210−1.議論の進め方について



Fさんへ
日本の事を批判する人は日本を大切に思ってのことと考えたこと
ありませんか、このままでいいと思っている人以上に心配している
し、こうあってほしいとの若い人の願いを誤解し切り捨ててはいな
いでしょうか?Fさんは経験も豊富なようですし、解ってもいない
ものが何を言うかとお思いでしょうが、経験でものを言うと狭くな
ってきます。一人の経験など小さいものです。Fさんは外国へ行っ
ていろいろ苦労なさったことはたしかにだれにでも出来るものではあ
りません。もちろん感心もします。で、思ったのですが、若い時、
こんな日本なんてと思って外国に行かれた。そして、日本を見直さ
れた・・・だから、若い人にいやなら出て行けと・・・?

 もしそうなら、もっとやさしい書き方はありませんか?誤解され
てしまいますよ。経験した結果の言葉と、言葉に賛成する人の思い
が違っているようにも思います。日本を大事に思う心は同じ、考え
は違ってももっと柔軟に受け止めては如何でしょうか。
塵箱より
===============================
 では、今回は、基本的に、Fさんのコメントに対する形でお答え
いたします。まず、文章での議論ということについてですが、なる
ほど、Fさんの考え方は、単純にいえば、理をもって話すべきと、
いったものでしょうか。そして、その基準が、事実というあたり、
一見、合理的です。しかし、ここには、決定的な落とし穴が潜んで
いるのです。落とし穴の正体とは、感情を粗略に扱う事によって、
悪い時に、恐ろしく感情的になったり、目的を見失って、どうする
べき、どうであるべきといった事が分からなくなるのです。いわば
、議論の場において、自分の目的を、忘れてしまうわけです。
逆に、感情ばかりだと、目的ばかり、先走るわけです。
故に、両者の中間が理想的な訳ですが、人間のする事ですから、
必ずどちらかよりに傾いてしまう訳です。これを、事実と願望の
天秤の法則とでも、いっておきましょうか。この天秤が、どちらよ
りでも、極端に傾いてはいけない訳ですから、事実も、感情も大切
にするべき要素といえます。とすると、感情を入れると議論ができ
ないというのは、間違いな訳です。
次に、売春の問題についてですが、売春が女性差別である、という
のは、正しいのですが、売春がどこにでもあるなどという指摘を
軽々しくいうのも、女性差別です。それは、本人にその気の有無に
関係なく、暗黙に売春という行為を正当化しているからです。少な
くとも、女性には、そう聞こえるでしょう。
もちろん、売春という行為自体は、世界各地であります。
しかし、それと、どこにでもあるということは、違うのです。厳密
には、ある場所と、ない場所がある。多い場所と、少ない場所があ
る。実は、売春婦当人も、個人差で、そんな行為自体が、嫌である
人もいる。それも大勢です。さらに、それぞれ複雑な事情が、ある
のかもしれませんが、こういった行為には、モラル問題、貧富の差、
経済問題など、影響を及ぼす、社会問題などの、諸問題にも責任が
あるケースも多いのです。
これを考慮すると、あまり軽々しく、言ってはならないことです。
言うとしたら、売春婦のみならず、女性への礼儀という意味でも、
問題へのそれなりの、処方箋を用意しておかねばなりません。
Fさんのは、それがないじゃありませんか。用意しておいた場合、
それを前提に、こうするべきという議論は、成立します。
そこで、処方箋に対する意義ある議論が存在します。ただし、
処方箋もなく、どこにでもあるというだけの言動は差別以外の何者
でもありません。
 なお、万一、女性の方がご覧になられた場合、失礼があった場合
お詫びしておきます。
 次に、信頼感ですが、全然、ご理解いただいていないようですね
。私は、「日本人の視点での身勝手な見解」と、いったはずです。
Fさんのご意見は、体験談を語っています。この体験自体は、貴重
な体験だったでしょう。しかし、これは、日本人の視点です。他国
の方の視点ではないので、反論にはなりません。しかし、一例は
あげておきます。ある芸能人が、海外で、自らの幼い時の夢として
、スパイになりたかったというのを言った、しかし、そのせいで、
スパイ容疑で逮捕された。後、ただの夢であったことが判明し、
釈放された。これは、実話なのです。後になれば、馬鹿馬鹿し
い話ですが、こんな事実が存在している事自体が、信用されていな
いのです。他のアジア諸国との関係でも、信用されていない事がわ
かります。米国とて、信用していたならば、基地問題で、誠意ある
態度をとれたはずです。彼等は、現状に関係なく、日本に誠実にな
るのが、怖いのです。米国が、日本に誠実になるのを怖がっているの
は、証拠書類が、米軍にあります。
 他国との比較については、比較に使われた国として、日本、ドイツ
、中国があげられます。このうち、ドイツ、中国が他国なので、
この両者が、日本との比較に使われる訳です。ところが、Fさんの
あげた、中国は、元々、比較されていませんでした。
kawafujiさんのご意見をもう一度確認してください。中国なんて、
書いていませんよ。ということは、Fさんが、後からもう一つの
比較例として、付け加えただけです。しかも、中国の短所をあげつ
らうようなことをして。他者の短所をあげつらうのが、失礼でなく
てなんでしょうか。欠点を指摘する場合、付け焼刃程度でも、
こうしたほうがいいというのがなくては、なりません。そうでなけ
れば、事実を言っていても、ただの讒言と、大差ありません。
 Fさんが、ドイツが反省している範囲を私に対する意見として、
述べましたが、ここでは、問題になっていません。後から無用に
問題を拡張するような事は、しないで下さい。
 さらに、あなたは、私の怒りしかご理解頂けていないようですが
、もう一度、kawafujiさんの意見書と私の書いたものをご一読下さ
るよう、お薦め致します。双方を再読する事で、怒り以外の事も
分かってくるはずです。また、さらに言わせてもらえば、どうすれ
ばいいかは、結局は、Fさんがどうすればいいなどは、Fさん自身
で、模索し、見つける事です。私が、とやかくいうことではないの
では?私は、Fさんの誤った認識を見つけた時にそれを言う事しか
、近所にいても出来ないはずです。
ましてや、メールの間なのですよ。他人の理論の明確さなどという
ものに甘えないで下さい。
 それに認識している事実の相違を指摘してはいけないなど、だれ
がいったのです。
誰もいっていないでしょう。誰かがいったとしたらあなた自身です
よ。それを私の発言にしないでください。迷惑です。
 文章での議論の方法といっていますが、私は、それなりに順序を
立てて書いているのですよ。あなたも人のことは言えないはずです
。発言の誤解や、発言してもいないことをいったというあたり、
「冷静になって」等とありますが、冷静さを欠いているのはあなた
です。
あなたは、もう一度、考え直す必要が、あります。あまり、複雑に
お考えになられるよりは、シェイクスピアの作品でも読まれるのが
よろしいでしょう。(特に喜劇)
                           K.O
===============================
(Fのコメント)
 このコラムは、文学的な議論をする場ではなく、日本の国内、国際
両面の戦略を議論することを目的としています。
戦略の議論には、国家利益や日本人の利益を最初に考える習慣が必要
です。その面から、どう見えるかです。他国と協調や友好関係になる
ことは、日本によって、多くの場合はいいのですが、そのために、
日本が損になるような意見や事実に基づかない自国の誹謗はおかしい
と思います。基本になる感情は、日本をこよなく愛していることです
。その感覚なしに、他国に媚びる姿勢は止めてください。

