203.「天皇は日本の:元首」か?(1)



久保教授の論文を2回に分けて、掲載します。(管理人T)

「天皇は日本の:元首」か?という問題。私の書いた文章です。
大変長文で皆さまにご迷惑をかけるかわかりませんが、この際皆
さまにもご覧いただきましょう。
まずはご参考に以下をご笑覧ください。(山上賢一編著「憲法講義」
中央経済社 平成12年)
以下の点において「天皇は日本の元首」です。

第一章       天 皇 
   T.象徴性の意味

1.憲法上の地位
 日本国憲法第1 章は天皇に関する規定である。その第1 条には
『天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この
地位は,主権の存する日本国民の総意に基く』と規定されている。

 象徴としての地位
「象徴」とは,英語symbolの訳であり,一般に抽象的,無形物を感覚的
にわかりやすく説明するところの具体的有形物である。例えばハトに
よって平和を,日の丸によって日本国を説明するように,天皇によって
日本国と日本国民統合を説明しているわけである。
 そもそも「象徴」ということばは,本来文学的,芸術的あるいは宗教
的表現であり,法律上適切なことばとは言いがたい。つまりこの規定は
,天皇が「日本国と日本国民統合という感覚でとらえきれないものを
具体的に説明する存在すなわち体現者」であるといっているにすぎず,
国家形態上、法的にどのように天皇が位置づけられるのかまったく定か
でない。
この「象徴」ということばは,イギリスのウエストミンスター条例前文
の『国王はイギリス連邦所属国の自由な結合の象徴である。(1931)を
参考にしたものといわれている。しかしこの「象徴」はその後
「王室称号法」(1953 ) において『イギリス連邦の元首(head)』と言い
変えられている。もちろんこの期間(1931年か1953年まで),イギリス
国王が単なる象徴でなく元首として扱われていたことに相違ない。

 ところでスペインは現在 立憲君主制国家であり,元首は国王である
が,憲法(1978年)『国の統一と永久不変の象徴である』( 第56条) と
定められていることも留意しておきたい。
また憲法学者の中には、憲法第1条の『日本国民の統合』とは天皇に
あくまで「消極的・受動的機能」のみを認めているのであり,統合
し,代表するという「積極的機能」まで与えていない,とするものも
いる。しかし周知のごとく、実際には今日,天皇は相当「積極的機能」
を果たしている。いわゆる「皇室外交」といわれるもの、また
「国内行幸」などがそれであり,政治・行政上かなり重要な役割を果た
している。たとえば平成3年の島原雲仙の被災地慰問や東南アジア歴訪
などは、天皇の「積極的ご意志」によるところ少なくなかったという。

 元首としての地位
 今日,元首は国家形態上はもちろん国際関係上においても不可欠の
存在である。ところが現行憲法において元首はまったく明示されてい
ない。この点,明治憲法では明示されていた。また権能上、天皇が元首
であることもはっきりしていた。ところが現行憲法では天皇は行政の
首長でなく,『象徴』になり 極めて権能が局限されたため,天皇が
元首かどうかについて学説は分かれている。イェリネクなど古典的分類に
忠実な学者は当初,内閣が元首であるとか,首相が元首であるとか
主張していた。しかし今日では天皇を「一種の君主」とか「準君主」
とする見方が主流となっている。
また国家形態についても「独特な君主制」という表現が用いられている。
一方有権解釈すなわち政府解釈は天皇を「君主」とみ[ 参院・内閣委
( 昭45・3 ・12)],「元首(sovereign) 」としている[ 参院・内閣委
( 昭63・10・13)]。一般国民も政府同様の認識をしているようである。
学会はともすると「一種の」とか「準」とか「独特の」というような
曖昧な表現を使いがちであるが これでは実際の市民生活や外交上には
通用しない。元首が天皇であることは、次のいくつかの理由において
明白である。

