「優等生」 愛知県の主婦殺害、西鉄バスジャック。最近悲惨な事件が相次い でいる。両事件の犯人に共通しているのは「優等生」であるという ことだ。「まさかあの優等生が・・・」私は、マスコミで何度もそ の表現を目にした。しかし、これまでの報道ではあたかも「優等生 」だったことが事件の主因であるかのように多くの人が感じるだろ う。果たしてそうであろうか。もちろん、学校制度が彼らに与えた 影響は大きいであろう。しかし、それは一部でしかない。「親」 「友人」「メディア」「事件」など彼らに影響を与えているものは いくらでもある。それを「優等生」だけをクローズアップして特異 な事件として取り扱っている。「優等生は、このような事件は起こ さない。」という偏見は、差別ではないか。「優等生なのに・・・ 」という表現から、まだ日本は学歴社会であることを感じ、その 表現はマスコミの言う「優等生」を束縛しているように思える。 野田 ============================== (Fのコメント) 野田さん、ありがとう。優等生の視点はそうですね。しかし、もう 少し高い視点から事件を見ましょう。これは、戦後のいろいろな 問題の反省材料なのです。 それは、学歴社会や家庭問題、教育問題、ゲーム等の心理的問題 などです。 家庭問題は、得丸さんがno.174で議論しているので、その 発展系で議論が必要でしょう。 もう1つ、教育問題として取り上げる必要があります。戦後教育 の自由主義が問題。利己主義と同意義になっている。この面では、 欧米エリート層の方が、しつけをしている。自由主義は、義務・責任 を伴っていることを、教える。しかし、日本では、この部分が抜け 落ちている。論語といういい教科書があるのですが、これを教えない。 特に、エリート層は、日本の今後を決定する人であるから、私利私欲 に走られると、日本がおかしくなる。この人たちにこそ、人間教育が 必要なのに、優等生はちやほやされる。このため、少し挫折すると 精神的に非常に弱い。 封建的と、この論語を破棄しているが、この内容を見ると、人間と して、備えるべき資質が書いてある。現代でも通用するし、古ければ その部分を改正すればいい。渋沢栄一は明治時代に、彼流の論語を 書いている。 もう1つの観点は、事件の流れからの解析です。やはり神戸事件で ハンドラの箱が開いた感じを受ける。この事件で仮想空間での体験を 実空間で経験する欲求が出てきた。動機が簡単。人を殺したいなど。 それと、社会の閉塞観があり、今後の日本の行き詰りで希望が持て ないのでしょう。これは日本だけでなく、先進諸国共通の悩みでは あるが。これらを分析し、今後の教育改革に生かす必要がある。