日本にも問題点はあります。このコラムでも指摘していますが、事実
に基づき、その問題点を解決するべく、議論をしていると思っていま
す。

 日本が悪いなら、何が悪く、かつどのように直すかを議論しないと
不毛の議論になるでしょう。他国は比較に使うことはしますが、
それが目的ではありません。日本のおやじの買春旅行が多いというの
で、比較したまでです。他意はありません。
===============================
司馬です。いつも楽しく勉強させております。
今回の議論の進め方についてですか、私も少し思うところがあるので、
メールを差し上げました。

>  文章での議論は、現実の事実や歴史の事実、もしくは論理で戦うもの
> です。議論上に、感情を入れると、議論ができないですよ。
> 売春は、女性差別であるという意見はわかりますが、どこでもあるのは
> 事実ですから、その事実を指摘してはいけないということでは、議論が
> できません。ロンドンでもニューヨークでもインドでも中国でもどこでも
> 売春は現にありますよ。この対策はどうするかの議論ならできるのです
> が、指摘がいけないというのはおかしいと思いませんか??

売春がどこでもあるといったのは確かに問題があると思います。
どこにでもあるというと、まるでそこらじゅうに見かけられるような
感じを受けます。
確かにそれは言い過ぎかもしれません。
世界中全ての国々で売春があると断言できるのなら構いませんが、そう
でなければ、完全に断言してしまうのは良くないと思います。
この場合、多くの国で売春があると言ったほうがいいと思うし、より
現実に近いと思います。

>  日本人は、割かし信頼感があるのも、私が20年以上海外ビジネスで
> 体験した事実です。もし、身勝手というなら、反対事例を出す必要が
> ありますよ。中国人に騙されたこともありますし、韓国ではひどい目に
> 会いました。米国とのビジネスも、非常に苦労します。米国人は宣伝が
> 上手いが、いざ使うとなると、ほとんどできていないことなど、日常
> 茶飯事です。その点、日本の企業はある程度信用できます。
>

この事についてですが、私は日本だからどうなのだとか、アメリカ
だからどうであると言うのはどうかとおもいます。
ある会社や人が信用できるかどうかは国籍によって決められるもの
ではなく、それは人間自体の問題であり、別に育った国がどこだから
影響されるものではないでしょう。
切り離して考えた方がいいと思います。
まるで前科のある人間だから気を付けなければと思うのと同じような
気がします。

日本人だから安心だとか、中国人だから気をつけなければ、と思うの
は確かに一種の目安になり、物事を判断しやすくなるかもしれません。
しかし私は人や会社を判断するとき、そういう要素を出来るだけ排除
した方が、より客観的に物事を観られると思います。

司馬
===============================
(Fのコメント)
 100万人以上の大きな都市で欧米アジアには売春がありますね。
その他の南米やアフリカには行ってませんので、分かりませんが、
恐らく、あると思っています。この事実を踏まえて、その対策が必要
でしょう。国連等でも議論しているようですが、なかなか有効な手が
ないようですよ。

 信頼性の問題には、そこの文化や伝統が影響していると考えていま
す。儒教文化圏は、親しくなると信用ができるようです。しかし、
そこまで行くのがたいへん。日本は欧米の文化と儒教文化の両面性
を持っているため、この面では、信頼性が他地域より、高いように
感じます。しかし、今後、日本も益々欧米化してきますので、信頼
感が無くなると思います。この頃の若い人のプレゼンテーションは、
非常に素晴らしいのですが、内容がないことが多いですから。

コラム目次に戻る
トップページに戻る