 まず天皇が象徴とされた根拠でもあるが 憲法制定過程上「元首」の
明記が意識的に避けられたらしいことである。
周知のように1946年2 月3 日 連合軍総司令官マッカーサーが憲法を
起草するにあたり 部下のホィットニーに指針を示した「マッカーサー
の三原則( マッカーサー・ノート)」には当初“Emperor is at the 
head of the State ”( 天皇は国家元首の地位にある) と明記されて
いた。ところがこの原則を受け 連合軍総司令部が作成 2月13日に
日本政府に手渡した「マッカーサー草案」には「皇帝ハ国家ノ象徴ニ
シテ又人民ノ統一ノ象徴タルヘシ」と改められていた。
その事情について かつて内閣調査会が海外調査を行ったが その渡米
調査団報告にはつぎのごとく述べられている。

 「本条の起草者たるケージス ハッシー ローウェル ピークなどに
よれば マッカーサー元帥のノートの第一項目は天皇について 
その第一段階で 『アット・ザ・ヘッド・オブ・ザ・ステート』とし 
また第三段で その任務と権限は憲法に基づいて行使され 憲法の定める
ところにより 人民の基本的意志に対して責任を負うとしているので
 あるから、この二つの点を考え合わせ この両方の趣旨に適合する
ように より正確に天皇の位置を書きあらわすため シンボルという語を
用い 天皇の地位についての考え方の衝突を避けようとしたとのことで
ある。・・・特に元首という語を避けたのは、ヘッドという文字を用いる
とやはり従来の明治憲法の解釈に戻るおそれがあるということを考慮
した結果であるようである。すなわち『象徴』という文字を用いたこ
とはヨーロッパ的な『ヘッド・オブ・ザ・ステート』ということを特
に否認する意味ではないのであり ただ 日本で元首という語をその
まま用いると明治憲法のような解釈がまた出てきはしないか、そして
それでは民主主義的な考え方がこわされてしまうことをおそれたので
ある・」

つまりマッカーサーは決して天皇が「元首」たることを否認したわけ
ではなかった。
元首の一特性にすぎない機能『象徴』という語を使用することで,
元首としての天皇を従来よりはるかに無力たらしめようと意図したに
すぎない。

 また天皇に関する規定が明治憲法同様 第1章に位置づけられている
こと 英文憲法の第1章のタイトルが“THE EMPEROR ”(これは「君臨
すれども統治せず」という今日のヨーロッパ型皇帝の意味であろう)
 とつけられていること,さらに現行憲法において天皇が身分上国民
かはっきり区別されていることを考え併せ,天皇が現行憲法上紛れも
なく君主であり 元首以外の何者でもないことが裏付けられる。
さらに現実に天皇がわが国内外において元首として遇せられている
ことをみても 現行憲法下の天皇が「君主」であり「元首」であると
みるのはごく自然である。実際、外国人の目から見て,猫の目のよう
に変わる内閣総理大臣を形式的とはいえ任命する世襲・終身の憲法上
の安定した機関すなわち天皇が存するかぎり,それを元首扱いする
のは当然であるといえよう。

