142.国旗・国家についての読者の意見



(読者の意見)
  何時も興味深くよませていただいています。
国旗国歌の件ですが、その法案の理念をしっかりと実行している所
は非常に少ないと思います。
 式の初めに、国旗を揚げ、その写真を撮り、また降ろしたりする
ことが実際に行なわれているからです。(その写真は文部省に送ら
れ、アリバイ工作になります。)
 私の大学の卒業式は参考にならないかもしれませんが、外国から
来る来賓の方は必ず、頭を下げます。しかし、日本人の来賓の方は、
必ずしもそうするわけではありません。どこかおかしいと思いませ
んか?
 もし、今のような教育を受けた子が、その様な席に招かれて、相手
の国の国旗に敬意を払わない姿を見たら、そのホストの国の人はどう
思うでしょうか?

 おそらく、教員がその様な経験はないので、形だけ繕ってしまうの
だと思います。

P.S  我校では、全員が誇りを持って国歌を歌い式が始まります。

大門
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(Fのコメント)
 大門さんの学校は、日本では異常ですね。世界的には常識のレベル
ですが。まあ、国旗に敬意を払うということを、世界の国と同じレベル
にすることが必要でしょうね。日本でも。
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(読者の意見)
こんにちは、いつも興味深く読ませて頂いております。
質問です。

国旗・国歌などの問題が一つのテーマとしてよく議論されております
が、最近自分の中で答えを出せない部分があります。

自分は、やはり2,3年前までいわゆる自虐史観みたいなもので育って
きた人間でしたので、日本を愛さない、近代日本史を悪と見なす、
天皇反対などの意識がありました。

 ただ、学生になり、そして、つい先日まで韓国に留学する機会にも
恵まれ、日本人と言うことをものすごく意識するようになりました。
今は、日本を愛したいという思いが強くなっています。

 ですから、国旗や国歌などには敬意を持つようになりました。

さて、そこで本題に入りますが、私の中で最近分からない部分が、
天皇陛下に対する考えです。歴史的に見ると戦前まで、確かに天皇を
中心とした体制が、日本と言う国家を発展させ、いわゆる教育問題に
も最近よく出てくる「公」の精神を保たせることに成功したと思いま
す。

 では、今後国民が天皇陛下を尊敬するようになったからと言って、
「公」の精神が根付くようになるのでしょうか?この部分に確固たる
確信を持てないでいます。もしそうだとすれば、その具体的根拠をお
ききしたいです。
 また、上記質問と関連して、日本が大統領制で国家を歩むことは、
不可能なのでしょうか?不可能だとすれば、その理由もおききしたいと
思います。

 最後に、以前創氏改名の話が出ました時に、
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創氏改名の強制性は、現場の日本小役人が
熱情に駆られて、強制した可能性はある。が、それより熱心だった
のが、朝鮮統治の朝鮮人役人であったようです。
しかし、朝鮮の庶民は、強制という意味で同じでしょうね。

 この面では、強制を日本国の総意でやっていないことだけは確か。
これは例外事項があるためです。
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とお書きになりましたが、上記意見の根拠となりました参考文献や
資料を教えていただけますでしょうか?

お手数ですがお願いします。

それでは、失礼します。

Y.K
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(Fのコメント)
 自然発生社会は、長い歴史の伝統や文化の上で、社会規範を確立し
ています。その観点からすると、明治以後、戦後までは、日本の歴史
では、異常な状態であったのではないかと考えています。

 欧米先進国の植民地にならないように、無理をしていた時代で
あったため、社会全体が緊張していた体制になっていたと感じます。

 今の日本は、戦前の日本のような緊張感はないでしょう。江戸時代
の雰囲気に近いと思います。このため、社会の体制も江戸の藩に近い
感じになっている。会社が藩と同じような感じです。

