156.国民国家はいつまで持つか



Fさん、拙文を全文掲載いただきありがとうございます。

文化と歴史について、一言だけ追加で言わせて下さい。

文化も、歴史も、ひとりひとりの生身の人間にとっては、すべて
生まれた後から身につけるものです。

(ちなみに孔子の教える「徳」も同じく生後に獲「得」されるも
のです。)

文化や歴史というものは、もちろん書物やオーディオヴィジュア
ルという形で非人格的に存在しえますが、結局は個々の人間の意
識の上に着床しなければ、存在しないに等しい。

たとえていうならば、コンピューターのハードとソフトの関係で
しょうか。

コンピューターのハードウエアは、ソフトウエアなしで作られて、
その後にさまざまなソフトウエアをインストールしていきますね。
人間も同じです。文化や、歴史や、徳は、個別の人間が成長する
過程で徐々に植えつけられるものなのです。

また、ソフトウエアだけでは何の役にもたちませんね。文化も、
歴史も、徳も、人間に獲得されてはじめて効果を発揮するものな
のです。

ハードに最適のソフトがあるように、私たちも自分で獲得すべき
文化や歴史や徳を選びとっていくことができるし、そうしなけれ
ばならないのです。

日本で生まれ育っても、活け花のできない人はいます。武道ので
きない人もいます。外国で生まれ育った二世三世でも、混血でも、
活け花、武道、なんでもこいという人もいます。人間をとりまく
環境が大きな影響を与えることは事実ですが、その文化を取り込
むかどうかは、あくまでも個人の問題なのです。ここのところは
きっちりおさえておかないといけないと思います。

また、国家が必要だからできたというご指摘には賛成ですが18
世紀以来主流となっている国民国家という仕組みが、21世紀に
も有効であるのかどうかは、予断を許さないのではないでしょう
か。

一言ですまなくなって、ごめんなさい。ますますのご活躍を。

得丸久文(思想道場 鷹揚の会)

PS 歴史のいいソフトとしては、宮崎市定「アジア史概説」(中
公文庫)をお勧めします。短くずばっと書かれているので、なか
なか読み込むことは難しいですが、何回でも読み返すと、そのた
びに味わいのある本です。この本は、大東亜戦争下の文部省の指
示によって書かれたにもかかわらず、時代の制約をものともせず
に、いい仕上がりになっています。おそらく世界の人類が共通の
歴史としても大丈夫なほどに客観的であり、深い洞察を含んだ本
です。世界標準にしたいソフトウエアです。
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(Fのコメント)
フランス人(?)と英語で話す機会があり、彼らの感覚はどうかと
聞いたが、日本人と同様な国家主義的な反応であった。これは、
言語的側面から、米国・豪州・英国などの英語圏の人たちは、
どこでも活躍できるので、グローバリゼーションと言っているので
はないでしょうか?

仏日露などの2線級の国は、どうも、まだ国家主義が抜けないよう
な気がします。それより、後の国はまだ、覇権主義であったり、
王権絶対主義であったり、どうも、まだまだのような気がします。
人間は、だんだんと精神的な発展をするものですから、まだ当分は
世界の大勢は国家主義かそれ以前ではないでしょうかね?
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(韓国紀行)
インチョンで会議が終わったあと、われわれはワゴン車でソウル市内の
ホテルに移動した。ソウルに着くまではわりと単調な町並みだったので
眠っていた人も多かった。

川を渡ると、2002年のワールドカップで使うのであろうサッカー競
技場の建設がすすめられていた。そこからさらに坂道を登ったり降りた
りしながら(ソウルには坂が多い)、車は進む。夕方4時という時間帯
のためか、道路はちょっと渋滞ぎみだ。

そのとき車は突然右折して(韓国ではアメリカと同じように右側通行な
ので右折は簡単)、閑静な住宅街の中に入っていった。それまでは見る
からに安普請の高層アパートか、うす汚い平家の住宅しか目にしていな
かったので、この地域にあるアパートや住宅のちょっと高級な雰囲気が
目立った。

ここはどこだろう。結構いい住宅地だ、と思っていると、漢字で「韓式
定食」の看板が電信柱にぶら下がっていた。店も通り沿いにあった。高
級な家のつくりからして、もしかしてここは料亭街ではないか。車の中
のほかのみんなはあまり興味を示さなかったが、私はあわてて電信柱に
かかっていた看板から、店の名前と電話番号を記憶しメモに写した。

閑静な住宅街の中にそっとあるところが気に入った。「すべて美しいも
のは隠されている」というのが、私がロンドンで4年間暮らして発見し
体得した原則だ。

これはロンドンのあと2年ほど生活した東京にもあてはまった。赤坂の
「氷川別館」、「ビストロ・リヨン」、麻布十番の「第一神宮」、
「アガト」、星条旗通りの「ハテナ」、新橋の「しる富」と「志布志」、
などなど。どれも自分自身で彷徨い歩いて見つけたが、ことごとく人気
のない裏通りにひっそりとある。(しる富は路地の突き当たり) 
私はそういった店をこよなく愛し使ったのだった。この原則はきっとソ
ウルにもあてはまるだろう。

ホテルにチェックインして、ゲストリレーションのカウンターで、店の
名前を見せるが、そんな店知らないという。電話してもらうと、まずま
ずの値段の定食屋であることがわかった。その日の晩会食が予定されて
いたのだが、その店を使おうと思った。

念のために、歩いて5分ほどのところにあるロッテホテルにも行き、そ
の店について聞いてみたが、やはり知らないと言われ、車で20分以上
も離れたところにある別の店を紹介された。

ひとりで食べるのであれば、駄目もとでその店に直行するのだろうが、
晩の会食は当財団の一番偉い人と某国の中央官僚の会食だ。ひとつとし
て手抜かりがあってはならない。

すでに店の住所と地図はファックスで取り寄せていたので、私はともか
くもロッテホテルの前でタクシーをひろい、その店に行ってみることに
した。店の近くでタクシーを降りてあたりを見回すと、料亭の看板らし
きものが2、3見えた。

そこから片っ端に店の中に入って、メニューを見せてもらい、店員の
応対をチェックし、部屋がきれいかどうかを確認した。家の構えや庭
の様子など、第一印象も大切だ。

結局、一番丁寧な対応をしてくれ、庭も家もきれいだった店を予約し
た。料理はどれもおいしかったばかりか、順序よくきちんと一皿ずつ
配膳され、今回韓国で食べたなかでは一番優雅な夕食となった。

得丸久文(思想道場鷹揚の会)

PS
今にして思えば、ほかの看板はすべからくハングル文字で書かれていた
のに、「韓式定食」の店だけは漢字で書かれていたのはどうしてだろう。
ハングルだったら、店の名前もメモできなかったはずである。そもそも
そこが食堂であるということすら確認できなかった。

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