141.葉隠再反論、再々反論



コラムno.134「葉隠の反論と再反論」について・・・

興味深く読みましたと言いたいところですが、正直言って、光舟氏
とpm氏のレベルが違いすぎて勝負になりません。大関と序の口の感
じです。pm氏は浅薄です。
もっと謙虚にならないと、真実を掴むことは難しいでしょう。発言
者としての勇気は買います、しかし、今後の成長を期待する意味で
、苦言も呈しておきたい。

さて、光舟氏が上杉謙信のことを書かれておりましたが、この方は
敵方である甲斐の武田信玄に塩を送ったことで有名です。これが「
敵に塩を送る」という故事になっていることはpm氏も知っておられ
るでしょう。後世の人々に上杉謙信公と呼ばれ、神社に祀られてい
るのもご存じでしょう。歴史の中で多くの人々に慕われた人を、神
もしくは神近き人として尊敬し崇めてきたのが日本人なのです。

謙信の信玄に宛てた書状には次のようにあると伝わっています。
・・・pm氏にこの言葉を贈りたい。

「聞く北条氏、公を苦しむるに塩をもってすと、これきわめて卑劣
なる行為なり、我の公と争うところは、弓矢にありて米塩に非ず、
今より以後塩を我が国にとれ、多寡ただ命のままなり。」(新渡戸
稲造著「武士道」より)

また同書に、「上杉謙信は14年の間、武田謙信と戦ったが、信玄
の死を聞くや「敵の中の最も善き者」の失せしことを慟哭した。」
とも・・・

以上、ご参考まで。  3/23  Adati
==============================
再反論(笑)

重箱の隅をつつくようですが一つ一つ反論していきます。

豊臣方と徳川方で天下を争う緊迫した状況で、判断を間違
って負ける方についたら間違いなくお取りつぶしです。

<その通りです。しかし私の固定観念にある『義』とは取り潰しを
省みずに豊臣家をまもろうとした石田三成の方にあるのではないか
と思うのです。
もちろん彼は当時すでに佐和山城に蟄居中であったため、破れかぶ
れであったのかもしれませんが・・・。現に加藤清正は仮病を使っ
て関が原には参戦していません。取り潰しを免れることを一番に考
えたのであれば明らかに彼ら(徳川についた武将たち)は「利」で
動いたのです。あなたの文章にそう書いてある(笑)。

後、「腑抜け同然」と仰るが、何を指してそういわれるのか正直な
ところ見当がつかない。
前進たる龍造寺家は、ただ一度、島津家に負けた以外敗戦はないし
、また、このとき主だった者が討ち死にしたのも、このまま負けて
生きるのを潔しとしなかった連中です。猛猪短慮であっても、臆病
者ではありますまい。この将士が後の鍋島藩藩士となるのです。
また、鍋島家の初代である直茂は、病弱で軍の指揮ができない正家
に代わって「代理」として朝鮮出兵に参陣渡海して先陣を受けてお
り、また、後の大阪の陣にも参陣して戦功を挙げています。
個人的には、「腑抜け」と全く縁遠いとおもいますが。。。。

<そのただ一度の敗戦において主君を討たせた張本人が鍋島では?
違うのですか?鍋島の名前を上げる為に主君を敢えて討たせ、
鍋島家を大名にしたのでは?私はそう思っています。
実際は違うかもしれませんが・・・。私の固定観念通りであれば、
明らかに鍋島氏は利で動いた。後の軍功も全て時の天下人に
こびへつらうものであったと思っています。アイデンティティのか
けらもない人だと思うのですが・・・・。

「義」に反する者共を塵芥の如く蹴散らした上杉謙信公がそうです
ね。

<とんでもない(笑)。上杉謙信は明らかに利、あるいは自己満足
で沢山の人を敵味方に限らず死なせたのですよ?足利幕府に本気で
義を感じていたなら、越後の領国全てを失ってでも織田信長に挑ん
でいたのでは?もちろんそんな阿呆についていく部下がいるとは思
えませんが。

他に有名どころの武士では、主家大友家を支えるために粉骨砕身働
いた立花道雪。雲霞の如く群がる島津軍をただ一城に立てこもって
、衰亡する主家の援軍をあえて断って下ることなく討死した高橋
紹運。

