264−1.異文化と心を通わす方法



国際戦略コラムには、日本語を読めない人は参加できないですね。
日本人を相対化する視点もたまには必要と思いますので、三年前
の記事ですが、お届けします。
得丸
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フランスニュースダイジェスト 1997年11月7日号掲載
評論家 清水邦男 インタヴュー

☆★☆ 異文化と心を通わす方法 ★☆★
自分と違う価値体系に気付く
違和感を手がかりに相互理解へ

 日本では理屈をこねると嫌がられ叱られる。フランスでは筋が
通っていようがいまいが、とにかく理屈がないと始まらない。日
本では無私や無我が尊ばれるが、フランスで無私は偽善として片
付けられるか気持ち悪がられるか。たとえわがままで欲張りであ
ろうと、明確な自己主張のほうがまだしも安心される。

 こうした違いは、フランスに限らず欧米に滞在したり、欧米人
と接する機会の多い日本人がしばしば感じるもので、国民気質の
違いとして論じられるのが常だ。しかし、単に国民気質の違いと
して片付けてしまっていいものだろうか。表面的な違いでなく、
もっと深いところに相違があるのではないだろうか。

 フランス滞在中にこんなことを考えているうちに、「日本人と
西洋人の考え方の違いは、潜在意識に組み込まれた価値体系の違
いなのだ」とする、フランス滞在の長い評論家の清水邦男さんの
著書に出会った。

 潜在意識や価値体系は目に見えないし、普通に自文化の中で暮
らしている限り、その存在に気付くこともない。だから自分と違
う行動様式に出会うと、「変だ」、「信じられない」、「馬鹿げ
ている」という反応になる。その不可解な行動が、異なる土地で
長い年月かけて発展し熟成された文化システムの中では「礼儀に
かなった」、「意味のある」、「常識的な」ものだとは思い至ら
ない。文化摩擦がこうして生まれる。

 日本と西洋は価値体系が正反対であり、その違いをまず認めた
上で相互理解を深めようという清水邦男さんに、お話を伺った。
(インタヴュー構成 得丸久文)

・ 潜在意識の違い
Q 日本と西洋の文化の違いに興味を持たれたきっかけは?

清水「直接のきっかけは1980年代末の日米ならびに欧米貿易
摩擦です。興味をもつというよりも、貿易摩擦でのヨーロッパや
アメリカからの日本批判にどう対応したらよいのかという問題で
した。

 ウォルフレンら修正主義者たちによって、日本は西洋のルール
が通用しない異質な国であり、封じ込めるべきだとする議論が行
われた一方で、日本からは石原慎太郎氏の「Noといえる日本」
や、さらには「(アメリカの対日批判は)人種差別だ」という議論
にならない、感情的反発が飛び出してきました。

 私は、日本異質論に対して、西洋人のわかる論理によって噛み
合った反論をしようと思い、考えているうちに「文化の違い」と
いうものの重要性に気付いたのです。

Q文化が違うというのはどういうことですか。

清水「これは目に見えたり舌で味わうように五感で感じられるも
のではありません。また法律のように紙に書いたものがあるわけ
でもありません。潜在意識に組み込まれた生き方や考え方の根本
にかかわる価値体系の違いです。外国に住んでいても、深く付き
合わず普通に暮らしてると、違いに気づかない場合もあります。

 この価値体系はそれぞれの土地で何百年に及んで生活が営まれ
る過程で築きあげられた、内部の整合性や一貫性をもつ独立した
体系ですから、安易に異文化と折衷したり部分を改良できるもの
でもありません。

 潜在意識ですから本人ですら自覚していない場合も多く、まし
てや別の体系が存在するなど思いもよらないことです。私自身も
フランスで受けた、いわゆるカルチャーショックの中ではじめて、
自分はフランス人と違うことに気づいたのです。この違いは何だ
ろうかと考えていくうちに、自分の中にの「日本人」というもの
が次第にはっきり像を結んできました。

・ フランスは理性優位の国
Q 日本と西洋の文化は対極的である、特に日仏文化は180度
の正反対にあると言っておられますね。

清水「たとえばフランス革命の時にロベスピエールが理性を神に
したことが一時あったように、フランスは理性の優位を極限まで
推し進めた国です。

「目に見える現実に意味はなく、知的に概念化され表現されては
じめて真実が生まれる」とするソクラテスの呪縛が今でも生きて
おり、知識階級と現実との乖離(かいり)が起きました。サルト
ルらのアンガージュマン(現実社会への積極的関与)はその反動だ
ったわけですが、それにもかかわらず知識階級(指導者)と大衆と
のコミュニケーションギャップは今日でもフランスの大きな問題
です。ジュペ首相の不人気は象徴的なものでした。不人気にもか
かわらず選挙に打って出て敗北したことは、フランスにおける
「知」の問題の深刻さを示すものとして私は受け取りました。

