180−2.周辺諸国との付き合い方



初めまして。
読者の うみ です。

読者の原田さんの意見や、
在日の馬さん

などの意見を見て一言

「シナ」では相手を刺激すぎるし、
「中国」では相手の言いなりなので、
ここでは「チャイナ」と呼ぶべきではないでしょうか
(個人的には「シナ」と呼ぶのが正しい日本語だと思いますが)

また、
韓国・朝鮮・チャイナの人々は日本人を
これ以上挑発しないで欲しい。

石原慎太郎を非難する前に、
「なぜ、多くの日本人が石原慎太郎を支持するのか?」
を考えるべきです。

彼等があまりにも日本人に対して
礼を失した行動をとり続けてきた結果にすぎないということに
気づいて欲しい

日本人は「サムライ」であり、「特別攻撃」をしたことを忘れる
べきではない!

もし、彼等が日本人を侮辱し続ければ、
いつの日か日本人が復讐するだろうと気づいて欲しい
まず、彼等が悔い改めることが東アジアの安定につながるのだ

うみ〜
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(Fのコメント)
基本的には賛成ですが、周辺諸国を脅すのは、いかがなものか?
日本は忍耐と寛容さを維持しましょう。
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いつも愛読させています。
司馬です。
173号の読者の意見について異議があるので一言書かせていただ
きました。

>
> ついでに石原都知事の「シナ」という中国の呼称ですが、私は
> これが正しいというか適当な呼称だと思います.
> 中国とは「中華人民共和国」(そのまえは中華民国)の最初と最後
> の漢字を取って作った略称ですが、中華とは「(世界の)真中にある
> 華やかな」という意味なので「一般名詞」であっても漢民族の国の
> 「固有名詞」ではありません。ちょうどソビエトが「議会」という
> 一般名詞であったのと同じです。
>

異議があります。
ソ連の「議会」と中国の「中華」を同じようなものだと仰っている
ようですが、「中華」という言葉は固有名詞以外の何者でもないで
しょう。
中国以外の国で「中華」という名詞を使っている国がありますか?
それにあなたの議論では中国の人の感情を無視していて、他人を思
いやる気持ちに欠けているのではないでしょうか?
中国人がはっきりと「支那」という言葉を使って欲しくないといっ
ているのに、それを無視して「支那」と言い続けるのは他人に対し
て失礼だと思います。
国内で内輪で使うのならともかく、国際の場でこういうような理論
では失笑を買うだけだと思います。

>  では現在で漢民族の国を表す固有名詞はやはりシナ(支那)が適当
> だとおもいます。因みに英語のCHINAとは支那の英語読みなの
> ですがそれなら別称ではないでしょうか。また英語のCHINAに
> 対応した日本語としてはやはり支那ではないでしょうか。
>

それなら日本を倭と称しても構わないのですか?
何故かこういうことを言う人が後を絶たないのですが、潜在的に
中国が日本より下だと思っているんでしょうね。

司馬
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(Fのコメント)
中国も日本の世論に注意しましょうね。そうしないと、日本の世論
は怒りますよ。自国の軍備を増強して、日本からODAをせしめる。
このようなことはおかしい。日本も中国を刺激しないようにしよう。
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石原発言の六割支持に対する考察 

さきほど、石原発言が何ゆえ六割という高い支持を持って
都民に受け取られたかということを考えないといけないという
Fさんの言葉を受けまして、若輩の身ながら考察したいと思います。
 
結論から申しますと、「隣人ゆえの憎悪」からくるのではないで
しょうか。
 
私の住む街には在日朝鮮人の人たちの住んでいる地区と、
学校があります。
そして、私の街ではかなり朝鮮人差別が激しいのです。
(北朝鮮がバカをやるたびに女生徒が暴行を受けたりする)
これは、隣人ゆえの摩擦から生じていると見受けられます。
お互いなじみ合い、打ち解けることができればいいのですが、
現実には文化の違いや商売のからみで仲良くなれません。
彼らは商売が上手いので、競争に敗れた商店主たちは
鬱憤を晴らすために子供たちに朝鮮人に対する差別的な話をして、
溜飲を下げております。
子供たちは(私たちは)こうして差別的な思想を植え付けられます。
また、子供の頃から学校同士のトラブルも校区が隣接しているため
多発しています。そうして先輩から後輩へとやはり差別の引き継ぎを
行います。
 
