273−2.教育問題について



干し柿仙人です

ウォルフレン信奉者です。
日本の民主主義は未だ可能性でしかないと信じるものです。

> 最近、教育基本法を改正して日本を再生しようとする動きが政治
>に見られますが、まず、道義を忘れた連中が政界から消えてなくな
>らない限り、法律を改正しても仏作って魂がないだけですね。 
> となると、まともな政治家を選ばない選挙民がいけないのだから
>、我々が日本の未来のために居ずまいを正さなければいけないが。

この点について、日本の教育は、道徳教育が多すぎるとの批判が
特にアメリカの教育関係者から多く指摘されていますが、みなさん
はそのような指摘をどうお考えですか?

私が掴んでいる事実として以下の2点があります。
・アメリカにもタイにも家庭訪問はない。
・アメリカにもタイにも児童生徒による、教室清掃作業はない。

家庭訪問によって教育の第一当事者が親から国家に奪い取られて
いること、清掃作業によって集団主義の日本人が作られていること
が指摘されています。

このMLをご覧のみなさんの意見とは異なることを承知の上で
問題提起しておきたいとおもいました。

私の考えを押し付ける気はありませんので、皆さんのお薦めの
本、ホームページなどありましたらご紹介下さい。

追記:
禁煙を注意して歩いていると、マナーが悪いのはむしろ50歳以上の
中高年だったりします。
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(Fのコメント)
 家庭教育ができなくなったことが、大きな原因だと私は、考えて
います。教師が家庭訪問しようが、そんなの1年2回程度ですし、
掃除をやるから、こどもたちが悪くなるとは、思えない。

 戦後の教育で一番いけないのは、子供を叱らなくなったことだと
思います。皆さんは、親から叱られないで育ちませんでしたか??

この戦後教育の一番の問題は、親としての信念がない。子供の権利
だけを主張した日教組の意見を大幅に取り入れたことです。
 民主主義の基本は、責任と秩序の上での自由ですから、この自由
だけを主張して、責任やマナーについて、無視した対応が問題を大
きくしたのです。

 欧米の中流家庭以上では、私立学校に入れることが多いが、そこ
では、マナーや責任感を教えているし、家庭でも、この面での教育
をしているように感じる。
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> 戦後教育で育った親が、子供の権利を重要視して子供に我慢させる
> ことを、教えていない。

左翼の神楽坂です。
Fさんのおっしゃることも、もっともなのですが、
私は子供がまともにそだたないのは、ただ戦後教育にあるとは
思えません。
そこを批判してもっと現実を見ていないと思うのです。

私が思うに、「社会が幼稚化」しているのではないかと思います。
大人が大人の機能を果たしていないのです。

子供の教育で重要なことの一つに「叱る」ことがあります。
これができていない。
「叱る」と「怒る」を混同しています。
後者は感情の爆発でしかなく、そこに愛はなく、倫理もありません。

しかも「叱る」ことを自分の責任で行えないのです。

私はテーマパークで働いています。
そこで子供と接する事が多いのですが、子供は結構ルールを無視し
たり、利己的な行動に出たり、危険な事をします。
この時われわれは子供を叱るのではなく(あくまでお客様なので)
、その親御さんなどに注意を促してもらうのです。
すると、その親御さんたちは子供にこう言います。
「ほら、そんなことすると、あのお兄さんに叱られるよ」
何の理論も無く、ただの脅しです。しかも、叱るのは自分ではない。
私は怒っていないんだよ。という逃げの姿勢です。

大人が自分の責任で子供を叱れなくなった。
また、子供を説得するだけの倫理を持っていない。

だから、どうすればいいのか、まだ若い私には、この大人の顔をし
た子供たちの処理は分かりません。
ただ、この考えをどう思います。
                       神楽坂 紅梅
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(Fのコメント)
 今の親たちの戦後教育がダメであったから、今があるのです。
戦後、権利だけを主張した日教組やその主張を入れた政府の小役人
たちがいけないのです。このため、今の親たちは家庭教育ができな
い。子供を叱れないのです。子供は神様に近いのですから、子供の
権利は絶対ですから。そのため、子供の性格がおかしくなるのです。
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267−2の教育問題の提言に対して(BBSより)
 カモマイル
New   
  教育の場に実社会の様々な分野で活躍している人々との接点をも
うけるというのは、確かに良いことかもしれません。自分が社会の
中でどんな役割を果たせるか考えるきっかけになるかもしれないか
らです。それは生きる意欲につながるものだと思います。 

しかし、このために他の授業の時間が削られてしまうのでしょうか? 
義務教育では生きるための基本的なことだけ教えて、むずかしいこ
とはそれが必要な人だけが、さらに上の教育課程で勉強すればいい
という意見を聞いたことがあります。一理あるとは思いますが、
大学生の学力が近年低下を続けていることを考えると、高校までに
、専門知識を受け入れることができる基礎学力をつけておくことは
重要だと思います。医学部の新入生が高校で生物を勉強していない
というのは、よくないのです。 

せめて最大35人までの学級は実現しないかと思います。教師と生徒
との対応が密になることは、とにかく大事なんじゃないでしょうか。
もちろん、その質は問題なのだけれど、異分野の人を教師として採用
する案は、量の問題を質の問題にすりかえることで安くあげようっ
ていうことになりはしないかと心配です。 
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(Fのコメント)
 米国の学校教育は、米国国民として生きていける教育を、高校
まで行うことを、基本にしているようです。このため、ディベート
等が充実しているのです。日本も、もう少し詰め込み教育から、
人間としての論理力や会話力等を増強した方がいいと思う。

 なぜか、大学教育がここまで普及すると、全員のレベルが違い過
ぎるためで、高校の今の学科に付いていける人は20%程度なはず
です。すると、あとの80%の人は、遊んでいるのと同じでしょう。

 それなら、飛び級と留年を認めて、その代わり、ディベートや社会
勉強をさせることが必要でしょう。個人の能力にはレベル差があるこ
とを教育者が認めることです。教育全体が、悪平等主義だったため
おかしいことになっているのです。

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