176.教育問題の解決に向けて



「優等生」
 
 愛知県の主婦殺害、西鉄バスジャック。最近悲惨な事件が相次い
でいる。両事件の犯人に共通しているのは「優等生」であるという
ことだ。「まさかあの優等生が・・・」私は、マスコミで何度もそ
の表現を目にした。しかし、これまでの報道ではあたかも「優等生
」だったことが事件の主因であるかのように多くの人が感じるだろ
う。果たしてそうであろうか。もちろん、学校制度が彼らに与えた
影響は大きいであろう。しかし、それは一部でしかない。「親」
「友人」「メディア」「事件」など彼らに影響を与えているものは
いくらでもある。それを「優等生」だけをクローズアップして特異
な事件として取り扱っている。「優等生は、このような事件は起こ
さない。」という偏見は、差別ではないか。「優等生なのに・・・
」という表現から、まだ日本は学歴社会であることを感じ、その
表現はマスコミの言う「優等生」を束縛しているように思える。

野田
==============================
(Fのコメント)
野田さん、ありがとう。優等生の視点はそうですね。しかし、もう
少し高い視点から事件を見ましょう。これは、戦後のいろいろな
問題の反省材料なのです。
それは、学歴社会や家庭問題、教育問題、ゲーム等の心理的問題
などです。

 家庭問題は、得丸さんがno.174で議論しているので、その
発展系で議論が必要でしょう。

 もう1つ、教育問題として取り上げる必要があります。戦後教育
の自由主義が問題。利己主義と同意義になっている。この面では、
欧米エリート層の方が、しつけをしている。自由主義は、義務・責任
を伴っていることを、教える。しかし、日本では、この部分が抜け
落ちている。論語といういい教科書があるのですが、これを教えない。

特に、エリート層は、日本の今後を決定する人であるから、私利私欲
に走られると、日本がおかしくなる。この人たちにこそ、人間教育が
必要なのに、優等生はちやほやされる。このため、少し挫折すると
精神的に非常に弱い。

 封建的と、この論語を破棄しているが、この内容を見ると、人間と
して、備えるべき資質が書いてある。現代でも通用するし、古ければ
その部分を改正すればいい。渋沢栄一は明治時代に、彼流の論語を
書いている。

 もう1つの観点は、事件の流れからの解析です。やはり神戸事件で
ハンドラの箱が開いた感じを受ける。この事件で仮想空間での体験を
実空間で経験する欲求が出てきた。動機が簡単。人を殺したいなど。

 それと、社会の閉塞観があり、今後の日本の行き詰りで希望が持て
ないのでしょう。これは日本だけでなく、先進諸国共通の悩みでは
あるが。これらを分析し、今後の教育改革に生かす必要がある。


コラム目次に戻る
トップページに戻る