・ 日本は無原則が支配する

Q 一方の日本は、「理屈をこねるな」、「言わぬが花」の世界
ですね

清水「日本は理性不信の極みです。本居宣長が最初に気づいたの
ですが、日本では一切の概念化に否定的であり、原理や原則をあ
えて打ち立てさせません。ただ原理化原則化しないからといって
そこに何もないわけではなく、原理原則を持たないことで言葉に
とらわれない臨機応変な対応が可能になります。このような知恵
は地震や台風といった予測が困難で一瞬の破壊力の大きな天災と
長らく付き合う中で培ったものでしょう。

Q 原則がないのでなく、「無」原則という原則があるわけです
ね。

清水「そうです。日本は今でも無原則が支配している国です。た
だ国内はそれでいいのですが、外国との交渉においては通用しま
せん。日本外交が貿易摩擦で振り回されたり湾岸戦争で醜態を演
じたのは、その例です」

Q 無原則の支配はヨーロッパ人の想像を絶するものでしょうね

清水「西洋は近代世界を植民地化し、世界中に西洋式システムを
通用させ、自分は普遍的な存在であるとずっと思ってきました。
やっと最近になって、どうもそうではないらしいと思い始めてポ
ストモダン思想が生まれたのです。

 この思想においては過去と決別するために脱構築が試みられま
すが、その作業が西洋式論理に基づいていて十分に脱構築できま
せん。そもそも自己批判だけで完全な自己改革を行うこと自体無
理な話で、異文化との対話を通じて「無」構築なり「非」構築を
目指すべきなのでしょう」

・ 違和感にこだわると生まれる関係

Q 異文化が存在することに気づくだけでも大変なのに、どうす
れば対話が成り立つのですか

清水「まず自分自身の気持ちを大切にすることです。違和感を感
じたらそれがどんなに些細であってもこだわり、一旦立ち止まっ
て「(違和感を覚えたのは)何故?」と素朴な問いを発することで
す。

 理性よりも深い無意識の次元にある価値体系の違いによって生
まれた違和感は、この問いによって初めて意識化が可能となり、
それまで絶縁していたふたつの文化の間に関係が生まれます」

Q そこから対話が始まるわけですね

清水「違和感を意識化できたら、今度はそれをできるだけ正確に、
つまり自分の気持ちにウソをついたりごまかしたりしないで表現
することです。外国人をわからせようと小細工してはいけません。
相手も同じ人間だと信じて、表現し伝えるのです。

「自分は○○の時に、△△のような変な気分がした。あなたはそ
う感じませんでしたか」といった会話がいいでしょう。

 感覚の違いとそれに対応した無意識領域の違いがあることをお
互いに知るところからコミュニケーションが始まり、それが共通
の人間としての相互理解に導きます。」

日本の文化・価値を言葉で伝える

Q 理性を軽視する日本人には大変ですね

清水「日本人には理性を働かすこと、その結果を言葉にして表現
することへの抵抗感があります。頭で理解することを何百年も否
定してきたのだからやむをえません。

 しかしながら地球上にはものごとを言葉で表現することに千年
も二千年も努力してきた人間がいることを認める必要があります。
グローバリゼーションが進むにつれて、その人たちとの出会いや
付き合いがこれまで以上に増加していくことも確かです。

 日本の文化や価値体系を意識化し言語化し、異文化に属する人
たちと対話をすることは、時にはひどく疲れますが、時には大き
な喜びも与えてくれます。

 自分を偽らずに語ることが「顔のない日本人」から脱却する道
です。日本における「個の確立」への具体的一歩になります。そ
れが対話成立の条件であることは自明でしょう。
(1997年8月9日、ニースにて)

清水邦男 評論家・ジャーナリスト、1928年生まれ、東大文
学部社会学科卒、サンケイ新聞社に入社し、社会部、外信部、サ
イゴン・パリ特派員、外信部長、編集局次長を歴任し、1983
年に二度目のパリ支局長として赴任。87年に退社して以後、パ
リを本拠に日本の新聞雑誌に辛口の原稿を発表している。

 著書「日米共同幻想論 ヨーロッパという視座からの深層分析」
1991年講談社ほか、訳書に米ソ冷戦がやらせであることをいち
早く指摘した「ウォッカ=コーラ」大手町ブックス1980年など


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