282−2.地方分権推進に覚悟はあるか



 Internet Times より              鈴鹿国際大学教授 久保憲一

 今、わが国では盛んに「地方の時代」と叫ばれ、地方分権が唱え
られている。しかし日本の地方分権要求は、アメリカに比べ、「甘
い」の一言に尽きる。

 所詮わが国のそれは「スローガン(掛け声)」としての地方の時代
にすぎず、一面的な「ヨイとこ取り」の地方分権にすぎない。つま
り「交付金などは地方に充分寄こせ、しかしその使い途については
政府は一切注文をつけるな」という厚顔な「自立しない」地方分権
の要求であり、やはりこれも戦後民主主義的発想、地方自治体の「
たかり民主主義的発想」と言えないだろうか。

 換言すると、「小遣いはたんまり寄こせ、しかしその遣い方につ
いては親に一切文句を言うな」という、子供のようなもムシの良い
考え方ではなかろうか。

 地方分権の本家と言われるアメリカは、そもそもアメリカの地方
や州はそれぞれ自立するのが本来の姿である。そしてそもそも地方
に発した「国内中心の政治」であった。外交と言えば各州間のそれ
であった。

 しかし、その後、アメリカの国際的地位の向上・影響力増大に伴
い、軍事・外交・州際通商上、どうしても連邦制を採り、連邦政府
の一層の強化を図らざるをえなくなった。もっとも多くの州は日本
の全国土よりはるかに大きい。まさに州とはステート(国家)なので
ある。

 わが国にも連邦制を、という声もあるが、その必要を私はあえて
認めない。また最近のアメリカの傾向に、ますます嵩む連邦政府の
財政負担に耐え切れず、連邦がむしろ地方や州を切り離そうという
、日本とは逆の動きが進行している。つまりアメリカの地方・州は
その名のごとく元来「自立」しているのである。

 日本の地方に交付金を拒むだけの「自立」覚悟は果たしてあるの
だろうか。

Internet Times

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6334/news/news120828/fuumon-1-120828.html

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