134.葉隠の反論と再反論



(読者の反論)
 まずは先日の葉隠についてのメールにいくつかの誤字があった
事をお詫びします。

 さて光舟氏の意見について・・・。
>わたくしは断言したい。 同氏は、おそらく葉隠を通読されたこと
がないことを。

 はい、通読したことはありません。私が下らないと言ったのは
もっとミーハ―な意味で言ったのです。「葉隠」と「忠臣蔵」は
本当に下らないと私は思っています。

>この場合、図に当たらぬ、成功しないのは犬死などというのは
上方風の算盤をはじいた偽物武士道である。
>正義に外れて生き残ったなら腰抜けである。

 この部分は非常に自己満足的ながら、考え方としては
良いかもしれません。しかし、正義に外れて生き残り、秀吉に取り
入り、家を興し、腑抜け同然であったのは鍋島家でしょう?
これは事実です。その鍋島家が自分のことを棚に上げ
今度は徳川家に気に入られるために作ったのが「葉隠」のはずです。
だから私は下らないと言ったのです。もちろん内容も下らない
と私は思っていますが・・・。

>躊躇なく正義につき、死の危険を冒しても突き進む。それを武士
というのだ。

この点こそが最も下らないことです。そんな武士は日本の歴史上一人
もいませんよ(笑)。
武士と言うのは「利」で動くものであり、決して「義」で動くもの
ではないことは歴史が証明しています。日本においては「大義名分」
という宣伝活動が戦において重要な戦略になっていただけのことであ
り、「利」を捨て「義」に殉じた武将など実際には一人もいないの
では??

>日本の近代的な精神は既に織豊戦国時代に完成されていたと言う
見解に対して、おそらく自由でありえないのでしょう。

 私は日本の近代化は幕末から始まったという「固定観念」を持って
いますが(笑)、
上記の見解を御持ちの方であればなおさら葉隠は下らないと思っている
のではないでしょうか。

 話が飛びますがもう一つ下らないのが忠臣蔵です。あんな人達は
忠臣でもなんでもない。
地方の支店長が本社の人事の人間にいびられ、「ムカついた」あげく
相手に切りつけ、それを懲罰され逆恨みからその部下が本社まで殺し
に行ったようなものです。
殺されたほうはたまったものではないですね(笑)。就業規則を守っ
ただけなのに・・(笑)。

 光舟氏へ
 物の見方というのは、それを見た人の数だけあるのです。「事実」
は一つですが「真実」というのは人の数だけあるのです。
「疑似左翼市民」というのは私のことを言っているかもしれませんが、
私のことをこう判断するのもあなたの言う「生兵法」では?
 
pm300695
===============================
>
>  まずは先日の葉隠についてのメールにいくつかの誤字があった
> 事をお詫びします。
>
>  さて光舟氏の意見について・・・。
> >わたくしは断言したい。 同氏は、おそらく葉隠を通読されたこと
>がないことを。
>
>  はい、通読したことはありません。私が下らないと言ったのは
> もっとミーハ―な意味で言ったのです。「葉隠」と「忠臣蔵」は
> 本当に下らないと私は思っています。
>
> >この場合、図に当たらぬ、成功しないのは犬死などというのは
>上方風の算盤をはじ
> いた偽物武士道である。
> >正義に外れて生き残ったなら腰抜けである。
>
>  この部分は非常に自己満足的ながら、考え方としては
> 良いかもしれません。しかし、正義に外れて生き残り、秀吉に取り入り、
> 家を興し、腑抜け同然であったのは鍋島家でしょう?
> これは事実です。その鍋島家が自分のことを棚に上げ
> 今度は徳川家に気に入られるために作ったのが「葉隠」のはずです。
> だから私は下らないと言ったのです。もちろん内容も下らない
> と私は思っていますが・・・。

一つの考え方として認めていただいて、恐縮です。
しかし、「葉隠」に対する貴兄の論理は、いささか飛躍しているような
気がします。
即ち、<鍋島家は正義に外れてふぬけ同然である。>
<「葉隠」は鍋島家が作ったものである。>
したがって、<「葉隠」は、下らない。>のでしょうか?
三段論法としては、確かに筋が通っていますが、その意味するところは
、「この本は嫌なヤツが作ったから私はこの本が嫌いだ」と言っている
にすぎないように思います。