天皇と主権
 第1 条後半には『この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』
とある。この規定よって『統治権の総覧者』たる天皇の地位が『象徴』
たる地位に移動し 明治憲法時代の「天皇主権」から「国民主権」に
変化したとされている。この規定は 1989年のフランス人権宣言第3条
『一切の主権の淵源は,本来国民に存する。いかなる団体も,いかなる
個人も 国民に由来しない権力を行使することはできない』を参考に
したものと一般にいわれている。ただ主権の存する国民の中に天皇
が含まれるかどうかについては,制憲当時から学会では意見が分かれ
てる。しかし政府解釈は一貫して「主権の存する国民のなかに天皇も
含まれる」としている[ 参院・内閣委( 昭38・3 ・29)]。
さらに今日「国民主権」は、民主主義の基本原則であり「人類普遍の
原則」である,また君主制に対立するものであると解される傾向にある。
しかし必ずしもそういえないのではないか。第一イギリスでは主権は
国民になく「国王を含む議会」にある。これでは民主主義の母国と
いわれるイギリスが民主主義でなくなってしまう。一方国民主権を
標榜する国家が必ずしも民主主義国でなく 独裁国または全体主義国で
ある現実をみると、決して人類普遍の原則とはいいがたい。つまり
国民主権と民主主義とは殆ど関連性がない。実際ノルウェー ベルギー
およびルクセンブルクでは 憲法上「国民主権」が明記されているに
もかかわらず「君主国」である。1975年に王政復古したスペインでも.
憲法第1 条に『国家の主権はスペイン国民にあり』と規定されている
が 第56条に『国王は、国家の元首であり 国の統一と永久不変の象徴で
あって』と規定されている。
そもそも『主権』概念はきわめて多義で曖昧なものであり その意味 
内容は時代により 遭遇する環境によって変化してきた。したがって
あまり良いことばといえない。
要するに 「国民主権の政治目標が国民の利害を最も優先的に考慮する
ものであり、それに基づいて政治の善悪の区別がおこなわれることで
ある」とするなら 君主国 共和国を問わず民主主義国家なら当然である。

国民の総意
 天皇の地位は『日本国民の総意に基く』とある。つまり「天皇の地位
の法的根拠が民意にある」ということである。
そこでもし天皇の象徴たる地位が日本国民の多数決によって否定される
ことにでもなれば 天皇はその地位を失う、という学説も現れる。
しかしそもそも「総意」とは 実はルソーのいうヴォロンテ・
ジェネラールのような合理的理念的意思であろう。つまり天皇が日本国
の象徴であることは 日本国民の総意を基礎に確立していること 
すなわちあくまで天皇の地位の基礎づけを示しているだけで 国民の
多数決でその地位が否定されるという意味ではないと思われる。
実際 制憲時もそれ以降も「国民の総意」が確かめられたことは一度も
ない。その手続きがとられたことさえない。結局「国民の総意」とは
あくまで実証の伴わない観念である。したがって「国民」とはなにも
現時点の国民を指すだけではなく 歴史上の国民をも含み「総体として
の日本国民」を意味するのではないだろうか。

皇位の世襲
 憲法第2 条には『皇位は、世襲制のものであって 国会の議決した
皇室典範の定めるところにより これを継承する』とある。またその
皇位継承順位は ・皇長子 ・皇長孫 ・その他の皇長子の子孫 ・皇次子
およびその子孫 ・その他の皇子孫 ・皇長弟およびその子孫 ・皇伯
叔父およびその子孫(皇室典範第2 条)となっている。
もし国民の多数決によって天皇の地位が否定されうるという解釈が認め
られるとするならば この継承規定と明らかに矛盾する。これらの学説
はこの「世襲」規定が「総意」規定の主旨に反し 民主主義憲法に
適さない あくまで現行憲法上の特例であるという。皇位継承について
も『皇統に属する男系の男子』( 皇室典範第1 条) に限られるとする
規定は,現行憲法の平等主義に反するいう。ところが一方には そもそも
皇室員は国民の平等(14 条第1 項)の例外であり 男女平等の原則は
適用されない 
したがって憲法違反ではないとする学説もある。

 ただこうした規定はわが国にのみ存するものではない。今日の
立憲君主国の憲法には多々見い出しうる。ヨーロッパの代表的民主主義
国家・福祉国家といわれるベルギーの現行憲法第60条の『国王の憲法上
の権能は レオポルド・ジョルジュ・クレティアン・フレデリック・ド
・サクス・コブール殿下の直系 実系かつ嫡系の子孫が長子継承の順序
により 男系に従って これを世襲し 女子および女系の子孫は 永久に
継承の権利を有しない。』という規定は その好例である。

