195−1.宮沢賢治の世界



 得丸さんが主催している読者の会に参加しました。その報告を
します。この日は、松本輝夫さんが講師で、宮沢賢治は21世紀
以降の<宗>の源になりうるか?でした。

 宮沢賢治は、日本文学のどの分類にも属さない。分類できない
独特な文学で、以後にも賢治のような文学は出ていない。稀に見る
文学者であった。ミステリアスな存在である。その原因はどこに
あるのであろうか?

 宮沢賢治の詩は、本人からすると、詩ではなく心もようのスケッチ
なのだそうだ。この詩を書いた当時の年齢は20歳。賢治は一日に
10時間40kmぐらい歩いて、心に移る心情を記録していた。

「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたがない
ということを、わたしはそのとおり書いたまでです。・・・なにの
ことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところ
は、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」と。

 これは、シュルレアリズムの「自動記述法」と同じ分類なのでは
ないか。とすると、「我は他者なり」と書いたランボーに近い存在
だ。そして、このランボーも37歳で死ぬ。奇跡的な一致であるが
、賢治は死ぬまで書く続けるが、ランボーは途中で筆を折っている。

 少女殺人事件の宮崎勤が「自分は他人のような気になる。自分が
つかめなくなることがある。」と言っていたが、60年前にすでに
そのことを言っていた人がいたのである。自分のアンデンティティ
を喪失した状態がすでにあったのです。

 宮沢賢治は多神教の世界、ランボーは一神教の世界にいる。この
感性の違いが、一方は、感情豊かに多くのメッセージを残し、他方は
幻滅の内に死すことになったのであろう。東北は縄文文化があり、
賢治も影響を受けている。賢治は宇宙的地質学的スケールで物事を
考えている。宗教の源を賢治は、探っていたかもしれない。
 このため、中村初が言う「宗教は、宗と教に分けられる。宗は源で
派生が教だ」とすると、賢治は宗を目指していたのかもしれない。

 賢治の作品の魅力はどこから来るのか?
賢治語は、マントラに通じる韻や、オノマトベ=ことばの始原的
リズムを多用している。比喩、方言も多い。このため、賢治の
ものは、音読した方がいい。こちらに力が湧いてくる。
言語は昔は音楽だったと思い、ことばの力を信じていたようだ。
コトダマを信じ、言葉に魂を入れるような印象がある。

 賢治は小説は書かなかった。10歳前後の子供たちに人間と自然
とのかかわりあいを教えるために書いたと。人間中心主義は興味が
なかったようだ。しかし、それがいい。大人が読んでも感動する。

 「なつかしき地球はいずこいまははやふせど仰げどありかまでわか
らず」というように4次元的、今は宇宙からとわかるが、60年以上
前に書いたですよ。賢治は宇宙的感覚で書いたのです。しかも、
これは高校時代の作品。

 「人間とは、生命とは、細胞が集まって踊るお祭り」と現代の
生命科学のような視点もある。そして、自分の存在は、死は、世界
と自分の関係は、問いつめていく。すると、自分は奇跡であり、祝祭
なのだとの結論に行き着く。しかし、そこで終わらない。死を乗り
越え、死の先を行こうとした。

 少年犯罪の原因は、少年たちが自分の存在を確認できない所に
大きな原因がある。この観点から考えると、賢治の言いたいこと
は、万物にたましいがあり、万物がすべてと交歓して生きていく
ことが大切なのだと言っている。この感覚は良寛禅師にも感じる
感覚である。最後にこの賢治は次の21世紀の新しい宗として、
釈迦やイエスの再来になれるのかでしょう。???
大量の著作を整理にて、お経にでもするか?しかし、そのお経に
賢治の作品はなるのです。作品が、一種の音楽だからだ。
作品霊を1つ入れておく。
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雪渡りの一部

雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」
お日様が真っ白に燃えて百合の匂を撒きちらし
又雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛けたように霜でぴかぴかしています。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」
四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に
出ました。
こんな面白い日が、またとあるでしょうか。
いつも歩けない黍(きび)の畑の中でも、すすきで一杯だった野原
の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。
平らなことはまるで一枚の板です。
そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光る
のです。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」
二人は森の近くまで来ました。
大きな柏の木は枝も埋まるくらい立派な透きとおった氷柱を下げて
重そうに身体を曲げて居りました。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。狐の子あ、嫁ほしい、ほしい」
と二人は森へ向いて高く叫びました。
しばらくしいんとしましたので、
二人はも一度叫ぼうとして息をのみこんだとき
森から「凍み雪しんしん、堅雪かんかん」と云いながら、
キシリキシリ雪をふんで白い狐の子が出てきました。

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