228−2.敗戦の心の傷から目をそらしつづけた戦後



きまぐれ読書案内 	敗戦の心の傷から目をそらしつづけた
戦後

桶谷秀昭著「昭和精神史 戦後編」(2000年、文芸春秋、3400円)

1 心はハードウエア

 人間の魂に、心に、意識に、精神に、形があると思いますか。(
ここでは魂、心、精神、意識はおおよそ同じ意味として扱います。)

 僕の手帳には、信心深い叔母のくれた霊光写真のお守りが挟み込
んであります。この写真は、かつて教祖様を普通のカメラで撮影し
たところ、フィルムには丸く光り輝く玉しか写っていなかったとい
うありがたいものだそうです。

これは証明写真サイズを横位置にした白黒写真で、真っ黒な背景の
まん中に、満月のような発光体が写っており、その周りにお月さん
にかかるかさのような薄ぼんやりとした光が取り巻いています。中
心の発光体から月のかさを突き抜けるようにして、下方向に足らし
き光が二本、足の両脇に手らしき光が二本出ています。

直接目には見えないけれど、もしかすると人間の心は本当にこんな
姿形をしているかもしれない、と思います。メキシコのインディア
ンの予言者に弟子入りしたカルロス・カスタネダも、同じような報
告をしています。(二見書房から出版されているドンファンシリーズ
参照)

自分自身の心を振り返ってみればわかるように、心は年をとるにつ
れて経験を深めることによって発達していきます。子供のときは自
分のことしか考えないものですが、だんだんと人のことを思いやれ
るようになっていきます。良心の働きが活発になることによって、
間違いを犯さない人間に成長します。

心がつねに真直ぐで歪まないように、きちんとした躾が必要です。
正しい思想を身につけなければなりません。「己(おのれ)を枉(ま)
ぐる者は、未(いま)だ能(よ)く人を直(なお)くする者あらざるなり
」は、孟子の言葉ですが、自分の心をまっすぐに保ってはじめて人
を指導できます。

最近若者による陰惨な事件が発生していますが、犯人の少年たちは
精神を創ることに失敗したのだと戸塚宏さんはいいます。(「正論」
2000年7月号「もう野放しにできない少年犯罪に鉄槌を」)

理性や精神は、自然にあるものではなく、訓練によって鍛えること
で創られるものです。それを怠るから「サカキバラ」少年のように
、目の吊り上がった(怯えた)、あごの上がった(虚勢を張った)、口
がへの字で突き出ている(なんでも人のせいにする)、目・口の周り
に表情のない(精神のエネルギーの弱い)人間になってしまうそうで
す。勉強だけできて、心が育っていない子供たちが、行き詰まって
戸塚ヨットスクールに来るそうです。

もちろん少年たちに罪があるというよりは、少年たちの精神をちゃ
んと訓練して育てなかった親や先生たちの責任のほうが重大です。
僕は戦後という時代の誤った思想にも問題があると思っています。

心に形があるから、傷付くこともあります。傷を受けたら、癒して
あげなくてはなりません。その場合に大切なことは、心に受けた傷
から目をそらさないことです。傷を見ないように見ないようにして
ごまかしていると、いつまでたっても傷が癒えません。タブーを作
ると、心の円満な発達が疎外され心が歪んでしまいます。

そればかりか、本質から目をそらす癖がついてしまい、何が大切な
のかを見失います。本当だったら、傷の癒しが一番大切だから消毒
や治療が必要なのに、「その傷には触れないのが親切というものだ
」、「思い出すと辛いだろう」とうそぶいて放置していると、傷が
化膿したり、一生取れなくなってしまうことになりかねません。

2 敗戦の心の傷の処置を過った戦後日本人

戦後の日本人は、敗戦の心の傷を癒すことなくごまかしてきました。

戦争は軍の独走によっておきたもので、一般国民は被害者であった
とするのが占領軍の用意した筋書きでした。この甘くて、無責任で
、でっちあげのストーリーに飛びつくことで、戦前あるいは戦時中
の日本人が何を考えて、どのように行動したかをいっさい問い返さ
なかった、まったく反省しなかったのが戦後の日本人です。

 特攻隊の若者たちの死を犬死に、無駄死にであるかのように扱う
浅薄な合理主義がずっとまかり通ってきました。「命あってのもの
だねだね」とうすら笑いを浮かべて、物質的な生存に、獣のように
どん欲な生活に執着する。まっすぐで無私の精神のほうがもっと大
切だなんて口に出す奴は、「戦前に戻りたいのか」、「子供達を戦
場の送るのは二度とごめんだ」というヒステリー的強弁によって袋
だたきにされ、議論することすらできませんでした。