2.特別な存在としての天皇
 現行憲法における象徴規定は 総意 世襲規定とともに 天皇を「特別
な存在」として君主および元首たらしめている。また次のような点に
おいても天皇を一般国民(もちろん首相 内閣構成員 国会議員なども
含まれる)から区別し、まったく異なる地位たらしめている。
 天皇には「姓」がない。古来 皇位は一系で受け継がれていることから
 姓を必要としないというのが最大の理由である。
 天皇 皇后 太皇太后 皇太后には「陛下」という敬称が与えられ
 皇太子以下その他の皇族の敬称は「殿下」である( 皇室典範第22条) 。
 天皇の誕生日は国民の休日とされる( 国民の祝日に関する法律第22条) 。
 天皇および皇族の身分に関する事項は 皇統譜に登録(皇室典範第26条) 
され 戸籍法の適用はない。もちろん天皇には住民票はなく住民登録も
ない。

 天皇 皇太子および皇太孫の成年は18才である( 皇室典範第22条) 。
『摂政』という異例をなるべく回避する配慮によるものである。
 天皇は「旅券( パスポート) 」を有しない。「元首はパスポートを
必要としない」という国際儀礼による。皇族は、そのつど「外交旅券」
を取得し 外国旅行される。
ちなみに皇太子の官職欄は「CROWN PRINCE OF JAPAN 」であり
 他の皇族は「MEMBER 0F THE IMPERIAL FAMIRY 」である。
 天皇に対する不敬罪は廃止されたが 名誉毀損については内閣総理大臣
が告訴権を有する( 刑法第232 条) 。
 皇室の財産授受については国会の議決を必要とする( 憲法第8 条)
 皇族が逝去された場合 墓地埋葬法の墓地に関する規定は適用されない。
  但し皇室典範には皇族の陵墓に関する特別規定がある。

 天皇の法的責任
 立憲君主国では憲法上 君主は国政上はもちろん刑事上の責任も問わ
れないというのが原則である。こうした規定は「君主無問責の原則」と
呼ばれ、明治憲法では第3条に『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』と
明記されていた。例えば国民主権を憲法に規定しているベルギー憲法
では第63条に『国王はこれを侵すことができない。国王の大臣が責任
を負う』と定められている。スェーデン憲法第3 条にも『国王の身体は
神聖である。国王は その行為について訴追を受けることはない』と
ある。またデンマーク憲法第13条にも『国王は、自己の行為に対して
責任を負わない。その人格は神聖である』と明記されている。

 現行憲法にこのような規定はない。そのかわり第3 条に『天皇の国事
に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし 内閣が 
その責任を負う』とある。この主旨から実質的政治決定を行なった
内閣が責任を負うため 天皇は政治責任を負う必要がないとされている。
さらに天皇が憲法上「象徴」という特別な地位を与えられていること 
また天皇が未成年または『精神若しくは身体の不治の重患又は重大な
事故により 国事に関する行為をみずからすることができないときは 
皇室会議の議により,摂政を置く』という皇室典範第16条の摂政規定や
『摂政はその在任中訴追されない』( 皇室典範第21条) という規定に
より 天皇は国政上のみならず刑事上においても責任を問われないとされ
ている。また民事上においても天皇を被告とする訴状は却下されると
いう判例がある( 最判平成2 ・11・20民集43・10・1160)

3.基本的人権の制限
 「天皇は一般国民と同様の権利義務の主体である」とする政府解釈
[ 参院・内閣委( 昭38・3 ・29)]に立てば 当然天皇も『個人として
尊重され』なければならない(憲法第13条) 。また『思想及び良心の
自由』( 憲法第19条) 『信教の自由』( 憲法第20条)『学問の自由』
( 憲法第23条) および『財産権』( 憲法第24条) も保障されねばなら
ない。

