183.台湾と私 吉元将軍



                                鈴鹿国際大学教授 久保憲一
 台湾の台南市東区の裕農路という地に「白馬将軍廟(慶隆廟)」
が建てられている。この廟には日本の軍人がご神体として祀られて
いる。わたしは今年の二月二十日に何人かの友人・知人と共にここ
を訪れた。

実は、ここには今回ゼミ学生と共に訪ねる予定であった。台湾各地
の知人・友人たちに随分早くから連絡し、もはや準備万端であった。
学生達も楽しみにしていた。しかし周知の如く私には「教授解任」
事件が勃発した。そこで大学は私に一言の断りもなく一方的に学生
研修中止を通告した。結局、大学と私との間で立ち往生する学生達を
可哀想に思い、彼らに大学当局に従うよう私は促したのである。
しかし学生との約束を果たせず、私にとってまさに文字通り傷心の
旅となった。

 話を元に戻す。亜東関係協会の永山英樹氏によれば、昭和三七年
(一九六二年)、台南市・中山女子中学の整地の折、台湾の中興の
祖と呼ばれる鄭成功軍の部将である謝府以下、一〇六七名の骨壺が
この場所で発見された。謝府は福建省・海戸出身の歴戦の勇士で、
一六六一年(明・永暦一五年)、二千余の部隊を率いて台湾攻略の
先鋒となり、オランダ軍と五ヶ月に及ぶ激戦の末、その部隊共々全滅
したのだという。

 それからというもの、多くの市民の夢枕に白馬に乗った謝府が現れ
、しばしば人々の救済の霊験を顕した。かくて謝府は「白馬将軍」
と崇められ、翌年には市民や市政府によって廟が建てられ、遺骨も
納められたのだという。
 廟の三体のご神体の主神はこの「謝府元帥」であるが、左輔神が
近代服を身に纏った日本人である。「謝吉元将軍」と称し、出身や
事績ははっきりしないが、謝府側近として鄭成功に従った人らしい。
吉元将軍の謝姓は廟の登記の時、外国人名ではおかしいという理由
から義兄弟・謝の名を付けたのだという。また近代軍服というのは
神像制作者がこの時代の日本人の服装を知らなかったからというこ
とらしい。いずれにせよ、この廟に詣でると霊験あらたかだと評判
になり、とりわけ経済界に人気があるという。
 ここには大小五体ほど吉元将軍が並べられている。我々はその前
で堂守の郭海寮さんと共に「君が代」を歌い、祈っていた時、その
中の一体を突然、郭さんは私の目前に突き出した。これを持って帰
れという。私は一瞬わが耳を疑った。本当にこのような尊いご神像
を頂けるのかと私は何度も念を押して聞いたが、よいという。ただし
旧暦の一二月一二日、慰霊祭には、日本でも是非祭ってほしいと
言った。
  帰国二日後(二四日)の第一回審尋に向け、私にはやはり何か
思い詰めた気配があったのか。郭さんは鋭敏にそれを受け止めてい
た。実際、私は新聞紙上でアジアにおける「歴史観」を披瀝、三重
県人権センターの公正を欠く自虐展示や偏向図書数の是正を求め、
今回の裁判に至った。私はその時悟った。おそらく吉元将軍は、
台湾だけでなく、アジア全域に散華されたわが英霊の代表として
その名誉回復を目指して戦おうとする私に力を貸そうと思われたの
ではないか。そうだ、幾万の英霊が今回の私の裁判を支援して下さ
っているのだ、これこそ百人力だ。そして私は何度も何度も郭さん
に謝辞を述べ、吉元将軍を胸に抱きしめ、足取り堅く帰国の途に
ついた。三百数十年ぶりに故国に帰還される吉元将軍と共に。

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久保憲一
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