286−2.邪馬台国論争



宮崎市定さんの本は、読んでいて、「間違ったところがどこにもな
い」という印象を持ちます。そのくらいよく勉強して考えて書いて
おられる。

でも、その内容のわりに巷の話題にならなかったのはどうしてでし
ょうか。内容がよすぎると、かえって読者がついていかないのでし
ょうか。歯がたたないというか、波長が合わないというか。

宮崎さんはどこかで、「邪馬台国の邪馬台は、ヤマトという音をあ
てたものであり、大和朝廷のほかに邪馬台国があったわけでなはい
」といった内容の見識をご披露されていました。

僕はこの見識に触れて、「そういえばその通りだ。どうしてそのよ
うな単純なことに僕は気づかないでいたのだろうか」といたく感心
したのですが、邪馬台国=九州説の学者や民間歴史家にとっては、
すべての言説を否定されることになりますから、あえて無視するの
かもしれませんね。この世の中、正しいものは却って疎んじられて
しまう傾向があります。

でも、僕はできるだけ正しいものを追求してみたいという欲求にか
られます。人から無視されても、疎んじられても、真理というもの
に忠実でありたいと思うのです。宮崎さんも恐らくそうだったと思
います。

孔子も孟子も、生前は必ずしも恵まれていなかったのだけども、ひ
たすら真理、正義、仁義に生きたからこそ、今もなお生き続けてい
るわけです。論語や孟子を読むという行為は、自らを孤立させるこ
とにもつながりかねないという厳しさをはらんでいますが、その一
方で、時代を超えて真理を求める輩が他にもたくさんいる(いた)
ということを確かめさせてくれるので、心が安らぎます。

得丸久文

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MLのみなさん初めまして、logicと申します。

私は宮崎市定さんの本を読んだことがないので得丸さんが、かの本
のどこに感心しているのかわかりませんが、

> 「邪馬台国の邪馬台は、ヤマトという音をあてた
> ものであり、大和朝廷のほかに邪馬台国があったわけでなはい」

「邪馬台国の邪馬台は、ヤマトという音をあてた」というのは別に
目新しい説ではありません。以前より私も知っていましたし、私自
身「確かにそうかも」と思っています。

> その内容のわりに巷の話題にならなかったのはどうしてでしょうか。

とのことですが、宮崎市定さんの著作核心部分の「内容」が上記
引用文を指すのであれば、別段新しい説でもなく話題にならないの
ではないでしょうか。

> 邪馬台国=九州説の学者や民間歴史家にとっては、すべて
> の言説を否定されることになりますから、

というのは誤りです。「大和朝廷=邪馬台国」説で*すべての言説
を否定される*「邪馬台国=九州説」もありますが、否定されない
場合もあります。

例えば「邪馬台国東遷説」(邪馬台国は九州にあり後に大和に移動
した)などです。

> 僕はできるだけ正しいものを追求してみたいという欲求にかられます。

ということなら、

> あえて無視するのかもしれませんね。

> この世の中、正しいものは却って疎んじられてしまう傾向が
> あります。

> 内容がよすぎると、かえって読者がついていかないのでしょうか。
> 歯がたたないというか、波長が合わないというか。

> この世の中、正しいものは却って疎んじられてしまう傾向が
> あります。

といった自らの見解に合わない人を小馬鹿にするような考えは止め
た方がいいでしょう。

#ちなみに「トンでも」系の人は自らの見解が受け入れ
#られない際の正当化に上述のような思考を使います。
#「トンでも本の世界」系の本をぜひご覧ください。

何かを「正しい」と思い、それを否定するものを上述のような形
で否定する…、このような姿勢で「正しいものを追求」できよう
はずがありますまい。

得丸さんのおっしゃっていることは、自らの意見を正当→自らの
意見を認めないものを不当と捉えているようにしか思えません。
真に「正しいものを追求」したいのであれば、まず自らが正しい
のかどうかの検証をするべきでしょう。反対派と論戦するのなら
あくまでも歴史解釈、歴史的事実の検証で行うべきです。

孔子や孟子が自らの意見に合わない人に対して、上述のような理
解をしたとは到底思えません。もしそうなら孔孟の教えなど大し
たことがないのは明らかです。

これでは揚げ足取りと取られてしまうかも知れませんので私の見
解を以下に述べます。

私は「邪馬台国=大和朝廷」の東遷説派で天皇家の祖先は半島か
らの渡来人であり、「天照大神=卑弥呼」と考えています。多く
は井沢元彦氏の『逆説の日本史』に依拠しております。

私も「真理」を求めるものの一人です。従って、自らの意見に合
わないものこそ真に理解する必要があると考えています。

みなさんのご意見をお待ちしています。
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はじめまして 
 得丸さんの弁護をするわけではないですが、logicさんのご意見
はご自分でも言及しておられるように揚げ足取りのそしりを免れ
ないのではないでしょうか。得丸さんの文章を読む限り、「反対
派と論戦するのならあくまでも歴史解釈、歴史的事実の検証で行う
べき」ことを求めているとは思われません。宮崎市定氏は東洋史の
立場から日本の古代史を俯瞰した見解であろうかと思います。歴史
解釈にはともすると時代背景や研究する個人の思想や立場が左右さ
れ、事実が歪められることがしばしば見受けられます。得丸さんは
、歴史の大きな流れを概観すると、以外に単純な事実や真実が見逃
されていること、そうした事実や真実を大切にすることの必要性を
指摘しているのだと思います。その一例として宮崎市定氏の史観を
取り上げたものであり、邪馬台国論争への言及ではないと思うので
すが?

 ちなみに、井沢元彦氏の『逆説の日本史』に依拠したlogicさん
の見解も何百とある見解の中の一つに過ぎないのです。syunでした。

Syun

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