<これは単純です。彼らにはほかに取るべき道がなかったのでは?
島津は降伏者を許さなかったのは有名ですし、宗麟は当時、もはや
名将といわれたかつての宗麟ではなく、家臣の女房を寝取るために
その家臣を殺すような愚人であったはずです。「もぅいいや・・
・」と思っていたのではないか?と私は考えます。彼らは自分の
名前を後世に残すために戦ったのであって、決して大友家の為に戦
ったのではないと思われます。結果的には大友家の名前を残すこと
に協力しましたが。

長篠城の合戦での鳥居強右衛門(すねえもん)

<かれはただのアホです。どこまでが史実なのか分かりませんが、
少なくとも援軍の到着を仲間に知らせるために再び篭城中の城に
もどり、さらに敵につかまり、両軍の士気を上げた。結果的には
彼の行動は長篠合戦での織田・徳川の勝利を呼びこんだものの、
「余計なことしやがって!」と信長さんは思ったに違いありません。
なぜなら長篠の合戦では武田よりも織田・徳川の方が戦死者が
多かったと言われています。まあ、これを義であるというなら
私はそれ以上言葉がありませんが・・・。


浅井の裏切りにより窮地に陥った信長を救う
ため、自ら死地である「しんがり」を買って出た後の羽柴秀吉。 
敵が首級を執拗に狙うため、しんがりで生き残るのは10中8,
9難しい。
 にもかかわらず、これを「利」で買う人間がいるとすれば、
通常いないでしょう。 

<まったく逆です。これを義でやる人間などいない。少なくとも
秀吉は利でやったのは明白です。なぜなら彼は織田家の中にいた
からこそ見出された人間であるが、秀吉が考えていたのは明らかに
出世であり、そのためにはどうしても織田信長が「生きている」
事が必要であった。
もしも他家において同じような人事制度が行われたいたなら、
さっさと逃げ出していたでしょう。織田家が潰れたなら自分も一緒
!このような考えを忠誠心と誤解している人もいますが、秀吉はそ
んなつまらない忠誠心など持ち合わせていなかったでしょう。その
証拠に実際に殿をつとめたのは正確には秀吉ではなく弟の秀長です。
秀吉はただ
夜明けまで焚き火をして、弟を見捨てて京都に向かって走っただけ
です。
この秀長の忠誠心を義と呼ぶなら私は納得しますが、秀吉の行動を
義であると主張する意見は愚の骨頂では?

忠臣蔵はよく見ていけば、実質的に「近代法はどうあるべきか」を
形を変えて示しているのです。

<その通りと思います。しかし、近代法においても「不公平」こそ
が「公平」な状態であることは現実が証明しています。イヤな言い
方ですが弱肉強食こそが公平であり、弱者が強者に守られ、強者の
税金によって生活し、「生かされている」のが現状でしょう?
 これを不公平と言うなら、弱者の負担は猛烈に増えていき、より
貧富の差が開いていくことはアメリカの例を見ても明らかです。

貴兄の文章からして、おそらく学生、それも「卒論」と言った論文
を書かれた経験のない方であろうとおもいますが、

<失敬な(笑)。これでも一応大学を卒業し、中南米債務問題
についての卒論も書きましたよ(笑)。原稿用紙300枚くらいで
すが・・。
しかも半分以上引用です、あなたのご想像通り・・・・(笑)。
あははは。文章が拙くて、なかなか意味がわかりづらいかもしれま
せんが、週末は時間があるのでゆっくり話しましょうよ(笑)。

 国際戦略コラムの管理者の方々!迷惑ですか?
少なくとも「議論」が存在するのは他の読者の方々にとっても、
恐らく面白いのではないかと思うのですが・・・・。
 
 光船様 返事御待ちしています

野村 哲也 
==============================
野村 哲也さまへ

>  再反論(笑)
>
> 重箱の隅をつつくようですが一つ一つ反論していきます。
>
> 豊臣方と徳川方で天下を争う緊迫した状況で、判断を間違
> って負ける方についたら間違いなくお取りつぶしです。
>
> <その通りです。しかし私の固定観念にある『義』とは取り潰し
>を省みずに豊臣家をまもろうとした石田三成の方にあるのではない
>かと思うのです。
> もちろん彼は当時すでに佐和山城に蟄居中であったため、破れか
>ぶれであったのかもしれませんが・・・。現に加藤清正は仮病を
>使って関が原には参戦していません。取り潰しを免れることを一番
>に考えたのであれば明らかに彼ら(徳川についた武将たち)は「利」
>で動いたのです。あなたの文章にそう書いてある(笑)。