しかしその象徴規定 世襲規定 国政に対する権能の否定規定により 
天皇は権利義務上多くの制約を負うことになる。一般国民ならば当然
保障されるところの基本的人権も著しく制限される。
まず『象徴』という立場上 天皇の行為は公的 私的の区別が極めて
つけにくい。その行為はほとんど公的であり、私人としての行為は
一般国民に比べ極端に制約される参院・内閣委( 昭50・3 ・14)]こと
となる。
まず「参政権」( 憲法第15条) はない。当然「選挙権・被選挙権」も
認められていない[ 参院・内閣委( 昭55・3 ・27)]。
 また天皇は政治的に中立たるべきであるとされ 特定の政党などに
加入する「集会結社の自由」( 憲法第21条) もない。事実 天皇は
永続的地位を保障されていることにより 私利を計る地位にないため
 党派的に行動しがちな内閣総理大臣よりも遙かに公平無私であるという。

 「職業選択の自由」( 憲法第22条2 項) もない。『皇統に属する男系
の男子』( 皇室典範第1 条) 皇長子は『精神若しくは身体の不治の重患
があり 又は重大な事』( 皇室典範第3条) がない限り 生まれながらに
天皇とならねばならない宿命を負わされている。また一般市民が
「職務」を離れ余暇を楽しむように天皇が「天皇たること」を離れた
行為は 現実的に困難である。つまり天皇の地位は単なる「職業」とは
言いがたい要素を多分に有している。

 憲法第22条の「居住移転の自由」はおそらくない。例えば東京の真ん
中が住みにくいという理由で、勝手な転居は許されないであろう。
もし居住移転が行われるとすると「京」の移動ということなり、多大な
政治的社会的影響をもたらすことになりかねない。「外国移住の自由」
や「国籍離脱の自由」は現実には考えられない。
政治に影響を及ぼすような『表現の自由』( 憲法第21条) は当然制限を
受ける。たとえ政治に関わるものでなくとも天皇の発言は社会的影響力
が大きすぎ したがって全くの自由とはゆかない。
また天皇および皇族の『婚姻は両性の合意のみ』( 憲法第21条) で
成立しがたい。皇室典範第10条によって皇室会議の議を経る必要がある。
天皇に「退位の自由」は認められない[ 参院・内閣委( 昭34・2 ・6)]
 。史実の示すように 生前の退位は 皇位を政治的 党派的対立に巻き込む
おそれがあるからである。

 皇室財産への制約
皇室の財産は国有財産とされている。また皇室の費用は毎年予算計上し、
国会の議決を経なければならない( 憲法第88条) 。皇室に財産を譲り
渡し、または皇室が財産を譲り受け、もしくは賜与する場合にも国会議決
を必要とする( 憲法第8 条) 。

 なお皇室費には宮内庁が経理する公金としての「宮廷費」 天皇・
皇后・皇太子などが私的に使う「内廷費」 その他の皇族が私的に使う
「皇族費」がある( 皇経第〜6 条) 。皇族費 内廷費は非課税とされ
( 所得税法第9 条1 項12号) 旧御料や皇族の財産なども日本国憲法
第88条前段に基づく皇室用国有財産として非課税である。ただ貯金や
有価証券の利子所得 配当所得に対する課税は一般国民同様であり 
源泉徴収によって納められ 地方税も申告によって支払われる。
 遺産相続についても 今回,天皇の積極的意志により現行憲法下
はじめて財産公表が行わた。三種の神器 宮中三殿など6百件は
「皇位とともに伝わるべき由緒有る物」として相続税法上非課税扱い
にされたが 美術品や皇室に伝えられてきた御物類3千件は国に寄贈
された。結局 遺産総額約18億7 千万円が課税対象となり 約4 億3 千
万円の相続税が支払われた。

 これらは「天皇も主権者に含まれる」という政府解釈によって
 憲法第14条の「法の下の平等」に反しないとされている。しかし
これほど天皇の基本的人権が制約され,「国民としての当然の権利」
がほとんど行使しえないにもかかわらず 納税「義務」だけは一般国民
同様 天皇も果たさねばならないことについて問題がまったく残
らないわけでない。天皇が「象徴」の地位にあり,「特別な地位」に
ある点を考慮するなら,課税面についても今後更に検討を要するよう
に思われる。

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