236.「日本とは」・・



はじめまして。
私は駆け出しの建築家佐伯27歳さそり座でございます。
いつも楽しく拝読させていただいております。
みなさまの知識の豊富さには頭の下がるおもいです。

さて、早速本題へといかさせていただきます。

・・「日本は今世紀前半の東アジア諸国への侵略を
  除けば基本的に対外侵略的でない平和な国家」
・・「日本がもともと平和愛好民族だったからだと」・・
no.229-2より

 上記文章中の「日本」というものは、いったい何を指して使用さ
れている言葉なのでしょうか。恐らく、いわゆる悠久の歴史(千年
だか二千年)の歴史を誇る世界でも古い部類に属する「日本民族」
が生息している国といったものでしょうか。

 まずいろいろ言う前に結論から言わさせていただくと
「日本」という国は建国50年から200年くらいの国ではないか
ということです。

 我々は「日本の歴史」を幼い頃から学んでいます。戦前戦後、幕
末明治の到来、徳川、関が原、戦国、応仁、室町、足利、北条、荘
園、平安京、大和、聖徳、卑弥呼、大君、いざなぎ、天皇・・・・
 これらすべてが「日本の歴史」として我々にすりこまれてきまし
た。この歴史の云わんところを大まかにまとめるならこのようにな
るでしょう。

 「日本はその地理的特性(島国)により古来より世界にも稀な単
一民族としてその歴史を営なんでまいりました。」
といったところでしょう。

 ここでひとつ質問を提示したい。
 Q,聖徳太子は「日本人ですか」

 私の答えはNOです。理由は単純明快、まだ日本がなかったから
です。
 日本というものの規定はいろいろあるとは思うのですが、まずは
じめに現状の領土になった段階を日本誕生とするもの、次に日本と
いう国号が生まれたときを日本誕生とするもの、この二つが考えら
れます。
 前者の場合は日本の建国は数十年まえ、後者では明治初頭という
ことになります。先に挙げた日本建国に関する私の考え方はこうい
ったものです。
 次に条件として、今のヨーロッパを一つの国として捉えてよい、
ということになればいわゆる「江戸時代」というものまで「日本」
の歴史に含むことは可能だといえるかもしれません。
 ただしこの場合「日本共和国連合」の領土は現在の本州(青森あ
たりは違うかもしれません)、四国、九州であり、沖縄、北海道周
辺はその後「日本共和国」と沖縄、北海道それぞれの王国との戦争
または共和国の侵略戦争、または和平条約を経て同一の国となった
ということを考慮しておく必要があります。

 さらに時間をどんどんさかのぼりまして、聖徳太子がいたころを
考えてみます。この頃の文化圏を調べてみますと、1)シベリア半
島と北海道で一文化圏、2)東北で一文化圏、3)関東で一文化圏、
4)中部で一文化圏、5)関西四国山陽で一文化圏、6)山陰北九州朝
鮮半島で一文化圏、7)南九州で一文化圏が形成されおり、それぞ
れに王国があり「歴史」があった。
 我々が学んだ「歴史」は 5)関西四国山陽で一文化圏 の歴史に
あたります。聖徳太子はここにいました。
 彼は日本人でしょうか。今の日本に比べると 5)関西四国山陽で
一文化圏 の領土はあまりにも狭い。こう云いますと「領土が小さ
くてもべつにいいじゃないか。この領土で息づいてきた民、大和民
族が我々の祖にあたるのだから」と言われる方が多くいます。それ
の前提として当然いまの我々が大和民族であるということになりま
す。
 我々は大和民族でしょうか。確かに大和民族系というかたはいら
っしゃるとは思いますが、日本列島上には7つもの文化圏、それぞ
れに特有の民族が存在していたのです。
 我々は他の地域、朝鮮半島、中国、ヨーロッパの歴史、そしてそ
の中での様々な民族の興亡を学んできている。然るに我が足元を翻
ってみるには民族の興亡のみの字も見当たらない教科書とその異常
な歴史観に洗脳された民によって「日本がもともと平和愛好民族」
であり民族間の争い、侵略には縁のない単一の民族から成立した世
にも稀な国であることが公明盛大に語られる、そんな国なのです。

 では、なぜにこのような偏った「歴史」が生まれたのでしょう。
それは歴史学の誕生時期と関係があります。
・・・・・ここからは私の想像です
 時は明治初頭、日本人は日本人として一致団結する必要にせまら
れていた動乱の時期に歴史学はうまれた。そして結果的には日本の
アイデンティティーを確立するための道具として用いられた。
 歴史学作成のキーワードは単一民族日本人、そして天皇。それに
よりこのような、「日本誕生時より連綿と続く血をもつ天皇家を象
徴とし、世界的には極めて稀な単一民族による国家が島国という地
理的条件が幸いし数千年の長きにわたり営まれてきた」 歴史が生
まれた(採用された)。
 要は天皇が存在していたであろう関西地区の歴史と島国観によっ
て成立したものです。
・・・・・想像終了

 もちろん当時の歴史研究がまだまだ浅かったことも偏った歴史観
がうまれる一因であるといえます。
 ようやく、ここ10年くらいの日本の歴史研究の成果によって日
本もその他の世界同様、さまざまな文化そして民族が存在していた
ことが我々非研究者にも伝わってくるようになりました。
 先ほどの島国観にしても冷静になって考えてみれば我々の抱く「
島国観」;民族を単一にたらしめる条件としての思想もインチキな
幼稚な思想であることが歴史学によって証明されてきた。
 例えば、我々は歴史で遣唐使についてまなびます。そこでは小野
妹子が日本海をわたる描写が描かれており海を越えるのはいかに困
難であったかを演出しています。しかしそのずーとずーと昔の縄文
の人々、弥生の人々はどのように「日本列島」に渡ってきたのでし
ょう。もちろん船で渡ってきたのです。

