165.38度線で朝鮮半島を分断



Fさん、おはようございます。

「美しいものはすべて隠される」のソウルの応用問題まで掲載
いただき恐縮いたします。ありがとうございます。

本来であれば、本編の「ヤルタの亡霊」をちょっと手直ししてから
お送り差し上げようと思っていたのですが、今日朝鮮問題が話題
に出ていましたので、この間の韓国出張で感じたことを帰国した
翌日に書いたものをお送りします。

朝鮮戦争は、38度線で朝鮮半島を分断するという米ソの信託統
治(ヤルタ会談で決定した)を永続化するために仕組まれた戦争
だった、ということを私は肌で感じてきました。

実はその後萩原遼著「朝鮮戦争」(文春文庫)を読みました。萩原
さんは、朝鮮戦争を金日成とマッカーサーの陰謀といいますが、
私はもっと根深いスターリンとトルーマンの陰謀ではないかと感じ
ます。それ以外のところでは、実によく調べた本であり、韓国朝鮮
問題に興味の有る方には、必読書としてお勧めします。

北朝鮮に生まれた人々が哀れでなりません。また、北朝鮮のため
に経済発展も十分にとげられない韓国の人々のことを考えると心
苦しいばかりです。戦後の反日感情も、おそらく米ソによる植民地
体制から目をそらさせるための情報操作だったのではないでしょうか。

また、日本におられる在日朝鮮人の方々の多くが、親戚や家族が
北朝鮮に人質としてとられていて、自由にものもいえない状況にあ
るというのも、悲しいことです。

北朝鮮も韓国も、われわれの大切な隣人として捉え、少しでも彼ら
の福祉が増加するにはどうすればいいのか(植民地国家北朝鮮の
内部崩壊以外ないのでしょうか、、、、)を、みんなで考えてもらいた
いと思います。

自分が北朝鮮に生まれたとしたら、自分が韓国に生まれたとしたら、
というふうに、自分の問題として南北朝鮮問題を考えて見ませんか。
そうすると、なにか別の解決策が見えてくるかもしれません。

得丸久文(思想道場 鷹揚の会、2000.04.25)


荒削りなままの文章でお送りする失礼をお許しください。

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ヤルタの亡霊 
                                        (2000年4月1日 記)

 3月27日から4泊5日で韓国に出張してきた。ソウル一泊、
仁川(インチョン)2泊、ソウル一泊というスケジュール。国
際会議の傍聴がメインの仕事だった。

 ソウルに行くのは10年ぶり。10年前の印象はあまり残っ
ていないのだが、今回キンポ空港に着陸する前に飛行機の窓か
ら見た風景は、中進国のまま。もっと経済発展したことを感じ
るかと期待していたのに、ちょっと意外だった。これも北朝鮮
と臨戦体制にあって、資源の効率的配分ができなかったからか
と思い悲しくなる。軍備への過剰投資が行われたのでは?

 空港からソウル市内にいくときに見たのは、高島平のような
15階だてくらいの高層住宅群。こんなところに住むのはごめ
んこうむりたい。全体として景色に潤いがない。工事中断にな
っているらしい道路や橋を見ると、かつて経済発展をとげて、
日本に追いつけ追い越せというムードだったのは嘘だったのだ
ろうかといぶかしく思う。これでは東南アジアの国よりも元気
がないのではないか。

 初日のホテルは富山の旅行代理店がとってくれたのだが、イ
テウオンというアメリカ軍の駐留基地の近くのやや古びたホテ
ル。首都のど真ん中といえる場所に、アメリカ軍がいること自
体ちょっと変な気がする。そういえば右側通行もアメリカ的だ
し、高速道路の表示なんてアメリカとそっくり。韓国は戦後ア
メリカの植民地になったのだろうか、とふと思う。

 二日目の朝、仁川に移動。時間が余ったので、仁川上陸記念
館を訪問。小高い岡の上に、上陸用舟艇や軍用トラックなどと
いっしょに、突撃(?)する兵士の像と記念館がある。小学校
低学年と思しきこどもたちといっしょに中に入る。展示してあ
るのは、自動小銃、手榴弾、当時の新聞、、、、、