大東亜共栄圏の思想には、アジア諸国を欧米の植民地支配から解放
しようという思想が確かにありました。その思想のどこがどう間違
っていたのか、現代に通ずる部分はないのかと確かめる作業などい
っさい行わず、危険思想として完全抹殺し封印したのは、まるで心
の傷から目をそむけるようなものでした。ここに戦後民主主義や戦
後文学の弱点があります。

ナイーブで、自閉的で力のない戦後文学では、他者との結びつきが
希薄です。自分の良心の動きが明らかにされません。これこそが引
き込もり少年たちを生み出した精神土壌かもしれません。

6年前に大江健三郎さんが文化勲章受賞を拒否されたとき、どうして
ノーベル賞はよくて、文化勲章はよくないのだろうかということを
僕は真剣に考えました。結局戦後民主主義とは、「敗戦国日本を連
合国が裁いた東京裁判史観」に基づいているため「戦後民主主義の
思想においては、日本の国家・官僚が行うことはすべてうす汚くて
信用できない、欧米には真の民主主義が花開いている、という命題
が何ら疑いを持たれることなくあらゆる議論の前提に置かれてきた
」ことに気付いたのでした。(「戦後民主主義と世界」、毎日新聞
社「エコノミスト」'94.11.29「読者から」掲載)

戦後の日本には言論の自由もありません。言論の自由を口では認め
ていながら、神道や植民地支配や儒教倫理など大東亜戦争で否定さ
れた概念がからむとなるとマスコミも進歩派知識人も市民もいっし
ょになって大騒ぎして議論を封殺します。これは先だっての「神の
国」発言でも繰り返されました。

戦前の検閲は、事後検閲だったから、伏せ字によって検閲が行われ
たことが明らかにされていました。検閲の最低限のモラルが守られ
ていたというべきでしょう。占領軍によって始められた戦後の検閲
は事前検閲で、検閲のあったことすらわからなくなっています。こ
の体質が日本のマスコミの体質になってしまい、表現の自由なんて
実はどこにもないという悲惨な事態です。

3 自ら答えに背を向けて

別に僕は表現の自由が大切だということを言いたいのではありませ
ん。

今の日本は、少年たちの心が未発達であり、その親たちの精神もと
てつもなく貧困であり、マスコミは事件を半分以上おもしろがって
視聴率稼ぎにいそしみ、どこにも解決の糸口が見えない状況なので
す。

盆踊りのカレーに猛毒が入っていた無差別殺人事件は、もう本当に
おしまいという感じでした。でも、盆踊りがしらけるのは日本全国
どこにいっても同じなわけで、同じ事件がどこでおきてもおかしく
ないのです。

本来であれば、もっとみんなが悩んで議論して一人でもいいから救
うことが大切なのです。だのに戦後民主主義のアレルギー反応のた
めに、本当だったら見つかるはずの答えが見えない。

もがいてもがいて戸塚ヨットスクールに入れられた子供達はまだ幸
せかもしれません。多くの場合には、親の凝り固まった頭が「軍隊
式の学校にだけは子供をやれない」と決めつけていますから、戸塚
ヨットスクールよりは引きこもりを選択してしまうのではないでし
ょうか。

 もうそろそろ戦後民主主義や東京裁判史観から解放されてもいい
ときではないでしょうか。

4 簡単な本の紹介

桶谷秀昭さんの「昭和精神史」(文春文庫)は、昭和20年の敗戦ま
でを扱っていました。そこで紹介される文学者や思想家たちの真摯
な生きざまに感動したのは7年前でした。

今回出版された「昭和精神史 戦後篇」は、むしろ痛々しいもので
す。たとえば60年安保の政治状況は言語化されても、少しも発言者
の心に根ざしていると感じさせない、頭の中を空回りしている言葉
です。

どうして戦後の日本人は心の底から発せられる言葉をなくしてしま
ったのか、その歴史を明らかにしようというのが著者の狙いだった
のでしょう。

そして、心の傷から目をそらす戦後の日本人に、自ら割腹自殺を遂
げることによって傷口を開いてみせた三島由紀夫の死が、大多数の
日本人によって黙殺されるところで本書は終わります。

戦後の日本人の精神の混乱は、占領下に始まり、占領終了後も占領
下に押し付けられた東京裁判史観と戦後民主主義によって、今もな
お継続しています。ここに気付くところから、日本人の心の再生は
始まらなければならないということを桶谷さんは見事に提示してく
れました。

 前作と合わせて読むことをお勧めします。

得丸久文 (2000.07.04)

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