210−2.天皇は元首かの反論と再反論



<Re: 国際戦略コラムno.203>

 まず最初に、私は憲法学の専門ではなく、また、君主の比較文化
を専門に研究した者ではないことをあらかじめ断っておく。

 くしくも先日の本コラムに数学的論証思考の重要性が出ていたこと
もあり、著者が本論文に引用した事例を用いて論文の批評と言う形
で当コラムに投稿させていただく。
 
 東京都
 門田
 ------------

本論文は全ての国家に元首がいると言うことを前提にしており、元首
がいない国の日本という論理の可能性が閉ざされた状態で議論が進め
られている。

日本に国家元首はいるのかという問いに対して、著者は天皇が諸外国
における国家元首と相当の役割をしていることは証明しているが、
だからといって天皇=国家元首という式を解いてはいない。

天皇は我が国独自の歴史と伝統の文化の中から生まれてきた存在で
あって、キングでもカイザーでもない、天皇である。欧州文明諸国の
「君主」とそれに連なる枠の中にあてはめ、その中で天皇の地位と
存在理由を解釈しようとするのは、はたして妥当な手段であろうか。

天皇が日本の文化と歴史と伝統の「体現者」であるならば、本文が
末尾に言及した神道と神事こそが天皇を天皇たらしめるものであって
、政教分離した天皇など、はたして天皇といえるのか。政教分離せね
ば違憲である。しかし、違憲であれば「君主」とは言えなくなる。
この部分の説明が「皇室祭事は建前上天皇の私事とされている」と
だけで片づけられている。

また、著者は天皇の行為に対する大日本帝国憲法下の表現と現憲法下
の表現の違いについて事例を上げた際、例えば「輔弼」と現行憲法の
「助言」を「実際の行為においても大差ない」と論じているが、
ここでは、あえて別の言葉を用いている現実の背景が考慮されていな
いばかりか、英語にすれば同一の単語になるなどというのはあまり
にも乱暴な理屈ではあるまいか。どの国の言葉にもその単語だけでは
表現できない「言葉」としての意味があるのである。

天皇が日本において欧州諸国の「君主」に相当する役割を負っていた
のは明治以前からであることは本論文に掲げられている事例で説明
できる。また、井伊直弼が朝廷に知らせず米国との通商条約に調印
した際に「違勅」ではないかと問われたことからも(『江戸の大名 人物
列伝』竜門冬二 監修 東京書籍)、著者の主張を後押しすることが出来
よう。しかし、明確にその地位が元首であると規定していた大日本帝国
憲法の後継憲法である日本国憲法においてその地位が明確に規定され
なければ、その地位は「元首のようなもの」「元首のような事をする立場」
にしかならず、著者が本文に掲げた多くの事例から、日本という国が、
国際慣習上、元首としての役割を託している人物が天皇であると解が
導かれはしまいか。

「実際の市民生活や外交上には通用しない」と学会の議論の曖昧さを
指摘していながらも、著者自身の結論づけが曖昧の螺旋の中にあると
しか思えない。

本文に掲げられた数々の事例から、いかに天皇が各国の国家元首の
ように行動しており、また天皇制がそれに寄与しているかということ
は理解できよう。しかしこれだけでは天皇イコール元首という等式を
求めてはおらず、何故天皇が「元首」なのか最後まで説明されていない
のが残念である。
================================
(久保教授からの反論)
<Re: 国際戦略コラムno.203>
>まず最初に、私は憲法学の専門ではなく、また、君主の比較文化を
>専門に研究した者ではないことをあらかじめ断っておく。
>
>くしくも先日の本コラムに数学的論証思考の重要性が出ていたこと
>もあり、著者が本>論文に引用した事例を用いて論文の批評と言う
>形で当コラムに投稿させていただく。
>
>東京都
>門田
>------------
>
>本論文は全ての国家に元首がいると言うことを前提にしており、
>元首がいない国の日本という論理の可能性が閉ざされた状態で議論
>が進められている。