先日のわたくしの反論のこの部分で論じていたのは、「『鍋島家』
は正義に外れているか?」という話しです。貴兄が反論を付するの
であれば、「鍋島家が正義に外れている」と言う論拠を申し述べる
必要があるでしょう?
貴兄の論理思考では、《加藤清正公などの武将が「利」で動いた》
ことが「『鍋島家』は正義に外れている」ことに結び付くのですか?
 通常、そんな論理思考はないでしょう?


それから、鍋島家の話しをするところで石田三成の話をだすのも、
あまりに突飛でしょう。
貴兄の反論の構造からすれば、豊臣秀吉と言った個々の戦国武将を
論じたところで出すのが普通の感覚です。
後で石田三成の話をすると、話しの筋道が混乱するので、この件は
ここで処理します。

<佐和山城に蟄居中であったため、破れかぶれであったのかもしれ
ません>
破れかぶれの人間が、どうして両軍合わせて数十万の大軍となる大
合戦を行いますか!!
貴兄は、数万人の人間が破れかぶれの人間に自らの命運を委ねると
お考えですか?

<私の固定観念にある『義』とは・・・・石田三成の方にある>
そういわれるのなら、何故、先の反論で『「義」で動く戦国武将は
一人もいない』と断言されたのです?

<明らかに彼ら(徳川についた武将たち)は「利」で動いたのです。
あなたの文章にそう書いてある(笑)。>
当たり前です。 わたくしは先の反論で、『「利」で動く武士もいる
ほか、「義」にしたがった武士もいる。』として、義にしたがった
武士を列挙したはずです。 それがどうして、わたくしが『「利」で
動いた武士は一人もいない』と言ったことになるんです? きちん
と反論を読んでいるんですか!? 人の見識を嗤う前に少しは相手
の文意ぐらい掴んで欲しいものです。


>  後、「腑抜け同然」と仰るが、何を指してそういわれるのか正直
>なところ見当がつかない。
> 前進たる龍造寺家は、ただ一度、島津家に負けた以外敗戦はない
>し、また、このとき主だった者が討ち死にしたのも、このまま負
>けて生きるのを潔しとしなかった連中です。猛猪短慮であっても、
>臆病者ではありますまい。この将士が後の鍋島藩藩士となるのです。
> また、鍋島家の初代である直茂は、病弱で軍の指揮ができない
>正家に代わって「代理」として朝鮮出兵に参陣渡海して先陣を受
>けており、また、後の大阪の陣にも参陣して戦功を挙げています。
> 個人的には、「腑抜け」と全く縁遠いとおもいますが。。。。
>
> <そのただ一度の敗戦において主君を討たせた張本人が鍋島では?
> 違うのですか?鍋島の名前を上げる為に主君を敢えて討たせ、
> 鍋島家を大名にしたのでは?私はそう思っています。
> 実際は違うかもしれませんが・・・。私の固定観念通りであれば、
> 明らかに鍋島氏は利で動いた。後の軍功も全て時の天下人に
> こびへつらうものであったと思っています。アイデンティティ
>のかけらもない人だと思うのですが・・・・。

<・・・・私はそう思っています。> そう思い込まれるのは結構
ですが、きちんと事実(この場合は「史実」ですか?)に基づいて
、反論してください。
「史実」と言った事実の解釈において、異なる価値観に基づき見解
が分かれるのであれば、それはそれぞれ立派な解釈に基づく見解です。
 一般には、こういうものを『学説』と言うのではないでしょうか?
貴兄の見解は、「史実」の解釈以前の段階である「史実」の認定す
らほったらかしにしたままです。
<実際は違うかもしれませんが・・・。> 実際が違うのなら、貴兄
の主張は、『信じている』事実を基に鍋島家がこうあるはずだとい
う「仮定」の主張を繰り返しているにすぎないでしょう? わたくし
が一応「史実」に基づいて反論した段階で、既に仮定の話をする段階
は終わっていますし、またその実益はなくなっています。

