得丸です。 今朝7時羽田発で東京から富山に戻ってきました。 夏姿の富士山がとてもきれいに見えました。 一方、7時のNHKニュースで、僕の郷里大分の野津 町というところで高校生が家族を刺殺したらしい報道 がありました。 昔の日本人は、雪見、月見、花見と、美しいものを 見ることによって自分の心を清めていたと言う話を かつて読みました。(荒木博之さんの講談社現代新書) 今、いろいろないたましい事件が起きていることは 事実でしょうが、それを大々的に報道することは、 私たちの心を汚しているのではないかと思いました。 美しいものを見て、心を美しくしたいものですね。 大分産の得丸です。 野津町といえば吉四六さんのとんち話を祖母から 寝物語りに聞いた記憶がある。 吉四六さんの「天登り」とか、「どっこいしょ」とか、 いろんなとんちやへま話を聞いた。 少年はどれくらい吉四六さんと親しんでいたのだろうか。 http://www.oec-net.or.jp/~nochuko2/kworld.html より 大分県の民話の代表格『野津の吉四六さん』は、 実在の人物で、本名を廣田吉右衛門といいます。 廣田家は、代々小庄屋を務め、苗字帯刀を許さ れた由緒ある家柄でした。 江戸時代初期に、現在の野津市野津町で生ま れ88歳で亡くなったといわれていますが、廣田 吉右衛門の名は代々世襲されており実に11代 目まで続いています。 果たしてとんち・奇才で有名な『吉四六さん』は 何代目の廣田吉右衛門かは、現在では明らかに されておりません。 古くからそのとんち物語が語りつがれ今なお人 気のすたれることをしらない「吉四六さん」は、そ の当時から、年貢のとりたてに苦しむ庶民の味方 になったり、つらく厳しい時代であった時も、庶民 の相談役となり、持ち前の妙智奇才で里人の難 儀を救ったと伝えられています。 現在、吉四六笑学校を開校し、吉四六話しの活 動を行っています。 ============================== ロンドンの友人からコメントをもらいました。 少年犯罪問題の責任は、各々の家庭や個人と社会(文明)の両方に あると思います。子どもは大人を見て育つのですから。家族、学校 、近所のおばさんやおじさん、雑誌、テレビ、そう言った全てのも のから大人や社会の裏表を透かし見て育つのですから。 ただし、「犯罪を冒す少年の脳の構造」については「?」ですが 、環境ホルモンは子どもの変化に関係あるかもしれません。学芸大 学附属中学から派遣され、2年間クロイドン補習校の校舎担当をし てくださった○○先生は、希望して東京都の公立中学転任され、 現在保谷の中学で教壇に立っておられますが、子どもの様子がどう もおかしく、この落ち着きの無さは別のところにあるんじゃないか と思う、とおっしゃっていました。 かつて「荒れる中学」の時代を乗り切り、あぶない思いもたくさ んしてきた先生ですが、それとは違う子どもの変化を感じ取ってい らっしゃるようです。これも怖いですね。 たしかに子供は親の背中を見て育つものですからね。 −1− 大人の生活が乱れている? 日本の大人たちは、遊びすぎだと思う。パチンコ、カラオケ、ゲー ム、ゴルフ、グーたらとテレビを見る、、、、これでは子供だって 、希望がない。 大人が勉強しない。仕事に誇りを持たない。自信がない。それが子 供に反映されているのかもしれない。 −2− 食品添加物や農薬が子供の脳を蝕む? 手抜きするために、金儲けのために、農薬、殺虫剤、防腐剤、あり とあらゆる食品添加物を使って、それを子供に食べさせてきたから 、子供がおかしくなっているのかもしれない。 雪印事件をきっかけに、食品工業のおかしいところがもっと批判さ れ、正されるかと期待していたのだが、、、、 どちらの問題も人間が行っていることだから(火山の噴火や地震と ちがって人為だから)、本当にやる気になれば改めることができる はずなのだが、、、、 得丸久文 ============================== 干し柿仙人です ニュースステーションの報道を見ていてどうしても我慢できなくな り返信します。 元メールの指摘にわたしは同意します。 確かに社会と家庭と化学物質の影響のどれも少年犯罪に影響してい ると思います。 しかし、日本のメディアの報道をみると、日本国内だけを見て、 「17歳の少年」という言葉をどのような犯罪に適用するのか定義 することなく使用し、外国から日本が常に指摘されてきた事実を見 ようとしないで、物事をうやむやにしようとしていると感じてしま うのです。 その事実とは、エドウィン・ライシャワー元駐日大使の、 「日本人の社会的協調は、弱さではなく、鍛えられた精神性の産物 である」 ということばに象徴されるものです。 自分を抑え、社会と協調するために、集団で教室の掃除をし、教育 を先生にまかせ、学校の延長で部活動を行い、年長者の理不尽な命 令にも従うことを要求する教育。 それに従うことができない者は、不登校や非行に動き。 