272−3.批判・反論と誹謗・中傷



批判・反論と誹謗・中傷の違いに付いて考えを示します。
批判・反論は行うべき物であり、何事にも批判的な目で見ることは
大切であります。
しかし、誹謗・中傷は物事を歪めるだけでなく、逆に批判・反論を
呼び、意に反した内容になる可能性が高くなります。
批判・反論と誹謗・中傷の境界線はどこに有るのでしょうか?
辞書では批判・反論と誹謗・中傷を下記の様に乗っています。
(岩波国語辞典より)

ひはん【批判】
〔名・ス他〕物事のよしあしなどについて評価・判定すること。

はんろん【反論】
〔名・ス自他〕相手の議論に対して言いかえすこと。また、その議
論。「―の余地がない」

ちゅうしょう【中傷】
〔名・ス他〕根拠のないことを言い、他人の名誉を傷つけること。
「いわれなき―」

ひぼう【誹(×)謗(×)】
〔名・ス他〕そしること。悪口を言うこと。

自分への誹謗・中傷も含め批判・反論と受け止め、誠実に対応する
べきなのでしょう。
相手に対しては、根拠を示せない事や、印象や流言・飛語などを根
拠にして批判は、誹謗・中傷に成ります。

論議が感情的な状態に成った時、しばしば見かけるものであります
が、この様な内容が価値を示すことには成りません。

「某新聞社は、世の中を悪くしている。」
この内容が、誹謗中傷に成らないためには、適切な根拠が必要であ
ります。

そこであるホームページでは、毎日配られる新聞紙面から一つ一つ
批判を加えているものが有ります。
新聞紙面の中にさまざまな内容が書かれ、その中には、記者のメッ
セージも含まれているものであり、当然意見の違いは有るものであ
ります。

試みとしては良いものであり、新聞紙面の問題点は浮き彫りにして
いますが、決して某新聞社だけの問題でなく、どこの新聞社に対し
ても同じようなものは作成できます。
時間を多く使用して批判を行った割には、新聞社を叩くにはあまり
にも貧弱な内容であります。

某新聞社への誹謗中傷的な書き込みは、インターネットで探せば簡
単に見つかるものであり、ありふれた内容に成っています。
注目もされない割には、その書き込みに批判的な人間が多く、「某
新聞社潰し」vs「誹謗中傷潰し」が連日繰り返されている。
掲示板を最初に見た印象が、「なぜ?」某新聞社への誹謗中傷が多
いかに戸惑います。

某新聞社への批判する人間は多いが、誹謗中傷で止まって、結局、
意見として認められなくなっています。
先に上げたホームページに関しても、某新聞社の何が問題なのかが
分析されておらず、何の為の批判なのかが全く見えませんでした。
根拠だけでなく、批判内容の分析が行われなければ、全く意味を持
たないものに成るのでしょう。

「某新聞社潰し」が何を訴えたいのか?
「誹謗中傷潰し」へ訴えかけられる様な内容まで高められるのか?
某新聞社をどの様に成れば認めるのであろうか?

潰すを掲げる事態に無理が有り、掲げられるとしても変われと主張
するぐらいであろう。
しかし、現状では「某新聞社潰し」=「某新聞社誹謗中傷魔」と見
る向きが体勢である。

どちらにしろ、正当性を確保する為には、それなりの根拠を持って
、意見するべきであろう。
フリー
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(Fのコメント)
朝日が非難させるのは、朝日新聞の姿勢が、日本国民の立場を違う
からでしょう。北朝鮮の国交回復は、日本が原因でできないという
見出しがあって、北朝鮮の新聞のような気がしたしだいです。

 日本政府は、北朝鮮に過去の賠償はすると言っている。しかし、
それとともに、北朝鮮が行った過去の日本人拉致事件を解決する
必要もあると言っているのです。北の味方の立場は、日本人の立場
と違うのですから、それは、批判を浴びるのはしかたがないでしょ
う。日本の新聞は、日本人の立場から見る必要があるのではないで
すか。

 それでも、姿勢を変更させないなら、朝日不買運動に発展するの
ではないですか。実際、朝日と同姿勢の月刊誌「世界」等はほとん
ど売れていない。売れる雑誌は、「諸君」「正論」「SAPIO」
などです。その理由も明らかです。日本人の立場に立っているから
です。

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