念のため、再言致しますが、わたくしが言いたいのは、貴兄の主張
する「固定観念」が単なる思いこみにすぎないと言うことです。 
そして、その思いこみを「鍋島家」に押しつけて、これが妥当な見解
であると開き直っている。それを一般には、『偏見』と言うもので
はないでしょうか?
 これを刑事事件に例えるなら、貴兄は、有りもしない事実を被告
人に押しつけ、裁判官の主観のみで「有罪」と認定しているような
ものです。

それから、先日の反論で、わたくしがこの段落で貴兄に反論した
論点は、「鍋島家は『腑抜け』かどうか」という点です。 この点
について、貴兄は何の返答もしておられない。。。 それどころか
、かかる論点に箝口したまま、これとは別の「鍋島家は正義に外れ
ている」という話しをされている。 これを善意にとれば、論述
下手だから仕方ないとも思えるし、悪意にとれば、話しをすり替え
ているようにしか思えない。
当方は、論議に資するようにできるだけ一段落に一論旨を織り込む
ようしておりますので、できればその辺りをご配慮いただきたい。


> 「義」に反する者共を塵芥の如く蹴散らした上杉謙信公がそうで
>すね。
> <とんでもない(笑)。上杉謙信は明らかに利、あるいは自己満
>足で沢山の人を敵味方に限らず死なせたのですよ?足利幕府に本気で
> 義を感じていたなら、越後の領国全てを失ってでも織田信長に挑んで
> いたのでは?もちろんそんな阿呆についていく部下がいるとは思
>えませんが。

浅見の者は、無学の者より始末が悪い。「敵に塩を送る」という故事
について、貴兄の見解を皆さまに一度披露されると良いでしょう。


> 他に有名どころの武士では、主家大友家を支えるために粉骨砕身
>働いた立花道雪。雲霞の如く群がる島津軍をただ一城に立てこもっ
>て、衰亡する主家の援軍をあえて断って下ることなく討死した高橋
>紹運。
>
> <これは単純です。彼らにはほかに取るべき道がなかったのでは?
> 島津は降伏者を許さなかったのは有名ですし、宗麟は当時、もはや
> 名将といわれたかつての宗麟ではなく、家臣の女房を寝取るために
> その家臣を殺すような愚人であったはずです。「もぅいいや・・・
>」と思っていたのではないか?と私は考えます。彼らは自分の名前を
> 後世に残すために戦ったのであって、決して大友家の為に戦った
>のではないと思われます。結果的には大友家の名前を残すことに協力
>しましたが。

ハッキリ言います。 「憶測」にのみ依拠して、自らの見解を披露す
るのは、止めなさい。
高橋紹運は、3ヶ月以上も500名程度の家来で、1万近い島津軍
相手に一歩も引かなかったのです。
最後は、すべて討ち死にして果てました。 そういう「名将」にあた
る方です。
<島津は降伏者を許さなかったのは有名です> 
それなら、肥後球磨の相良家はどうして島津家に従属できたのです?
また、長い攻城戦の間、島津家は大友家の禄の数倍の報償をもって
紹運に働き掛けましたが、すべて追い返しています。<「もぅいい
や・・・」と思っていた>人間が、かかる招きに下らないのです?
 貴兄の感覚が異常なのかはたまた紹運の感覚がおかしいのか、その
答えは明白でしょう。

> 長篠城の合戦での鳥居強右衛門(すねえもん)
>
> <かれはただのアホです。どこまでが史実なのか分かりませんが、
> 少なくとも援軍の到着を仲間に知らせるために再び篭城中の城に
> もどり、さらに敵につかまり、両軍の士気を上げた。結果的には
> 彼の行動は長篠合戦での織田・徳川の勝利を呼びこんだものの、
> 「余計なことしやがって!」と信長さんは思ったに違いありません。

長篠の戦いの後の論功行賞で、強右衛門の家族にわざわざ岐阜より
恩賞が与えられています。
「余計なことを」とは、何を根拠に発言(もはや「妄言」と言って差
し支えないか?)されるのか?
ちなみに、家康は強右衛門が再び長篠城にもどるのをやめるよう諭し
ています。
かかる主君のありがたい計らいにも拘わらず、まだ「務め」を果たし
ていないとしてもどっていったのです。

