勝田先生の反論(諸君6月号)



リベラリストとして高名な政治学者であられる勝田先生は、
自由主義擁護の立場からコミュニズムにたいして果敢な論陣を張
られた碩学と承知しておりました。今回「諸君」に載せられた
文章は大学人としての矜持をかなぐり捨てざるを得ない、新設間
もない大学経営に責任を持つ理事者としての苦渋に満ちたものと
拝察しました。先生の前に立ちはだかった黒い影、高校生のこの
大学に対する進学の妨害、就職活動に対する企業への干渉を働い
た勢力、その存在はかって皇學館大学の松浦光修助教授が「無残
やな神の御許の教育界」によって報告されました。三重県の偏向
教育をすすめてきた行政と三教組の恐るべき実態を逆に勝田先生
は明らかにされたものであると読みました。

 インターネットの「大学ランキング」に寄せられた鈴鹿国際大学生
の母校に対する絶望感は西部邁,五木寛之などの著名人を教授陣
に加えながら、経営を重視するあまり大学本来の機能をまっとう
できない学長はじめ教授たちや理事者、何の希望も期待も大学に
寄せられない無気力な仲間の学生たちに向けられたものでしょう。
この対極に明治15年以来「皇国の道義を講じ皇国の文学を修め
これを実際に運用せしめ」ることをもって建学の精神としてきた
皇學館大学がありますが、この大学においてすら、松浦助教授や
新田助教授の言論活動に対して陰湿な介入があると聞いています。

  さすがにこの大学は当局も毅然とした態度で事に処しておられ
るし、学生も「三重県で一番熱い教授」としてこれらの先生方を
敬愛しいるので心強い限りでですが、この皇學館で学んで三重県
下の教育界におられる方々の沈黙はおかしいと思います。
神宮皇學館以来この学校は優れた教育者を輩出してきました。
館友の恩師を慕ってこの大学に学んだ人も数多い。今こそこの素晴
らしい伝統の力を発揮して、三重県の教育界のために言挙げすべき
ではないかと思います。皇學館の卒業生のみならず、教育界に身
を置く神職の先生方も「惟神の道」にのっとって三重県の教育浄化
、これこそ神道の教化活動の最大のもとしてご活躍いただきたいと
願っております。久保先生、松浦先生、新田先生ばかりを働かして
は行けません。 

 大森尚

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