 仁川上陸作戦は1950年9月15日に行われたとある。まてよ、す
ると上陸作戦から停戦まで3年もあるではないか。ノルマンディ
ー上陸作戦とはえらく違う。狐につままれたような違和感を感
じながら展示室の奥へ入ると、そこには二組のマネキン人形が
展示されている。左が韓国、右が北朝鮮。二組の男女の姿が展
示されているのは、どうも韓国の生活のほうが北より優れてい
ることを示すためのようだった。左の男はネクタイをしている
が、右の男は人民服のような作業着だ。でも、それ以外に大き
な違いはわからない。

 振り向くと、文房具、薬品、玩具などなど、さまざまな物が
南北比較されていた。これもそれほど大きな違いはわからない。
もちろん恐らく今の北朝鮮では、こういった品物が簡単には手
に入らないのだろう、という考えは思い浮かんだが。結局、こ
の記念館の意味は、訪れたものに、38度線の存在をありがたく
思えという教育をするためであるらしい。

 これは38度線を引くために戦争をしたようなものではないか。
38度線は朝鮮半島をきれいに二分割する線だ。ちょうどいいと
ころで二分するための戦争だった、、、、。ヤラセか。朝鮮戦
争の結果として38度線があるのではなく、38度線があるから朝
鮮戦争があった、、、、、。

 ここで、38度線はいったい誰がいつ引いたのか、自分の歴史
知識を動員してみるが、いったいいつだれが引いたのか思い出
せない、、、。ホテルに帰ってマクミランの「世界比較文化辞
典」の韓国(South Korea)のところを見ると、「第二次世界大戦
後のヤルタ会議で米ソ両国は一時的に朝鮮を信託統治することを
決め、38度線を境に北をソ連群、南には米軍が進駐した。1948年、
北はソ連の反対により国連監視下での総選挙を実施せず、南だけ
で行われた総選挙の結果、、、、」南北ふたつの国が生まれたと
いうことだ。

 なんだ38度線はヤルタ会談で決まっていたのか。でも今までは
北が一方的に攻め込んできたと考えていたが、ここを訪問してか
らは、実は北が攻め込んだのもはじめから米ソで筋書きがあって、
(「泣いた赤鬼」のように)マッカーサーが善玉顔して上陸する
ことに決っていたのではないか、と思うようになった。

 一時的な信託統治を、恒久的な分断統治へと進化させるために
朝鮮戦争は企画されたのだろうか。展示されていた軍用トラック
が日本製であっただけに、日韓のふたつの国の運命を逆方向に大
きく変えた運命的なものを、感じた。

 韓国の若い人と食事をしながら、「でも一体どうして同じ民族
で殺しあわなければならなかったの? 誰かが『止めろ、同じ
朝鮮人ではないか、殺しあうな!』と自ら盾となるとか、米兵
に後ろから弾を撃つとかできなかったの」と聞くと、「政治家
が民衆を裏切って、自分の権力にしがみつこうとしたんだ」と
いう。
 
 しかし、誰かのせいにしても始まらない。韓国はいまでも徴兵
制度があって、2年以上もの期間軍隊で訓練をしなければならな
い。これが経済成長にとってマイナス効果をもたらしていること
は否定できないだろう。

 冷戦が終了してもなお冷戦時代の分断状態がつづく朝鮮半島は
どうすれば安定化し、発展をとげるのだろうか。たとえば韓国が
一方的に38度線から兵力を引き上げて、国境を解放するというの
はどうだろうか。妙案はないかとしばらく頭を悩ませた。

 よその国のことに立ち入っておせっかいだと思われるかもしれ
ないが、人的資源や財政的資源が無駄に使われているように思え
て、黙っていられないのだ。

得丸久文(思想道場 鷹揚の会、立山止観の会)
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(Fのコメント)
 得丸さんは、韓国サイドから見た感想を述べていますが、これを
北朝鮮サイドから見ると、また違う感想になるはずですね。
どなたか、北から見た朝鮮を投稿してくださいませんか?

 日本は、朝鮮戦争の特需で復興した。もう1つ、日本を再度工業
国家にしないというモーゲンソー構想を潰したのも、朝鮮戦争でした
から、日本はこの戦争により大きな利益を得たことは事実です。

 中国が世界の前面に出てきたのも、朝鮮戦争です。この時の人海
作戦に、米国はビックリさせられたのですから。

 私も、萩原遼著「朝鮮戦争」(文春文庫)を読みましたが良い本
です。得丸さんありがとうございます。

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