161.「国家という迷信」



YS/2000.04.18

以下2000年4月16日日本経済新聞より

書評「国家という迷信」竹内靖雄著 日本経済新聞社・1600円

国会では憲法調査会も始動し国家論が各方面で盛んになっている。
占領下で制定された憲法をはじめ国のしくみを根本から見直し、あるべ
き国家像を描こうという議論が多い。今日の経済の停滞、政治の沈滞、
社会の頽廃、教育の荒廃などを国家観の欠如に求める向きも多い。

本書はそうした論議に、竹内氏一流の皮肉のワサビたっぷりの逆接的だ
がしかし透徹した論点を提起する。竹内氏によれば、国家観の欠如を嘆
き国家に改革を期待してもなんの意味もないという。なぜなら、国民国
家は幻想に過ぎず、グローバリズムの浸透しつつある市場こそが実態で
あり、国家の役割は市場の管理者以上にはなりえないからだ。

日本の明治国家は、天皇の大権と立憲君主制の矛盾という設計ミスで機
能不全に陥り対米戦争の愚を冒した。戦後国家はアメリカが設計施工し
たが、安全を保証してくれる父親がわりのアメリカと甘える幼児(国民)
にひたすら借金を分配する母親(政府)の母子家庭国家だ。地力防衛も
考えられず、ゆすりやたかりに弱い情けない国、国家というより世界帝
国アメリカの属州に過ぎない。

そんな国家に誤った期待を抱いてムダな論議や労力を費やすより、現実
を直視し、世界市場という可能性に満ちた空間で個人がその能力を最大
限に発揮することを考える方が良いと説く。

既成概念や固定観念にとらわれがちな私達に、本書は、いちど頭を自由
にして、国家とはなにかを根本から考え直す機会を与えてくれる。

最終章では、日本国家を再設計するなら大統領制導入や国家事業の民営
化をと提案している。個人が世界市場に生きるべきだとする本書の論理
からすれば、この日本改革論は蛇足にも見えるが、著者のこだわりはや
はり日本国家の改革なのだろう。・・・・・・慶応大学教授 島田晴雄


→新聞片手に書店に走り、先程読み終えたところです。島田教授の書評
があまりに優れているのであえて控えます。
国家なる呪縛から解放されて気分が爽快になりました。実際に世界に出
てみれば残すべきものもはっきり認識できるのではないでしょうか。多
分それは国歌や国旗ではないような気がします。四季の織り成す豊かな
自然や田舎の素朴なおばあちゃんの日焼けした笑顔かもしれません。
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(Fのコメント)
 日本自体の改革は時間がかかるでしょう。なぜなら、日本の国際化は
国民が望んでいない。このためできない雰囲気がある。

 国際化とは、日本の中にアジアやアフリカの人たちを、犯罪者等しか
入国制限しないで受け入れることを意味する。その上、日本の人口が
減少していくため、相当数の外国人がスラム街を作る可能性もある。
治安も悪くなることは、先進諸国の例から明らかである。

 もう1つが現在、国際社会に出て活躍した人で、日本に戻り、日本
から世界に向けて活躍している人の絶対数が少ないため、日本はまだ
世界を実感的に知らない。まあ、海外旅行はブームであるが、この
レベルではどうしようもない。このため、今後の若者が個人的に欧米
に出て、活躍してもらい、国際社会のノウハウを得て、日本に帰り、
日本を改革してもらうしかないように思う。
ソフト・バンクの孫さんがよい例だ。ベンチャー・キャピタルとして
いい意味でも、悪い意味でも米国流を導入した。

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