ライ・クーダーがこえたもの



YS/2000.05.05

★傷だらけのカセットテープ

 私の車のオーディオはいまだにカセットテープ式である。プラスティ
ックのバスケットの中に、ケースもタイトルもないテープが何十本も折
り重なって入っている。テープの種類と傷の付き具合で中身がわかる。
 特に汚れの激しいものは、海外放浪にもおつきあいしてくれたものだ。
 
 天気や行き先に合わせてテープを選ぶ。同じような曲ばかりに後部座
席からクレームも入るが、おかまいなしに指でリズムを刻む。

 ライ・クーダーのテープはどれも傷だらけである。

★ライ・クーダーの世界

 ライ・クーダー(Ry Cooder)は、1947年3月15日、
ロサンジェルスで生まれる。8歳のとき初めてギターを手にしたライは、
驚くべき早熟ぶりを見せて、10代の若さでロスの有名なフォーク・ク
ラブ「アッシュ・グローブ」の常連になり、17歳の時ジャッキー・デ
シャノンのバック・ギタリストとしてデビューする。

 エレクトリックギター、アコースティックギター、マンドリンを巧み
にあやつり、特にスライドの名手として知られている。スライド・ギタ
ーは指にガラスや金属製のボトルをはめて演奏する奏法のひとつである。

 多少なりともスライドもかじった経験からすれば、ライブの時などは
ひやひやすることも多い。単にスライドのテクニックでみれば、ライを
超えるミュージシャンは多くいるように思う。ただ、この人にしか出せ
ない独特の乾いたサウンドがあることは間違いない。

 数多くのオリジナル・アルバムを発表しているが、総じて売れたため
しがない。せいぜいヒットチャート50位止まりではないだろうか。
 これは傷だらけのテープに共通する現象でもある。

★ふりまわされるライ・フリーク

 ライの音楽は、一応ロックの範疇で語られることが多いが、本人から
すれば範疇などまったく気にしていないようだ。気持ちのいいサウンド
を求めて世界各地を訪問し、民俗音楽や伝統音楽に溶け込んで帰ってく
る。そして、見事なまでに吸収してアルバムを出す。まったく知らない
アーティストをいきなり紹介され慌てふためくが、レコード会社も慣れ
たもので、すぐにそのアーティスト自身のアルバムも発売する。単純な
私はバカみたいに買いあさってしまうのである。

 1976年発表の「チキン・スキン・ミュージック」では、テックス
=メックス(テキサス=メキシコ)のアコーディオン奏者フラーコ・ヒ
メネスやハワイのスラック・キー・ギタリストのギャビー・パヒヌイや
アッタ・アイザックスらと見事なセッションを繰り広げている。

 おかげで我家にはライ・コレクションの横にはパヒヌイ・コレクショ
ンがずらりと並んでいる。フラーコ・ヒメネスは、途中挫折してしまっ
たが、このアルバムにおさめられた『スタンド・バイ・ミー』でのアコ
ーディオンの音色は、いまでも色褪せることはない。

★日本とライ・クーダー

 ライはたびたび日本を訪れている。ライブ以外にぶらっと立ち寄るケ
ースも多いようだ。行き先は、決まって沖縄。オキナワ・サウンドがお
気に入りのようだ。喜納昌吉やネーネーズなどとセッションしにやって
くる。相棒であるペダル・スティールの名手「化け物」ことデビット・
リンドレーの影響だろう。

 私は学生時代に元サウス・トゥ・サウスのギタリスト「ありやん」こ
と「有山じゅんじ」と一緒に遺跡発掘調査をしていたが、その時に一緒
に鍋をつついた経験からリンドレーの顔が倍の大きさであったことを教
わった。ここに「化け物」たるゆえんがあるようだ。

 日本でも一部に私のようなマニアがいるが、あまり知られていない。
30代から50代の方は、1981年ごろのパイオニアのカー・ステレ
オ・コンポーネント“ロンサム・カーボーイ”のCMの人と言えば思い
出すかもしれない。アロハを着てチューインガムふくらませていたのが
ライである。
 この時バックで流れていたのが、名曲『アクロス・ザ・ボーダーライ
ン』だ。
 比較的最近では、アーリータイムスのCMでスライドギターを披露し
ていた。

 そしておそらくこれがきっかけとなってライは映像に目覚めていく。

★映像と響きあうライ・クーダー

 その後ウォルター・ヒル監督とのコンビで「ロング・ライダーズ」
「クロスロード」などの映画音楽を手掛けるようになる。しかし、どれ
もライの魅力を引き出せていないように思う。

 ヴィム・ヴェンダースは、ライの才能を見事に開花させたようだ。
「パリ・テキサス」はサントラだけを聞くと非常にハードものがあるが、
映像と組み合わせると妙に馴染んでくる。
 そしてこのコンビが手掛けた最高傑作が完成する。『ブエナ・ビスタ
・ソシアル・クラブ』である。

 1997年、一枚のアルバムが発売された。「ブエナ・ビスタ・ソシ
アル・クラブ」である。ライ自らがプロデュースし、最高傑作と呼んだ
このアルバムを発売当日に購入した。そして、ついに同年のグラミー賞
を受賞した。このアルバムはライがキューバ音楽界の古老たちとともに
作ったアルバムで、この音楽に感激したヴェンダース監督は、98年に
キューバを訪れ、アルバムのメンバーへのインタビューを音楽とともに
フィルムに収めその映画が完成する。

 キューバ音楽は、ラテン音楽の源流の一つでありながら冷戦時代の影
響で西側の世界から閉ざされていた。CDの話を持ちかけられるまでの
数年間、靴磨きをして生計を立てていた「ボレロを歌うのに最適な音域
を持った」73歳のイブライム・フェレールや今年で93歳になるギタ
リストのコンパイ・セグンドなど忘れられていたキューバのミュージシ
ャンたちがライとの出会いで生き生きと蘇るのである。

 そして最後のニューヨークのカーネギーホールでの熱狂的なコンサー
ト。夢に見た音楽の殿堂に、不死鳥のようによみがえった彼らの演奏と
歌声が、熱く哀感をこめて響きわたる。
 そして、ライのこれまでの生きざまを知るものにとっては押さえよう
のないものが込み上げてくる。

 ライは、さながら民俗学者のようだ。彼はあらゆるタイプの音楽を何
の偏見もなく、興味深く、そして価値あるものとして絶大な尊敬の念を
持って接してきた。それが、人種や民族や国境などを軽く通り越して世
界中に響きわたっているのである。

8、9月に老ミュージシャンたちのグループ「ブエナ・ビスタ・ソシア
ル・クラブ」が日本で公演する。


●参考・引用

日本経済新聞

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http://village.infoweb.ne.jp/~ryokeiki/

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