できれば、本の内容を読んだ上で、「嫌いだ!!」と言って欲しいもの
です。
もっとも、それ以前に、通読すらしていないのにかかわらず、<もちろ
ん内容も下らない>と断言できる感覚が、わたくしには理解できません
が。。。。 ピーマンを好き嫌いする子供が、ピーマンの体にいい成分
が含まれているにも拘わらず、ただ苦い味がするだけの理由で、「ピー
マンが嫌いだ!!」と開き直っているように思えます。


それから、誤解のないように言っておきますが、わたくしは鍋島家を
擁護するために「葉隠」を素晴らしいものだと言っているわけではあり
ません。
とはいっても、貴兄の「鍋島家」に関する知識は、いささか正確では
ない。
鍋島家の正義に外れて云々というのは、何を指して「外れている」の
かは、明確ではないが、秀吉に取り入ったのは、鍋島家の主家であっ
た「龍造寺家」(確か龍造寺正家ではなかったか)です。
何故、取り入ったのか? それは、北上する島津家と肥前の地で合戦
敗北し、九州で最強と言われた龍造寺家の当主、龍造寺隆信をはじめ
主立った家臣が討ち死にし、龍造寺家は滅亡の危機が迫ったのです。
仮に龍造寺家が滅亡すれば、その一門枝葉である鍋島家も滅びます。
だから、島津と対抗する必要上「後ろ盾」として秀吉によしみを通じ
たのです。これをもって、龍造寺が正義に外れていると言うならまだ
しも(これを反すると考えるものは、さすがにいないでしょうが。)
、鍋島家が正義に外れる理由に数え上げるのは、おかしいでしょう?

鍋島直茂が、主家の龍造寺家と代わったのも、果たして「正義に反す
る」のか?
これも、主家をぶんどったと言う一面だけをみればそうでしょうね。
別の観点から見れば、『組織の生き残り』という一面が浮かび上がり
ます。
貴兄は、「武士道」といった忠孝ものが下らないと言っておいでなの
で、こういった話しの方が面白いかもしれません。
すなわち、豊臣方と徳川方で天下を争う緊迫した状況で、判断を間違
って負ける方についたら間違いなくお取りつぶしです。それは、龍造寺
家一門郎党が路頭に迷うことになります。これは、長曽我部家をみれ
ばあきらかでしょう。 こうなったら、龍造寺一門は自壊します。
ちなみに当時の状況は、龍造寺家の繁栄の基礎を作り上げた偉大な当主
隆信は敗戦に討ち死し、それを支えてきた主立った家臣もない。そして、
その跡継ぎも心許ない。そのような状況で家臣団が生き残りを図るに
は、一門衆の中からこれはと思う人物を後継者に推挙して組織の維持
を図るの普通でしょう。
現在で例えれば、会社の創業者とそれを支えてきた取締役幹部らが不慮
の事故で亡くなったとき、残された従業員は会社の経営ができる従業員
を推挙して会社の経営破綻を回避して、従業員の雇用を守ることが、
正義に反するかと言う問題に置き換えても良いでしょう。
もちろん、これを正義に反するとだけ見るのも結構な考え方だと思い
ます。

後、「腑抜け同然」と仰るが、何を指してそういわれるのか正直なと
ころ見当がつかない。
前進たる龍造寺家は、ただ一度、島津家に負けた以外敗戦はないし、
また、このとき主だった者が討ち死にしたのも、このまま負けて生き
るのを潔しとしなかった連中です。猛猪短慮であっても、臆病者では
ありますまい。この将士が後の鍋島藩藩士となるのです。
また、鍋島家の初代である直茂は、病弱で軍の指揮ができない正家に
代わって「代理」として朝鮮出兵に参陣渡海して先陣を受けており、
また、後の大阪の陣にも参陣して戦功を挙げています。
個人的には、「腑抜け」と全く縁遠いとおもいますが。。。。

もっとも、わたくしも鍋島家をもっと知りたいので、詳しい話しを
ご存知ならできればご教示ください。

>  >躊躇なく正義につき、死の危険を冒しても突き進む。それを武士
>というのだ。
>
> この点こそが最も下らないことです。そんな武士は日本の歴史上一人
>もいませんよ(笑)。
> 武士と言うのは「利」で動くものであり、決して「義」で動くもの
>ではないことは歴史が証明しています。日本においては「大義名分」
>という宣伝活動が戦において重要な戦略になっていただけのことであ
>り、「利」を捨て「義」に殉じた武将など実際には一人もいないので
>は??

