219−1.江戸時代の農村を概観



 このコラムでは、江戸時代以前の文化を復興しようと意図してい
ることは、このコラムの読者は知っていると思うが、江戸時代の
研究については、あまり現実の戦略とは関係ないため、本コラム
でもあまり、触れなかった。

 しかし、天皇制議論や青少年犯罪などの問題を論じるためには、
日本の文化とは何かを追求する必要がある。江戸300年間の日本
独自で発展した文化の成立は、大いに参考になるはずだ。
このため、江戸時代の日本文化を見てみよう。

 まず、農業技術である。江戸時代の農村は、一部の藩、一部の時代
を除けば、豊かであった。それはどうしてわかるかというと
、農村をまとめる庄屋が金持ちで、武士の権利を買うこともあり、
江戸中期以降での商業の資本家は農村の庄屋がなることが多かったため
です。越後屋(今の三井家)などもそうである。

 それは、江戸中期以降、各地に商品作物の絹、井草などを栽培し、
換金性を高め、その作物を売るため、商人になる人がでてきたのことで
もわかるのです。
この換金性の高い作物を作り、それが売れるということは日本全体が
豊かになっていたのです。戦争の無い時代が300年以上続き、富の
蓄積が相当レベル蓄えられたためです。

 この富の蓄積があったため、明治時代に簡単に欧米諸国に追いつく
ことができたのです。もう少し厳密に言うと、日本国内に基礎の資金
がすぐにあったためと、経営技術や工学技術を習得できる人材が多量
にいたためです。

 この人たちは、渋沢栄一を見るまでも無く、農村の庄屋から出てきた
人たちなのです。この庄屋は、農村で軽工業も行っていたのですから、
ある程度の工学的技術も分かるのです。それと、経営技術は、その
家内企業を経営することで、高まっていたのです。
農村の革命を起こした二宮尊徳なども参考になるはずだ。

この独自の日本的考え方が次の時代を開いたように、今日本が独自
と思っている経営の特徴は、今後のIT時代に適合するように変化
して、再度、日本を高めることになると確信している。

 この復活の中心が再度、中小企業の活躍によるのです。どうしてか?
今、世界的に競争力があるのは、部品産業ですから。この人たちが、
次の日本のIT時代をリードするしかないのではないでしょうか?
大企業は、ITを社内に導入していない。メールでの連絡ができない
大企業が多い。米国やアジアの会社はメールでほとんど、用事を済
ましているが、日本の会社はできない。大企業が時代の変化について
いっていない。それが現状です。

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