290−1.宮崎「西アジア遊記」について



NO.285−1に対して、
 ken 
 得丸さん、妙なところで(?)またお目にかかります。国際戦略
コラムの編集者から投稿方法を聞きましたが、少々複雑過ぎてまだ
釈然としませんので、取りあえずこのBBSを借りてコメントさせ
て戴きます。 

家内がずっと以前から宮崎先生の大ファンで、いま念のため彼女の
書棚から中公文庫の「西アジア遊記」を取出してみたら1986年買入
になっていました。宮崎先生のものがなぜ面白いかについて、彼女
と数回議論したことがあります。ぼくの結論は「講談調で、グジグ
ジせずにスパッと言いきり、痛快」だからデス。 ジャ、なぜ他の
歴史学者もそういう書き方をしないかとなれば、持って回った学者
風の文章にしないと立派な文献として見てもらえないのではないか
という危惧を、おおかたの学者たちが抱いているから。「どこから
なりとかかって来い、受けて立つぞ」という自信と気概が宮崎先生
にあったればこそああした胸のすくような文体になった、とボクは
思っています。

学界からの反論やコメントが殆どないのは、いまだに「歴史は科学
か」というゴールドマン以来の疑問が割りきれず、「無い文字でも
読みきろう」というような宮崎流にはついて行けないからで、それ
は「今西進化論」がいまなお否定もされず公認もされてない生物学
界と似ている、と思います。 けど、ちまたでは大いに読んでいま
すよ。とりわけ、ボクの周辺などには宮崎ファンがうようよデス。
 得丸さん、安心してください。 

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