武士の中には、たしかに「利」だけで動くものも少なからず存在します。
しかし、それをもって、これが武士のすべてであると仰るのなら、それ
はまさしく偏見そのものです。
「日本に犯罪者が存在する。だから、日本の国民に善良なものはいない
。」と言っているようなものです。

幾つか例外を申し述べましょうか?
大きいところで、「義」に反する者共を塵芥の如く蹴散らした上杉謙信公
がそうですね。
他に有名どころの武士では、主家大友家を支えるために粉骨砕身働い
た立花道雪。
雲霞の如く群がる島津軍をただ一城に立てこもって、衰亡する主家の
援軍をあえて断って下ることなく討死した高橋紹運。
「直江状」で家康に颯爽と武家の面目をあらわした直江山城守兼続。
毛利高松城の清水宗治。彼は、秀吉の凄まじい誘降や買収をものとも
せず宗家毛利の厚恩を貫き、のち切腹して城中の者の助命を請うてい
ます。
鳥取城の吉川元経もそうでしょう。他に、賤ヶ岳で柴田勝家を無事落
とすために身代わりとなり奮戦討ち死にした毛受(めんじゅ)家照兄弟
や、敗戦撤収中の毛利元就父子を救うため身代わりとして果てた渡辺通。
まだ、長篠城の合戦での鳥居強右衛門(すねえもん)や末森城の前田家
の奥村助右衛門。多士済々です。
他に忘れてならないのが、浅井の裏切りにより窮地に陥った信長を救う
ため、自ら死地である「しんがり」を買って出た後の羽柴秀吉。 敵が
首級を執拗に狙うため、しんがりで生き残るのは10中8,9難しい。
 にもかかわらず、これを「利」で買う人間がいるとすれば、通常いな
いでしょう。 
「義」以外については、信仰を守るため、城主の地位を捨てた高山右近
もいます。
また、細川ガラシャ夫人も、細川父子の足手まといになっては武門の恥
として、自らの命を絶っています。

人間は「利」でしか動かないという固定観念を持っている方には、 
このような話しは、なかなか難しいかもしれませんね。貴兄も、もう
十数年人生を過ごしてみれば、人間は「利」でも動くし「義」でも動く
ことがお分かりになりましょう。
それから人生をもう十数年過ごしたら、「利」で動く老人は軽んじられ、
「義」を誠実に全うした老人には敬意が与えられることをその身で必ず
体験できるものと思います。

> >日本の近代的な精神は既に織豊戦国時代に完成されていたと言う
> 見解に対して、おそらく自由でありえないのでしょう。
>
>  私は日本の近代化は幕末から始まったという「固定観念」を持って
>いますが(笑)、
> 上記の見解を御持ちの方であればなおさら葉隠は下らないと思ってい
>るのではないでしょうか。

>  話が飛びますがもう一つ下らないのが忠臣蔵です。あんな人達は
>忠臣でもなんでもない。
> 地方の支店長が本社の人事の人間にいびられ、「ムカついた」あげ
>く相手に切りつけ、それを懲罰され逆恨みからその部下が本社まで殺し
>に行ったようなものです。
> 殺されたほうはたまったものではないですね(笑)。就業規則を守
>っただけなのに・・(笑)。

>  光舟氏へ
>  物の見方というのは、それを見た人の数だけあるのです。「事実」
>は一つですが「真実」というのは人の数だけあるのです。
> 「疑似左翼市民」というのは私のことを言っているかもしれませんが、
> 私のことをこう判断するのもあなたの言う「生兵法」では?
>  
> pm300695"