 海は文化を人の往来を妨げる壁とはならなかったのです。海と陸
それぞれ100kmはなれたところに100tのものを運ぶことを考えた
場合、どちらが容易なのでしょう。陸にも道があるように海にも道
があります。がけを超えて進むのは容易ではないことと同様に荒波
をこえることも容易ではありません。

 しかし、道を使えば海でも陸でも困難ではありません。今では南
アメリカからオセアニアそして東南アジアをつないだ文化交流があ
ったという研究成果もでてきており、太平洋ですら人の交流を阻む
壁たりえなかったのです。

 以上、長々と申してきましたが結局なにが言いたいかといいます
と、文化圏による歴史を見たとき、この「日本の歴史」はあきらか
に他の文化圏を寸断して切り貼りしたものとなっていますし、こう
いった歴史観に支えられ「日本人は洗脳されつづけている、50年経
っても」ということです。

 私は政治家になろうと考えています。そのときまずはじめに取り
組みたいことが洗脳からの開放です。今の日本は大変危険な状態に
あります。喩えて言うなら、記憶喪失の殺し屋が過去の殺しを大変
大変反省しつつも、自らのアイデンティティーの不透明さ、または
逆にあからさまさに不安を覚え雇い主はどこかとつい目が探してし
まう、そんな状態であると考えています。
 誰もが心のどこかでカリスマをもとめています。「経済が悪いの
はこの政府のせいだ、総理大臣がこうだからそうなるのだ、大蔵大
臣そうしたから、官僚に頼りすぎり・・・・・などなど」あまりに
も他力本願で客観的立場に存在する「国民」が多すぎる。政治活動
といったら選挙することで、選挙に行かないものは政治を語る資格
無しと公言する。
 私に言わせたたら、選挙に行く行かんなど政治活動及び政治に対
する言及の資格の有無をいう根拠にはなりえない。選挙とは権利で
す。「与えられた権利を行使しないものは権利をあたえる存在に言
及すること叶わず」、たとえれば、「自分の飼っている犬に遊び場
として四坪くらいの柵でかこわれたものを提供し、ここで遊ばなか
ったら餌をやらんし、自分に対し一切の反発をゆるさない」といっ
たたぐいです。権利とは勝ち取ったものがその意思と信念によって
行使するときはじめてその効力が発揮されるべきものであるが、現
状はうまれて二十歳を超えれば自動的に権利が与えられる。これに
対し否定的な考えを持っているわけではないが、せめて権利を行使
するからには第三者の立場ではなくもっと自分に引き寄せて政治に
参加するべきだと思います。
 そういったことを踏まえ私が次に取り組みたいことが「一億総政
治家国家」の確立です。
 これによって「、自分で出来もしないやりもしない政策に対し客
観的に意見するな、そこまでいうなら自分でやってみろ」といって
客観的な「国民意見」を排除する目的ではありません。むしろその
逆でどうしたらこれが実現するのか、私がどう動いたらこれはどう
なるのかということを常にみなが意識する必要がある、そういった
状況においこまれているのが今の日本であると私は思います。

 とにかくまず日本人に潜む危険な目を摘む、そして皆で共にこの
世界を不幸なものにしないよう努力する必要があるのです。
終了

あとがき
 
 今回このように意見を述べさせていただきましたが、基本的な私
のスタンスではこういった意見を述べることをあと数年控えるつも
りでした。理由としては現在の私の立場です。将来的には政治家と
して政治活動をするつもりですが、今は一建築家としてスタートし
たばかりであり、政治に影響力のある立場ではなく、さまざまな想
いを実現すべくすぐに動ける状況ではなく、また顔を合わせたこと
もない人にいうことによって自分がやはり客観的立場となっている
ことががまんならず、とにかく今は建築に専念するべき時なのです。
が、考えを変えまして、将来的に政治活移動をするのであれば顔を
しるしらん関係無く、共感反感を買っていくことによって政治活動
のちょっとした基盤になればいいなといったちょっといいかげんな
観測に基づいて今回の行動になりました。

 本文中では王国、様々な文化圏の存在などその他断定を含んだ云
いまわしがあり、かなりデフォルメしましたが、申し訳ありません
がしっかり調べたわけではありません。ただし、大筋がそれたもの
ではありません。
 自分勝手で申し訳ありませんが、できましたら個々の事実の意見
ではなく、全体としての筋に対してのご意見をお待ちしています。

サエキチカラ
==============================
(Fのコメント)
 日本の名が付いた時から、日本というのは言い過ぎのような気が
するが。政権の継続と、ある程度の地域が支配地になった時が、
天皇家の政権が確立したと見ると、東北のルテナイが負けた801
年である。九州政権があったとしても、白村江で負ける663年ま
でであったから、サエキさんがいうより、随分前に大和の政権は、
日本の多くの部分を支配していたはず。北海道は明治時代に支配が
確立するが、それ以外は早いはず。

 単一民族とはなにか?を規定しないと、難しい。日本語が全国に
普及した意味では、江戸時代でしょうし、全国放送ができた明治以
後の可能性がある。しかし、モンゴリアン民族という大きく取ると
、非常な昔から同一民族となる。どう取るかでしょう。

 どうぞ、政治家になるよう頑張ってください。そのためにも、
ここで政治家としての論理力を鍛えてください。論議大歓迎です。

コラム目次に戻る
トップページに戻る