○元首とは国家最高位の対外関係における代表者である。国家の「顔」
となる人物である。総理大臣ではない、外務大臣でもない。ちなみに
彼らはあくまで君主の「臣(おみ)」にすぎない。もちろん大使でも
ない。かれらを任命するのは、他でもない君主の「天皇」である。
天皇は外交文書も「認証」されている。
現行憲法上、天皇が元首だとは明記されていない。しかし、現実には
天皇が「元首」機能を果たしている。憲法第一条の国事行為を果たす
ことで、天皇は事実上、明治憲法同様、国事を「総攬」されている。
現在でも所轄大臣等は外国訪問する前後、また国家的な行事に際して
は普通、天皇陛下にご挨拶・報告に宮中参内する「しきたり」である。
 小渕元総理の葬儀には、たとえ諸外国の首相機能を果たす大統領は
訪れたとしても、決して君主制国の国家元首は訪れていない。外交上
の「格」の相違である。

>日本に国家元首はいるのかという問いに対して、著者は天皇が諸外国
>における国家元首と相当の役割をしていることは証明しているが、
>だからといって天皇=国家元首という式を解いてはいない。

○あなたは成文憲法至上主義ですね。君主国の代表的な国・イギリス
は「慣習法」の国である。結論から言えば、日本は「成文法」と
「慣習法」併用の国です。
事実、例えば、昭和天皇の大嘗祭や大喪の礼は「慣習法」に則り、
現行憲法から導かれていない。また「人命は地球よりも重し」といい
超憲法典的処置をとる国です。
このことについては改めて別稿で書きましょう?

>天皇は我が国独自の歴史と伝統の文化の中から生まれてきた存在で
>あって、キングでもカイザーでもない、天皇である。欧州文明諸国
>の「君主」とそれに連なる枠の中にあてはめ、その中で天皇の地位
>と存在理由を解釈しようとするのは、はたして妥当な手段であろうか。

○それは、ある意味で実に正しい。ヨーロッパの諸君主は国民と
民族的に一致しない場合が多い。たとえばイギリスのエリザベス女王
の直接のルーツはハノーバー家出身のドイツ人である。日本のように
天皇と国民は同一民族で「君臣一如」ではない。
ヨーロッパ君主国の場合、君主と国民はあくまで「支配者対被支配者」
という関係である。また君主制の最長不倒を誇っているのは日本で
ある。外国君主の歴史とは比較にならない歴史をもっています。一度
、西洋の「ものさし」で見るのではなく、日本の天皇制を君主制を
ものさし(基準)にして、諸外国の君主制を測ってみることをおすす
めします。

>天皇が日本の文化と歴史と伝統の「体現者」であるならば、本文が
>末尾に言及した神道と神事こそが天皇を天皇たらしめるものであっ
>て、政教分離した天皇など、はたして天皇といえるのか。政教分離
>せねば違憲である。しかし、違憲であれば「君主」とは言えなくな
>る。この部分の説明が「皇室祭事は建前上天皇の私事とされている」
>とだけで片づけられている。

○それも、ある意味で実に正しい。政教分離した天皇など、はたして
天皇といえるのかと言われれば、たしかに「本来の」天皇ではない。
成文憲法上または「建前上」は「政教分離」しなければならない。
しかし事実上はまったく「政教分離」していない。それは諸外国も
似たようなものである。あくまで、現行憲法の「建前上」のごまかし
にすぎない。アメリカ大統領も、イギリス国王も聖職者の前で、
バイブルに手を置き、就任の宣誓を行う。イギリスやアメリカは日本
以上に政教分離していない。稿を改めてまた。
しかし「違憲であれば「君主」とは言えなくなる」という貴方の仰る
意味はわからない。