原典を “しっかり見ずに”一定の結論を断定する、これをわたくし
は「生兵法」と表しております。
「生兵法」という表記が気に入らなければ、「聞きかじり」といって
も差し支えがないかもしれません。

ちなみに、実際、『忠臣蔵』を(年末時代劇等を含めて)拝見された
でしょうか?
忠臣蔵の問題の本質は、『法の平等な適用』がなされず、恣意的な処分
がなされたという点につきます。
忠臣蔵を拝見されたならご存知でしょうが、松の廊下で刃傷事件を起
こした浅野内匠頭と吉良上野介は、「殿中での刃傷禁止」「喧嘩両成敗」
という御法度に従い、双方共に「切腹」あるいは「謹慎」といった処分
を受けるべきところ、浅野内匠頭にのみ「切腹」の処分がくだされ、
他方、吉良上野介には「御沙汰無し」ということになった。しかも、
赤穂浅野家はお取りつぶしとなったわけです。

さて、問題です。 これは妥当な結論なりや。
格式は違っていても、共に将軍の臣下として違いがない以上、同じよう
に処分がなされるのが筋です。
しかし、喧嘩両成敗であるにも拘わらず、それがなされなかった。
ここに、忠臣蔵のテーマが始まるわけです。

この不当な「処分」に対しどうすべきか。 現在であれば、当然、法定
の手続にしたがって異議を申し述べるのが当たり前です。 同じように、
赤穂藩は、幕府の所定の手続にしたがって異議を申し立ており、この
点について違和感はないでしょう? しかしながら、内匠頭の「切腹」
はおろか「お家お取りつぶし」の処分は撤回されませんでした。しかも
、上野介に対して追加の処分もなかった。いわば、異議は却下された
わけです。理由は、処分を仕直すことは将軍家の権威にかかわるという
ものです。 現在で考えてみれば、政府に過ちがあったとなれば権威
に傷が付くので、政府の処分に対する異議は却下すると裁判所が言う
ことになりましょうか。
法定の異議手続が却下された自体において、貴兄ならどうします?
貴兄の見解から判断すれば、かかる異議を申し述べること自体
「ムカつく」「逆恨み」であるから、異議の却下は正当と言うことに
なりましょうか。 
でも、貴兄が赤穂浪士の立場であったら、かかる不当な処分を仕方
ないとして受け入れますか? それも誰の目から見ても明らかに不当
かつ不公平な処分であるにも拘わらず、黙ってそれに従いますか?
現在でも、そんな政府の処分に対して唯々諾々と甘受するするものは
おりますまい。

そこで、次ぎに考える手段は、自力救済でしょう。いわば、処分の
不当を実力でもって是正することです。現在で極論すれば、既存の
法秩序で政府による権利侵害が是正されないので、抵抗権という
法秩序外の手段をもって争うというものでしょうか。これが、忠臣蔵
の次のテーマ、「法定手続によっても是正できない不当な処分に対
する是正の方法」です。
赤穂浪士が考えた是正の方法は、上野介に対する「喧嘩両成敗」の
適用です。つまり、主君内匠頭にも刃傷事件を起こすという落ち度が
あり、これを無罪ということはできない。しかし、同じ落ち度が上野介
にもある以上、こちらにも切腹の処分を与えるべきだ。すなわち、
法の平等の執行を求めたわけです。ご存知かもしれませんが、現在
でも「法の平等な適用ないし執行」と言うものは、憲法の平等権に
かかわる大きなテーマです。

たしかに「討ち入り」という行為は、貴兄が言うように形式的には
「犯罪」です。
しかし、形式的には「犯罪」であるように見えても、「違法性」が
阻却される場合、例えば正当防衛や自己の権利を回復する場合など
がありますが、「犯罪」は成立しません。この辺は、優しい刑法の
入門書などをお読みになればお分かりになりましょう。 実質的に
見ていけば、赤穂浪士の「討ち入り」は、違法性を阻却するのでは
ないでしょうか?(もちろん、実質的違法論の立場にたった場合の
話しです。念のため。)
( あと、歴史の謎解き本の類には、住居侵入罪などを付け足して
おりましたが、それは形式論に終始しているからです。 実質的に
見ていけば、やはり、違法性を阻却するでしょう。 謎解き本が付
け焼き刃なのは、この辺りからもわかります。)