貴兄は、事実に基づかずに自らの弁舌を誇ることが恥ずかしいことで
ある、と言うことをそろそろ学んだ方がいい。一体、大学で何を学ば
れてきたのか? 少なくとも、大学であれば、自らの研究をするに
おいて「客観的な根拠」を基になすことを教育するはずです。 理系
で有れば、数字。文系で有れば、具体的な事実。ちなみに経済学なら
、統計と言った資料でしょう? 貴兄は、本当に大学に入学された
経験をお持ちなのか?
まったく持って信じ難いところです。

最後に付け加えますが、
<物の見方というのは、それを見た人の数だけあるのです。「事実」
は一つですが「真実」というのは人の数だけあるのです。>と、貴兄
は依然仰っておられたが、貴兄は自分の言ったことすらまったく守っ
ていないではないですか?
貴兄は、「事実」の一つすらきちんと認定せず、その代わりに「こう
あるはずだ」という自分勝手な『憶測』に依拠して自らの見解を正当化
しているだけです。 貴兄は、『憶測』に依拠した見解が「真実」に
値するとお思いか!?正直なところ貴兄に猛省を促したい。


> なぜなら長篠の合戦では武田よりも織田・徳川の方が戦死者が
> 多かったと言われています。まあ、これを義であるというなら
> 私はそれ以上言葉がありませんが・・・。

長篠の戦いで、武田家の軍団はほとんど壊滅しました。織田・徳川
連合軍で壊滅した「備え(軍団)」はありましたか?貴兄は、信玄が
西上した
ときの織田・徳川連合軍と取り違えておられるのではないですか?
このときは、織田軍の「備え」が壊滅しましたから、織田連合軍の
被害が大きかったですが。


> 浅井の裏切りにより窮地に陥った信長を救う
> ため、自ら死地である「しんがり」を買って出た後の羽柴秀吉。
>敵が首級を執拗に狙うため、しんがりで生き残るのは10中8,
>9難しい。
>  にもかかわらず、これを「利」で買う人間がいるとすれば、
>通常いないでしょう。 
>
> <まったく逆です。これを義でやる人間などいない。

それをやったのが、先に紹介した毛受家照兄弟です。自分に都合の
悪い人物は、意図的に省略しないように!!

> 少なくとも秀吉は
> 利でやったのは明白です。なぜなら彼は織田家の中にいたからこそ
> 見出された人間であるが、秀吉が考えていたのは明らかに出世で
>あり、そのためにはどうしても織田信長が「生きている」事が必要
>であった。
> もしも他家において同じような人事制度が行われたいたなら、
>さっさと逃げ出していたでしょう。織田家が潰れたなら自分も
>一緒!このような考えを忠誠心と誤解している人もいますが、
>秀吉はそんなつまらない忠誠心など持ち合わせていなかったでし
>ょう。その証拠に実際に殿をつとめたのは正確には秀吉ではなく
>弟の秀長です。秀吉はただ夜明けまで焚き火をして、弟を見捨て
>て京都に向かって走っただけです。
> この秀長の忠誠心を義と呼ぶなら私は納得しますが、秀吉の行動を
> 義であると主張する意見は愚の骨頂では?

秀吉の「殿」は、朝倉氏から攻め取った金ヶ崎城に始まります。幾つ
か説があるようですが、少なくとも篝火や旗幟を盛大に掲げ攻め込
む気勢を偽装し、敵の目を欺いた上で、そこから撤収したという点
では、一致しているようです。
少なくとも当初は秀吉兄弟は行動を共にしていたのではないですか?
問題は、敵から追撃を受けた途中でどうなったかです。
<その証拠に実際に殿をつとめたのは正確には秀吉ではなく弟の秀長
です。>
と言うのは、おそらく追撃されている途中でしょうか?  途中で
あれば、充分考えられることです。
もっとも、これを<弟を見捨てて京都に向かって走っただけです>
と断定するのは、難しい。

