される)がはらんでいます。

後、
芸術作品の鑑賞ですが、恐らく2つの鑑賞方法が存在すると思います。

1つ目は、「非日常的要素をそこに見出す」
2つ目は、「自分の経験的見地から見る」

「自分の経験的見地から見る」ということは、己の純粋な経験だけで
はなく、作品の背景、作者の背景、時代背景等を交えた鑑賞方法です。
そのことにより、作者がどのような時に、どのような心情を持ち、
その作品を創作したかを推論することが出来ます。

1つ目も2つ目も、感情的要素は存在します。
1つ目は、「非日常的要素をそこに見出す」こと自体が感情的なも
     のです。
2つ目は、推論の結果見えてくるものに対し抱く感情です。

以上です。

TAKAHASHI 

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