<地方の支店長が本社の人事の人間にいびられ、「ムカついた」
あげく相手に切りつけ、それを懲罰され逆恨みからその部下が本社
まで殺しに行ったようなものです。 殺されたほうはたまったもの
ではないですね(笑)。就業規則を守っただけなのに・・(笑)。 >
と、仰られますが、たしかに事実は一つです。 
しかし、「懲罰」を「逆恨み」としか捉えられない方に、一体、
<「真実」というのは人の数だけあるのです>と言う真意がお分か
りになられているのか、疑問の余地があるように思います。

忠臣蔵はよく見ていけば、実質的に「近代法はどうあるべきか」を
形を変えて示しているのです。そういう意味で「近代法は明治以降
に始まった」と言う考え方は、<固定観念>だとわたくしなどは考
えているわけです。もちろん、演劇ですから、その見せ場見せ場に
「武士の忠義」「仇討ち」といった脚色がなされています。だから
といって、そういうものを嫌悪してその本質まで目を向けないのは、
どうでしょうか? しかも、「現代であれば」という断り書きをし
ながら、表面的な法律論を施した上で<殺されたものはたまったもの
でない>とヒュウマニズムのみでしか物事を捉えられないのは、いさ
さか偏面的でもの足らない感じがします。


失礼ながら、貴兄の忠臣蔵に関する分析は、底が浅いように感じます。
貴兄の忠臣蔵に対する見方は、以前「日本史の歴史100のナゾ」と
いった「謎解き本」の類で拝見したように思います。
実際に「忠臣蔵」を読んであるいは見て、その見解に至られたのであ
れば、わたくしは立派なことだと思います。また、実際そうであるの
であれば、貴兄に非礼を詫びましょう。
しかし、「謎解き本」の類を読んで、一事を知って万事を知るような
錯覚に陥って居られるのなら、それは「聞きかじり」の次元ですべて
を知ったように振る舞っていると言っても、過言ではありますまい。
わたくしが、貴兄を疑似左翼市民に似た「生兵法」と表したのは、
かかる観点に基づくものです。

<< ちなみに断っておきますが、わたくし自身、『価値観の多元性』
そのものを否定してはおりません。>>
以前に述べた文意をきちんと読んで頂けたら、それは判りうるものだ
と思います。
もちろん、わたくしと貴兄の考え方は水と油の関係にあり、貴兄の考
え方に否定的であります。
しかしながら、そんなことよりも、わたくしが何度も繰り返して言い
たいのは、「人様に自らの見識を誇るのなら、少なくともそれ相応に
原典の類を読んでからにして欲しい。」と言うことです。

貴兄の文章からして、おそらく学生、それも「卒論」と言った論文を
書かれた経験のない方であろうとおもいますが、自らの意見を他者に
対して申し述べるに際して、原典等を読んでないとすれば、必ず恥を
掻きますよ。論文、いや自らの意見表明をするのであれば、少なくと
も原典を読んでいると言うことは最低限のエチケットです。貴兄の
反論の冒頭を拝読しましたが、<はい、通読したことはありません。
私が下らないと言ったのはもっとミーハ―な意味で言ったのです。
「葉隠」と「忠臣蔵」は本当に下らないと私は思っています。 >と
いうのは、あたかも自らの野蛮を誇るようで、実に論旨に対する読み
手の興味を削ぎます。

最後は、苦言となりましたが、まだ異論がございましたら、わたしの
HPのURLが掲載されていたので、そこから当方に直接申し述べら
れたがよろしいでしょう。
この反論を受け取って居られるコラム管理者諸氏も、日々のコラム
執筆に忙しいでしょうから。

それでは、失礼します。
光舟 『悠久の神州』(ただ今、休業中)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1388/
===============================
(Fのコメント)
 光舟さんはよく知っている。すごい。どうか試験に合格して、その後
どんどん投稿ください。江戸の思想について議論しましょう。
================================
(管理者Tudaのコメント)
読者の投稿・反論歓迎ですので、どうぞ、どんどん投稿ください。
皆様の投稿が中心でこのコラムを進めたいと思います。

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