 天皇制も、この社会体制の1つであり、戦前と戦後では様相が違う
のです。現在は、江戸時代以前の天皇制に近い。日本にとっては、
現在のような政治から隔離させた天皇制の方が、歴史的観点からは
普通のことであったのです。このため、天皇陛下を戦前のような「公」
の対象にするのは反対です。日本の象徴と尊敬の対象とする方が
日本の歴史的な普遍性があると思います。

 天皇制と大統領制は両立しないので反対です。ドイツなどの象徴と
しての大統領制は必要がない。また、米国の実権大統領制は、議会
民主主義制度では、首相公選と同じになるので、それでいいはず。

 創氏改名については、辻本さんのHPで検討されているので、
それをみてください。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai
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(読者の意見)
広瀬です。私の意見とはやはり少し違うと思います。
 
まず社会規範の話ですが、社会規範は確かに必要であるが必ずしも
それが社会のためになるか??というと疑問である。戦前は朝日など
マスコミに影響された社会規範が日本を戦争へ走らせた。社会規範
をあたかも国民の総意と受け取る人間がいるか歴史をみる限りそれ
は疑わしいものだ。
 
中国とアメリカの愛国心の教育もあなたは全く別のものをごっちゃ
まぜにしている。アメリカの愛国心は国への批判を許容する愛国心、
中国は国民による批判を全く許容しない愛国教育です。戦前の日本
は後者でしょう。今後我々が向かうべきなのは前者でしょう。
違いますか?。あなたは国を批判する勢力を認めないんですか??
そうだとしたら、やはり国旗国家論争に私自体賛成するわけにはい
きません。国が悪いことをするという可能性はいつの時代にも存在
することなのでそれを監視すること自体は悪いことではありません。
 
別に戦争が起きたのは愛国心や国旗のせいではなく、批判を許さない
愛国心にあるのではないのですか??確かに今の日本の自虐史観には
目に余るものがあります。しかし、戦後50年、国旗や国家に
アレルギーを示す人間がいてもおかしくはないでしょう。そういった
意味で今早急にこの問題を片付けるのはあまりよいことではないのです。

また公務員の話ですが、公の仕事なんだからそんな甘いことをいって
は困ります。国民に愛されようと愛されてなかろうと仕事をするのが
公務員です。国民からの愛があれば不正は減りますか?北朝鮮は国民
から愛がありますが、現状はどうですか??アメリカしかりです。
それは本人の公の意識の問題で国民から愛国心という意味はあまり関係
のないように思えます。
 
天皇を愛することはすばらしいことだと思います。しかし悪魔で天皇
は公の政府からは分離しなければなりません。あなたの意見では見事
に天皇と公的機関の仕事が結びついてますよ。官僚の変革は必要で
しょうね、国旗、国家も将来的には国民が歌えるときがくるはずです
。反動形成を起こさずこういった懸案を処理することが我々国民の
使命だと思います。
 
以上。 どう思われますか?
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(Fのコメント)
 事実として、社会規範はあるのです。認める問題ではありません。
もし、広瀬さんのような意見であれば、その社会規範を改めるという
問題でしょうね。問題の立て方が違う。戦後はこの手の社会的に必然
のものを否定することが横行したため、事実が見えなくなる問題も起
こしているのです。

 私が中国、台湾、米国にしか行ったことがないので、例に出した
までで、世界の教科書を読みと、日本以外の全ての国は愛国心を言って
いますよ。体制の問題ではありません。また、愛国心と自由民主主義は
、同列で議論するのはおかしい。日本が好きでも、日本が進むべき路線
は自由に議論していいはずですよね。これも、戦後、論理のすり替えと
いう技法で、愛国心を持たせないようにしたGHQの開発した論理技法
です。

 国を批判するとは、どういうことですか?日本を悪くする批判は、
当然、あまりよくないですよね。日本を良くしようとする意見は自由
に、議論すべきですよね。それが政府の見解を違っていたとしても。
ベースは日本の国がうまくいってほしいという愛国心が必要ですよね。
愛国心を持った国民が自由に議論するのが民主主義ですよ。