なんとか従った者は、社会の主人公ではなく、こそこそと悪事を働 き、権力者の前でだけルールを守る(警察、先生)。 鍛えられた精神は、満員電車も単身赴任も受け入れることを意味し 、その結果、豊さを実感できない社会が実現される。 これはわたしの私見に過ぎませんが、調べれば調べるほどこの見方 が正しいようにわたしには思えてきてしようがないのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 皆さんに質問を1つ投げてみたいとおもいます。 ”教育”と”Education"とは全く異なる概念であると思いませんか? ============================== 得丸久文さん 干し柿仙人さん 私の尊敬するドイツの動物行動学者コンラート・ローレンツの 「文明化した人間の八つの大罪(思索社 1973)」を紹介させ ていただきます。自然科学の視点も必要ではないでしょうか。私自 身経済学部出身ですが、解明できない疑問点があまりに多すぎたた め、このあたりの書物を読みあさりました。 世界的にみても政策決定が自然科学的な成果を軽視しすぎている 点も原因のひとつであるように思います。 これからの国際戦略においても重要な要素になるでしょう。なぜ ならローレンツの警告がすでに現実のものとなっているからです。 もう現行のシステムは眼界に達していると思います。彼らを神格 化するつもりは毛頭ありませんが、彼らはある種被害者だと思いま す。加害者は我々自身です。 ニュースを見ていて恐ろしくなるのはこの視点が欠落しているか らです。誰も自分自身の問題だと思っていない。別の世界のことの ように論じています。そのことの方がよりグロテスクに思えてなり ません。 YS ****************************** 「文明化した人間の八つの大罪」より 第1 地上の人口過剰。多すぎる社会的な接触のために私たちは 誰もが根本的に非人間的な』方法で自らを守らざるをえな い。加えて多くの個人が(広義の意味で)せまい空間にす しづめにされていることが、直接に攻撃性を触発するよう に作用している。 第2 生活空間における自然の荒廃。私たちの住んでいる外部環 境が破壊されているだけではない。人間自身の内部でも、 人間をとりまく創造物の美しさや偉大さを畏れる気持ちが 破壊されている。 第3 人間どうしの競争。競争の結果、破壊のための技術の発達 はますますはやまり、人間は真に価値のあるあらゆるもの が見えなくなって、反省というまことに人間らしい行為に 専念する時間を奪われている。 第4 虚弱化による豊かな感性や情熱の萎縮。工学や薬学の進歩 のために、ごくわずかな不快刺激に耐えられなくなってい る。そのために障害を克服するときのきびしい苦労をつう じてしか得られない喜びを感じる人間の能力は低下してい る。 第5 遺伝的衰弱。社会が大きくなるにつれて社会的な行動規範 はますます必要になるのに、近代文明の内部には社会的な 行動規範の維持や発達に対して淘汰を加える要因はなにひ とつ存在しない。造反している現代の若者の大部分を社会 の寄生者たらしめている多くの幼児化現象がおそらく遺伝 的にきめられているということも例外ではない。 (社会環境に適応=進化?) 第6 伝統の崩壊。若い世代がもはや古い文化的伝統とうまく和 解できない。 ましてやそれと一体化することができなくなる臨界点に達 することによってひこおこされている。このような一体化 が乱れる原因は、なによりも親と子の間の接触が欠けてい るところにある。 第7 人類の教化されやすさの増加。唯一の文化集団に集中して いる人間の数の増加は、世論に干渉する技術の完成と結び ついて、人類史のいかなる時代にも見られなかった世界観 の画一化を引き起こす。世論調査や宣伝技術、それに巧み に操縦された流行は、鉄のカーテンのこちら側では大企業 、むこう側では官僚が同じように大衆を支配するのを助け ている。 第8 核兵器による人類の危機。この危機は上の7つの現象が引 き起こす危険に比べて避けやすいものである。 えせ民主主義的な教義は7番目までの人間性喪失の過程を促進 している。この教義は人間の社会的な行動や道徳的な行為が系統発 生で進化した神経系や感覚器の体制によってきまるのではなく、そ のときの文化的環境(=戦争による敗戦、占領も含む)をつうじて えられた「条件づけ」によって左右されるというものである。 ============================== YSさん、干し柿仙人さん > > 「文明化した人間の八つの大罪」より > 面白いご指摘ですね。 私は(くりかえしになりますが)こう思います。 文化(意識、心)は、個々の人間が自分の力で(勉強したり、 意識改革によって、心構えによって)変えうる。 文明は、人間が皆で心を合わせれば、変えることができる。 所詮人間がつくったものですから。 問題は、本気で変えるつもりがあるかということと、では どのような文明を構築するのが望ましいのかというところ で合意をえることではないでしょうか。 得丸