ちなみに信長の首が取られたら、秀吉が自力で存立することは
不可能です。如何に才能ある秀吉と言っても、その才能が発揮できる
のは、「信長」と言う「権威」と「権力」を後ろ盾にしているから
です。これは、秀吉以外の家臣にしても同じことですし、織田家以外
の他家においてもこのような主君と家臣の関係は同じことです。
だから、家臣は主家の存立を第一義に考えます。(仮に主家に
「権威」と「権力」がなくなったら、家臣は他家に鞍替えするか主君
に取って代わることを自らの存立のため考えざるを得ません。これ
がいわゆる『下克上』の本質です。)したがって、信長の首が取ら
れないためには、家臣団は「殿」をすることを考えますが、誰がその
「死地」に残ると進んで決断できるでしょうか? そういう中で秀吉
は進んでその役目を買って出たのです。 それだから、今まで秀吉を
追従者と下げずんでいた連中も、秀吉を見直したのです。

以上は、主君と家臣の関係ですが、同じことは家臣と陪臣
(家臣の家来)にも言えます。
秀吉という後ろ盾がいるから、織田家家臣団の中で秀長といった陪臣
も、重きをなせるのです。だから、羽柴家の陪臣も秀吉を無事落とす
ことを第一目標に据えますが、誰がその最前線に立つかもやはり問題
になります。 そこに実弟である秀長が進んで残ったのではないで
しょうか?

こういう事情を詳しく見ていけば、軽々しく「見捨てた」などとは
言えません。

<織田家が潰れたなら自分も一緒!このような考えを忠誠心と誤解
している人もいますが、秀吉はそんなつまらない忠誠心など持ち合
わせていなかったでしょう。>

試みに訊ねますが、貴兄によれば『忠誠心』とは一体どのような
定義なのですか?
普通、主家の存立に最善を尽くすことを忠誠心と言いますが。。。
貴兄の方が『忠誠心』を誤解しているのでは?
先にも言いましたが、主家と家臣は運命共同体です。だからこそ、
主家の存立に最善を尽くす行為を進んでなす者を、主家に関わる人々
はその自己犠牲によって運命共同体が保たれるからこそ、称えるの
です。

それから、前回の反論で、貴兄は<「利」を捨て「義」に殉じた
武将など実際には一人もいないのでは??>と主張していたので
しょう? どうして今回<この秀長の忠誠心を義と呼ぶなら私は納得
します>などと言えるのです? 自分が言ったことと矛盾するとは
気付きませんか? 


> 忠臣蔵はよく見ていけば、実質的に「近代法はどうあるべきか」を
> 形を変えて示しているのです。
>
> <その通りと思います。しかし、近代法においても「不公平」こそ
>が「公平」な状態であることは現実が証明しています。イヤな言い方
>ですが弱肉強食こそが公平であり、弱者が強者に守られ、強者の税金
>によって生活し、「生かされている」のが現状でしょう?
>  これを不公平と言うなら、弱者の負担は猛烈に増えていき、より
> 貧富の差が開いていくことはアメリカの例を見ても明らかです。

一体、貴兄はわたくしに何を反論したいのですか?わたくしの論旨は
、きちんとご理解なされました上でのはなしでしょうか?
わたくしは、忠臣蔵は、1)『法』の平等な適用がなされなかった
話しである。
2)法定手続によって権利侵害が是正されなかった場合の救済手段
の話しである。
この2点をもって、《近代法》の話しであると主張していたはずです。

どうして、これに対する反論?が、社会に存在する強者弱者間の
事実上の「不公平」の話しになるのです?
しかも、<近代法においても「不公平」こそが 「公平」な状態で
ある>とは、近代法における「平等観」についての無知そのままでは
ないですか? 
「法適用の平等」の反対概念として「法内容の平等」(法律の内容自
体が平等であること)があります。
近代法の発展過程で『平等』の概念は、形式的平等(「機会」の平等
)から実質的平等(「条件」の平等)へと移行しますが、それに
伴い、「法内容の平等」の方が重視されるようになります。 この
ように近代法の発展の根底には、何とか不公平を是正できないかと
いう問題意識が常にあったのです。 「近代法は不公平の是正をし
つつ発展した」と言う話しは、高校の世界史にも紹介されている話
しでしょう。<近代法においても「不公平」こそが 「公平」な状態
である>とは、いったい何を根拠に言っておられるのでしょうか? 