 公務員も考えるべきです。それには賛成ですが、国民も甘い。海外に
自衛隊を派遣するなといいながら、何か危機になると、助けないのは
おかしいという。自己矛盾を起こしているのですよ。無理ですよ。
たとえば、大使館の警護は自衛隊がするべきです。海外での日本人保護
の拠点防衛もできていない現状ですよ。大使館は日本の領土と同等なの
ですから。
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Fさん、
貴方の論説は非常に説得力があります。、海外に居る古い日本人とし
て私は感激しました。今後を戦後の間違った教育で育った可愛そうな
年代の日本人が誇りを持って「私は日本人だ」と言えるように指導し
て下さい。渡辺。
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(Fのコメント)
 ありがとうございます。今後も努力をしていきたいと考えています。
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(読者の意見)
初めてメールいたします。
わたくしは現在アルバイトで生計を立てている24歳の者です。
このメールマガジンはいろいろと物の見方が増えて楽しいので、
いつも心待ちにしております。
最近、若い方の意見が載りましたので「そうだ、他の若い意見も
述べたら良いかな」と思い、キーを叩いております。
 
皆さんがおっしゃる「社会規範」とは確かに重要なものと考えます。
ただ、私が思うに国旗国歌法に関する論争はなんだか本末転倒な
気がします。
多くの方の意見によれば、「愛国心」は必要な物であり、諸外国でも
常識だということになります。
しかし、それと国旗や国歌を愛すのは別の問題ではないでしょうか。
いや、別の問題というのではなく、順序が逆なのだと思います。
国を愛するからそのまま、国旗を愛し国歌を愛するのではないで
しょうか。「私は国を愛している。だから国旗を掲げ国歌を歌うのだ」
と。
その前提は「国が愛すべきものであるもの」だと思います。
日の丸をいくら振ろうと、君が代をいくらきかされようと、愛国心など
微塵も芽生えてはきません。
今の国は愛すべきものでしょうか。これはこれで大問題なので、
深入りせず、国旗国歌の論争に戻りたいと思うのですが、
かく言う私めは小中高大学と日の丸に抵抗を感じず、君が代
斉唱には起立していました。
しかし歌いませんでした。理由は簡単です。曲がいいと思えず、
歌いにくいからです。また、歌詞も君主制の肯定ですので馬鹿らし
かったからです。(何かを崇拝してそれに依存するのは自分というものを
確立できない未熟な人間のすることだと思います)
ただ、歌う人は歌えばいいじゃん。僕は嫌だよ。と思っていました。
 
大事なのはそこではないでしょうか。
歌う自由、歌わない自由、それぞれが認め合えばいいのではないで
しょうか。
国旗国歌法が制定された背景には広島の高校の校長先生の自殺が
ありました。あれは歌え、歌わせないという圧力の板ばさみに遭った
とてもむごたらしい事件だったと記憶しています。
そして、政府は「この法律は国旗国歌を強制するものではない」と
明言しはしましたが、教育委員会では「国旗国歌は法定されたのだから」
と強制しています。
私はそういう風潮を空恐ろしく感じるのです。
 
国旗国歌を強制して、愛国心が芽生えますか。
朝鮮人民共和国のような体制ならば民衆を煽動することは可能でしょうが。
 
私は君が代は歌いません。
しかし国に大事があればこの命を盾に守り抜きます。
ただそれは、国を守っているのではなく、私の愛すべき人たちを守る
戦いなのです。
国があるから人が生きているのではなく、人が生きていくために
国をつくっているのです。
私は現在、こんな守るに値しない国家(日本)を、人々が愛すべき、
人々が守るべき国に変えていくために勉強を続けています。
今の私にはそれしかできません。
 
