252−3.文明と文化について



『250−1・文明と文化について』について

ずいぶん以前共栄圏について、御指導いただいた事があります。
有り難うございました。
『みなさんの・・・・・』とありましたので、厚かましくも以下に
述べさせていただきます。
日向 

『-1-文明・-2-文化』について

人の生は崇高な物から低俗な物まで、本人は気づかないかもしれな
いが幅広いレベルの精神活動が存在している。
それが家族ともなれば尚いっそうのこと、生活の中には多くの活動
が混在してくる。

それらがさらに集まって、同じ言葉同じ生活様式習慣を共有する民
族の文化となる。のではないでしょうか?

そのような文化の中で優越した民族や集団の文化が他文化に浸透し
ていく、元々固有の文化であった物が他の文化に浸透したものが
文明である。と自分は考えています。

つまり、文化は特定の人々に固有の物で、文化が他の文化にまで
影響を与えるようになったのが文明と考えています。
文化と文明に本質的な違いはないと思います。

例えば
古代ギリシャはその文化が他民族へも、大きな影響を与えたので
文明と呼んでも違和感はないが。
江戸徳川の文化は日本以外に、大きな影響は与えなかったので
(ジャポニズム等はありましたが)文明と呼ぶには違和感がある。
日本文化でしょう。

つまり、法隆寺や日光も文明と呼ぶのには違和感があります。
日本文化と言うほうがシックリくると思います。
『背広やステーキは西洋文明の賜物』と言っても違和感はないので
は?(ジャポニズム以上の影響でしょう)
質的に、どちらがどうだという問題ではないと思います。

江戸時代までの江戸文化或いは日本文化は、ヨーロッパの文化を受
入れ、明治以降は西洋文明の国となった。
しかし、文化にも文明にも同じ内容が含まれるのではないでしょう
か。

西洋は自分たちの文化が文明となった、東洋は固有の文化の上に他
の文化が入ってきて、それまでとは異なった文明を受け入れた。

くどいようですが、文化は地域的固有な物、他に伝播して普遍化し
て文明となった。
日本ではかって文明が文化を変えた、西欧では文化から文明が発生
した。

三島は西欧文明から日本文化を守ると言う大義名分に殉じた。と見
ることも出来るのでは?と私は考えています
ただ抽象的な言葉を個人的にどう定義するかは
(『文明の衝突』のようにどのように定義することも)
その方の自由でしょう。

(A)/憲法については
自分は憲法は主権者と国家との契約と考えます。
故に憲法を順守するのは主権者ではなく国家です。

主権者は主権を憲法という契約によって、国家に委託する。

国家は憲法に従うことによって、主権者に代わって政治を行う。

だから単なる法(民法・刑法等)は、国会の審議だけで立法出来る
が憲法は主権者の賛成が必要なのでは?
(明治憲法の場合は天皇・現憲法は国民)

単なる法は憲法に拠って造られます。

法は主権者から憲法という契約に基づいて作成されていると言う建
て前によって、主権者である国民に対しても強制力を持つのではな
いでしょうか。

故に、法は国民が従うもの憲法は国家が従うもの、(日本国憲法に
も公務員の憲法遵守義務はあっても国民については無い)

明治憲法も同じで主権者天皇は憲法によって、政治を委託してやら
せていた。とも見れると思います。

自分は、他の国家の憲法も同じかどうか知りませんが、基本的に憲
法は主権者と国家との権力行使の委託契約という見方をしています。
ですので、憲法は主権者と国家との最高契約と考えますので、いわ
ゆる法では無い。

その国の固有の文化は反映されるでしょう。
各国毎に憲法に特色があるのは、政治的な理由だけでなく、文化を
反映しているからではないでしょうか?

蛇足かもしれませんが、上記のことから法には精神性はないが、
主権者の国家に対する考え方が反映されるので、憲法には精神性・
文化性が有るかもしれない。(当然文明の影響も有る)と考えま
す。
以上

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