184−1.日本の失ったもの



 タイの留学生と話し合うことが最近あった。
タイでは、今でも宗教に関する授業が小学校・中学校にある。
 タイは、小乗仏教の国であるので、その教えを教えているのだと思
ったが、勿論小乗仏教は教えるが、キリスト教、イスラム教、ユダヤ
教の教義も教えるのだそうです。

 もう1つ、タイでは今でもお金を得るのがたいへんで、苦労して
いる。日本に来るとお金が簡単に手にできるため、苦労しなくて
済む。ここが大きな違いですと言う。
そう言えば、この10年から20年、日本企業も日本人も、中国や
東南アジアに物を作られて、それを持ってきて商売をしている。
 日本は苦労を他人に押し付けて、自分は楽な方向で商売をし始め
ていると感じる。

 日本人全体の傾向も困難を安易な方法で避けようとしている。
戦後の成長期には、いろいろな難題を1つ1つ克服していた時代
であったが、この感覚が感じられない。
日本のベンチャーも安易に、他人のまねをして大きくなろうとして
いる。このため、底が浅く、すぐに見透かされてしまう。

 この困難に立ち向かう気持ちが、今日本に必要で、その気持ちは
苦労が自分を伸ばす。苦労しないと、楽にならないということが
真に分かる必要がある。日本は成長期の資産があるため、この資産
で食えるために、今楽であるから、苦労する必要がないと感じている
はずだが、苦労せずに置いておくと益々困難な状況になるでしょう。

 この法則は「知行合一」の陽明学に求める必要があると感じる。
また、仏教でも無私によって、困難を乗り越えることができると言って
いる。このような宗教や哲学を失ったことが、日本の衰退や17歳の
少年問題に直結しているように感じる。

 小学校・中学校で、哲学的・宗教的な授業も必要ではないでしょう
か?森首相もそのことが言いたかったのではないですか?

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