287−3.保守とは何か



 9月5日付のメール、279-2読者の声に掲載されている主要論文
の中で、特に「保守の構造」が気にかかり、拝読しました。
 貴殿が、その中で気鋭の保守思想家 西部 邁氏を上げられたと
き、感嘆たる思いでした。
 私は、まだ19歳ですが、小林よしのり氏の『戦争論』(1998年)
を拝読してから保守思想へ傾倒し始め、ついに西部邁氏へとたどり
着きました。西部氏の著作は、出版されているものは全て取り揃え
、絶版物は、インターネットによる古本屋にて入手を続けているところです
。ただいま氏の著作物42冊を入手したところです。もちろんまだ
全てを読破していませんが。10月27日発売の、『国民の歴史』
(西尾幹ニ著)に続く第二段、『国民の道徳』(西部邁著)が待望
されます。もちろん、西部氏が主幹となっている月刊誌『発言者』
も購読しています(といっても2000年9月号から購入し始めた
のですが)。

 それでは、先日、産経新聞「アピール欄」に投稿した私見を送ら
せていただきます。なお、この私見は新聞紙上には掲載されていま
せん。


題字 「保守思想の本義」  1080字

「一億総保守化」とは何だろうか。そもそも保守とは何か。さらに
は、右翼、左翼、保守はどう異なるのか。この三角関係を日本の歴
史と伝統に照らし合わせて適切に開陳できる御仁はどの程度いらっ
しゃるのか。私は、諦観の面持ちである。
 さて、一億総保守化の保守の意味は、現状の問題に何も手を下さ
ないことを指しているようだ。この言葉には、この10年間の改革
論に対する焦りと諦めが見て取れる。政治改革(郵政省解体など)
にはじまり、経済改革(ITによる創造的破壊など)、そして昨今は
教育改革(ゆとり教育=さらなる利己主義の拡張など)が叫ばれて
いる。それはまさしく空騒ぎに終わっている。保守とは、現状の問
題に傍観することを指すものではない。それは、言葉の錯誤である
。保守とは、自国の歴史と伝統に鑑みて、そこから「歴史の英知」
をもってして問題に取り組むことである。私が主張したいテーゼは
、保守=右翼ではないということである。では、右翼、左翼とは何
か。右翼は、天皇を崇敬しているように見えるが、天皇を批判する
者を武力制圧している。天皇にとっては迷惑千万である。右翼は、
日本の歴史と伝統にはそぐわない。
左翼は、革新や進歩的ともいう。これまた、日本の歴史と伝統には
適合しない。革新の名のとおり左翼は、未来をしか見ない。これを
ポストモダン(post-modern:後現代)という。未来だけ見るのだか
ら、歴史と伝統なるものは、因習として捨てられる。ポストモダン
思想も、改革論もマルクス主義の亜種である。左翼とは、文化破壊
行為(改革論=抜本的改革)である。過去を見ることをプレモダン
(pre-modern:前現代)という。現代はモダン(modern)という。
保守とは、3者を兼ね備えることである。過去を大局的に見れない
ものに、未来の予測などできるはずもない。天秤をイメージしても
らえれば良い。中心(現代)に軸があり、左には未来が、右には過
去がある。それらをバランス良く保つ棒を精神のバランシング・バ
ー(平行棒)という。

保守の本質は平行棒である。ポストモダンばかり見ていては、バラ
ンスを崩して倒壊する。ただし、保守思想家にとっても改革は無縁
ではない。ただ唯一改革する時がある。それは「保守するための改
革」である。歴史と伝統に鑑みた改革は大賛成である。しかし、そ
の改革のスピードは漸進主義(gradualism)を要求する。性急は忌
避する。なぜなら、未来とは、現代のものが破壊されることは確実
だが、創造されるものは永遠に不確実だからである。従って、絶対
の基準や価値を求めるならば、保守思想しかありえないわけである。

図越(づごし)
所属 西村塾(西村眞悟)・日本会議・日本青年協議会

 また、8月26日付のメールにて紹介された書籍から、
「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」 副島隆彦 
講談社α文庫
「影のアメリカ」 古森義久 講談社文庫
「アメリカの経済支配者たち」 広瀬隆  集英社新書
 を購入したしました。次期熟読するつもりです。
 特に、常々、「影のアメリカ」に登場するCIA・NSAが気にかかっ
ていたので勉強させていただきます。
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(Fのコメント)
 ありがとうございます。保守主義の定義を明確化しないと、次の
政治軸が見えてこないはずです。このため、自然定主義=保守とい
う定義は重要であると考えています。
保守の構造:
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kako/hosyu.htm

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