翻ってみるに、東京という街は不法滞在の外国人の多い街です。
彼らは低賃金で働くため日本人の失業率を高めているでしょうし、
六本木などは半分スラム街のようになっていると聞きます。
これらに対して常日頃からイライラとしていた人たちが、石原発言を
差別的と取らずに聞いた場合、「よく言ってくれた!」となるのは
分かる気がします。
 
ここまでが考察なのですが、それでいいのでしょうか。
このやり口は、ヨーロッパで外国人排斥を叫んで若者に支持されている
ネオナチなど極右勢力に酷似しています。
今回の発言で都民の支持を集めたとしても、これでは石原氏は
右翼政治家のレッテルから抜け出せない気がします。
 
では、どういう姿が理想的なのでしょうか。
私の実体験を元に話します。
私は在日朝鮮人差別に対して常々「間違っている」と周囲に訴えて
きました。彼らは好きでここに住んでいるのではない事、故国には
実際には帰る場所などない事、仮想敵国に在住するものとして全員が
一致団結して戦闘的な姿勢を採っている事(つけこまれないため)、
みんなは少しずつ私の言葉に耳を傾けてくれ始めました。
そんな高校三年生のある日に、私は理不尽な言いがかりをつけられて、
三十人近い朝鮮高校の生徒に大怪我を負わされてしまったのです。
周りのみんなは笑っていました。「おい、朝鮮人が悪くないと言っていた
神楽坂の奴が朝鮮人にやられたぞ。それみたことか。」と。
私も最初は腹が立ちました。あんなに在日差別を解消しようとしていた
のに、噂どおりに大人数でリンチにあったのですから。
みんなと一緒になって、朝鮮人差別をしようとまで思いました。
しかし、そこで考えたのです。それでは私が今までしてきたことは
何だったのか。彼らの苛立ちを代弁して来たのは私ではなかったか。
だとすれば、私が憎むべきなのは私を襲った連中個人であり、
「朝鮮人」という集団ではないはずだ。
冷静さと寛容さを取り戻した私は以前と変わらず差別の解消に努め
ました。
家族や恋人は理解出来なかったようですが。
 
キーワードは「寛容さ」だと思います。
以前にも「日本は移民を受け入れなければ将来的にはだめだ」と
いう話が出ていましたが、現在の日本人にはそれ程の寛容さが無い
ことを今回の発言支持で露呈してしまいました。
もちろん、不法滞在はさせるべきではなく、一定の基準をつくり、
スラム化させないこと、日本人との衝突を避けるべきシステムを社会が
つくることが前提ですが、我々の中に「寛容さ」を持つ事も未来を
見れば必要なのではないでしょうか。
文章が長くなってしまいましたが、石原発言が高い支持を受けた事に
単純に「そうだよねー」と言っている事に危機感を感じ、投稿した次第
です。
 
神楽坂 紅梅
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(Fのコメント)
在日韓国人は、基本的に日本語しかできず、韓国語はできないか、非常に
へたです。この人達が、自分のことを、韓国人と言っている方がおかしい
のです。まして、韓国文化などはぜんぜん知らない。
 日本に帰化して、日本人になれば、問題ないのです。
問題を摩り替えているだけです。しかし、日本ほど、差別のない国は
ないですよ。在日韓国・朝鮮人には、4LDKの住宅をたった
4000円/月で貸し、路上生活者の日本人には、手を差し伸べない
のですから。逆差別もやめましょうよ。
しかし、日本人が寛容性を持つことは賛成です。

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