>また、著者は天皇の行為に対する大日本帝国憲法下の表現と現憲法
>下の表現の違いについて事例を上げた際、例えば「輔弼」と現行憲法
>の「助言」を「実際の行為においても大差ない」と論じているが、
>ここでは、あえて別の言葉を用いている現実の背景が考慮されてい
>ないばかりか、英語にすれば同一の単語になるなどというのはあまり
>にも乱暴な理屈ではあるまいか。どの国の言葉にもその単語だけ
>では表現できない「言葉」としての意味があるのである。

○たしかに英語原文の「助言(advice)」は、目上の者が目下の者に
「アドバイスする」ことである。「輔弼(advice)」と言えば
「アドバイスしてさしあげる」ことである。
どちらもadviceである。へんなところに拘られますね。

>天皇が日本において欧州諸国の「君主」に相当する役割を負っていた
>のは明治以前からであることは本論文に掲げられている事例で説明
>できる。また、井伊直弼が朝廷に知らせず米国との通商条約に調印した
>際に「違勅」ではないかと問われたことからも(『江戸の大名人物列伝』
>竜門冬二 監修 東京書籍)、著者の主張を後押しすることが出来よう。
>しかし、明確にその地位が元首であると規定していた大日本帝国憲法の
>後継憲法である日本国憲法においてその地位が明確に規定されなけれ
>ば、その地位は「元首のようなもの」「元首のような事をする立場」に
>しかならず、著者が本文に掲げた多くの事例から、日本という国が、
>国際慣習上、元首としての役割を託している人物が天皇であると解が
>導かれはしまいか。

○そうです。「国際慣習上」、天皇は元首として扱われているのです。
現実に、諸外国を訪問した時の天皇と総理大臣の処遇の差を見比べられ
たらよい。日本のマスコミは天皇の外国訪問を極力報じたがらないが、
礼砲の数を見ればよい。歓迎する人々の数を見比べればよい。総理大臣
とは全く比べものにならない。また「天皇の外国訪問は百人の大使に
匹敵する」と言われている。
宇野総理や海部総理のことは外国では誰も知らなかったが、天皇陛下に
ついては誰もが知っていた。

日本の長い歴史の中で、欧米列強のアジア侵略に抗し、ごくごく一時期
、大日本帝国憲法(わたしはこの憲法を「鹿鳴館憲法」と呼んでいます
が)上、天皇が「元首」と明記されたにすぎない。

>「実際の市民生活や外交上には通用しない」と学会の議論の曖昧さを
>指摘していながらも、著者自身の結論づけが曖昧の螺旋の中にあると
>しか思えない。

○これは論文ではない。あくまで教科書である。共著の「教科書」と
いう性質上、仕方がない。
 むしろ「現行憲法の不完全」「矛盾」をよく理解していただきたい。
現行憲法は五十年以上も経過しているのに、また国際化がこれほど進ん
でいるのに、憲法第一条をはじめとして、一条一句も訂正しないで放っ
たらかしにしている政治家、憲法学者、マスコミの方がおかしい。
 いわゆる現行憲法(わたしはこの憲法を「始末書憲法」と呼んでいま
すが)を、「不磨の大典」化し、後生大事にしている「護憲論者」は、
現行憲法の「軽視論者」であると、私は見ています。
ちなみに、私の「論文」でははっきり「天皇は元首である」と「主張」
、「明記」している。

>本文に掲げられた数々の事例から、いかに天皇が各国の国家元首のよう
>に行動しており、また天皇制がそれに寄与しているかということは理解
>できよう。しかしこれだけでは天皇イコール元首という等式を求めて
>はおらず、何故天皇が「元首」なのか最後まで説明されていないのが
>残念である。

○同上である。
あなたはあくまで「成文化」「明記」されていないと気の済まない
「現代風?」の方なのですね。または憲法典を「契約書」としてしか
見ることのできない「アメリカ風」かもしれませんね。決してあなたは
ヨーロッパ風でも、ましてや「日本風」でもありません。

○ついでです。
「Constitution」と「Constitutional law」とは違うのですよ。
我が国では区別なく、両方とも「憲法」と訳されていますがね。それ
ではまた
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久保憲一
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