国旗国歌を強制して、愛国心が芽生えますか。
愛すべき国をつくるのが先決ではないですか。
 
さて、このメールマガジンを通して私が述べたいのはここからです。
私はそれでも国旗国歌法には反対しません。その存在を否定しても
仕方がないからです。必要でしょう。
しかし、それを強制するのは憲法に違反すると思います。(憲法は
憲法の否定すらも認めている)
ですから、国旗国歌法に新しい条文を付け加えることを提唱したいのです。
それは
「何人たりとも、国旗の掲揚又は国歌の斉唱を強制してはならない」
という一文です。
これなら、あらゆる会派の方々にも賛同を得ることができるのでは
ないでしょうか。
 
若輩ながら長々と意見を述べさせていただきました。最後まで
読んで頂き、ありがとうございます。
厳しいお叱りの文などお待ちいたしております。
2000.3,28,  原田
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(Fのコメント)
 個人の価値観は法律等で規制するのは、無理があります。私は、国歌
を歌わない。これを法で規制することはできないことです。個人の心情
の自由に関する問題ですから。

 しかし、公的機関、特に行政機関(公立の学校を含め)は、日本の
法を施行するところですから、日本の法や社会規範に準拠してことが
義務です。それがいやであれば、私立の学校に入学するべきです。

 一般家庭、私立の学校は今でも、強制できないのですから。よって、
法律の改正は必要ありません。国歌の斉唱・国旗の掲揚をしなければ
いいのです。
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(読者の意見)
こんにちは。国家観についてよくアメリカと日本の比較がでてくる
のですが両者を単純に比較するのはよくないと思います。
なぜならば、両国の国家観の目的が違うと思うからです。
現在、日本で日の丸・君が代を奨励しているのは、日本人としての
自信を構築しようとしているのに対して、アメリカの
それは国を一つにまとめるためのものだと私は考えるからです。
日本が、もともとその土地にすんでいた人々で構成されている国で
あるのに対して、アメリカは想像された国である。だから、国旗や
国家を全面にだすことによって、国民を一つにまとめようとしてい
るのではないでしょうか?愛国心というモノで国を一つにまとめな
ければ、アメリカという国がまとまらないのだと思います。
アメリカは移民の国であり。それぞれは、アジア系であったり、
ヨーロッパ系であったり、アフリカ系であったりとまさに
人種の坩堝である。まさに多種多様といえるでしょう。
ゆえに、私は両国の国家観が異なったモノであると考え、
同一に扱うのはどうかなと思いました。

                    M・Y
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(Fのコメント)
 米国だけではなく、日本以外のすべての国の教育では、愛国心を
持つことを薦めています。米国と日本は国情が違いますが、教科書
では、日本だけが、違うことになっているのです。世界的に、自国
を徹底的に悪いとしている国はありません。その点をご確認ください。
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(読者の意見)
はじめまして。Mと申します。天皇家についてのわたしの考えを書
かせていただきます。

多くの人と天皇家の出会いは、テレビを通じてだと思います。日常
のテレビ鑑賞の感覚からでは、たとえば、英国の皇太子と日本の
皇太子を見比べることもあります。どちらが美男子かという卑しい
見方で。皮肉にも、そういったテレビの見方を養うのに最適なワイド
ショウで、天皇家は取り上げられることが多いですし。

伝統を継承していく人々ということでは敬意を表しますが。世襲の
権威にしがみつかなくても、国際的な地位を築き上げていく人たちも
多くいます。ポップな例では、中田英寿や北野武。いまさら、北朝鮮
のようにはなれないですし、なる必要もないと思います。
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(Fのコメント)
 日本の歴史では、天皇が実権を持っていたのは、平安時代以前の限ら
れた古代しかないので、北朝鮮と比較する必要がありません。
 日本の歴史では戦前が異常だっただけだと思います。今後も戦前の
体制になる可能性はないと思いますよ。数千年の支配は、統治権を他者
に譲ったがゆえ、できたことです。そこに日本歴史の叡智があると考え
ていますから。

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