しかも、最後の<これを不公平と言うなら、弱者の負担は猛烈に増
えていき、より貧富の差が開いていくことはアメリカの例を見ても明
らかです。 >と言うのは、まったく持って意味不明。 字面だけ読
めば、まったく支離滅裂。文脈からの論理すらつかめない。。。


また、犯罪云々と仰っていたご高説は、どうされました?
討ち入り行為は、「犯罪の違法性が阻却される。」 ここも大きな
論旨の一つですよ!!
貴兄の見解では、「犯罪である」との主張でしたが、本来その根拠
を反論として示されるべきです。


それから、貴兄は、以前、「忠臣蔵は実にくだらない」と二度も言
い切られたではないですか?
それだったら、本来、貴兄は反論として「くだらない理由」を当方
に示す必要があるのではないですか?
普通それを読み手は期待するものです。それをせずに<その通りと
思います。>と当方の言い分を認めるので有れば、まず、貴兄は
「忠臣蔵は実にくだらない」と言う主張を『撤回します』と断るの
が、言論に携わる者の最低限のマナーです。 その後で、近代法
なら近代法の話に触れるのが、筋道です。

そういう最低限のマナーも守らず、あろうことかまるで話しをすり
替えて<反論なり>と称するは、児戯に等しい。わたくしに言わせ
れば、かかる振る舞いこそ実に「下らない。」 士道とかそういう
ものに価値すら見いだせない人間に、「マナー」をいっても、詮無
いものではありますが。。。。



> 貴兄の文章からして、おそらく学生、それも「卒論」と言った
>論文を書かれた経験のない方であろうとおもいますが、
>
> <失敬な(笑)。これでも一応大学を卒業し、中南米債務問題
> についての卒論も書きましたよ(笑)。原稿用紙300枚くら
>いですが・・。
> しかも半分以上引用です、あなたのご想像通り・・・・(笑)。
>あははは。
> 文章が拙くて、なかなか意味がわかりづらいかもしれませんが、
> 週末は時間があるのでゆっくり話しましょうよ(笑)。

貴兄にとっては、時間は湯水の如く余っておるのでしょうが、当方
にとって時間は砂漠での一滴の水の如く貴重なものです。 週末
だからと言って無駄に過ごせる時間は持ち合わせていない。 
すべて自分を基準にして地球が回っているわけではないことを自戒
していただきたい。

今回の反論は書いていて、実につまらなかった。
客観的な第三者がこの論議をみれば、その理由は明らかでしょうが
。。。
その理由について敷衍すると。
<重箱の隅をつつくようですが一つ一つ反論していきます。 >と
自ら言われるが、これは全く的外れの観があります。 「重箱の隅
」らしきものはつついてはあるが、それだけで、まったく『反論』
になっていない。
『反論』になっていないのは、読んでいて『一本の論理の筋』が見
えないからです。
それは、当方の発した問いにつき真摯に受け止めることはせず、
ただひたすらに相手の語尾についての論議に終始するヤリ口にある。
 ちなみに貴兄のなした今回の反論を読み返してみるといい。 
今回の反論の中で、貴兄が前回、前々回述べたことについて自ら
まったく触れておられないでしょう? その場その場で適当な反論
をしていくから、論旨に一貫性がなくなるのです。 通常は、
自らの発言を振り返りながら反論するのが普通です。 そうすれば
、少なくとも「前回」「前々回」の発言を基準に論旨に一貫性が出
てくるものです。
「原典」を読まずに言いたいことをいい、「前回の発言」を振り返
らずにまたその場限りの反論をする。貴兄の普段の日常生活もその
域から出ていないのではないですか?

以上に付き、簡単に言えば、自らが当初主張していたことにつき、
まるで忘れたかの如く振る舞っている、そういうことです。これは
読み手にしてみれば、まったく行き当たりばったりの論述を一方的
に読まされて発言を求められているようなものです。 だから、
実につまらない。おそらく、貴兄との論議ではこれ以上のレベル
に達することは不可能であろうと諦観しております。 次回は、
興味をそそる反論で有る場合だけ、返報させてください。

光舟 『悠久の神州』(ただ今、休業中)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1388/
==============================
(管理人Tから)
 野村さん、筆者から議論を拒否されています。もし、議論継続
を希望されるのであれば、直接、光舟さんに連絡してください。
この件でのコラム掲載は、今後しませんので。

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