132.「個」と「私」と「公」の関係



(内閣官房が「教育改革に関する意見」を募集)
趣旨 
 政府は、教育の基本に遡って幅広く今後の教育のあり方について
検討していきたいと考えています。この検討の一環として、広く国民
の皆様方から21世紀における教育の在り方についての意見(例えば、
@教育という営みにとって大切な視点(基本理念)は何か、
A学校・家族・地域社会のそれぞれがどのような役割を発揮すべき
 か、生涯学習をどのように進めるか、
B「個」と「公」についてどのように考えるべきか、
C教育改革を今後具体的にどのように進めていくべきか等)
を募集することにしました。
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(Fの回答)
 今回は、この政府が募集する教育改革を検討しましょう。
@は、明らかですよね。このコラムは日本の伝統・文化を取り戻し
て、日本の独自性を確保しつつ、その上で世界と仲良くするため、
英語能力や諸外国の人と議論の出来る人間を育成することを目指す
べきと言っています。Aは省略、CはBを議論してば、出てくる。

Bをここでは、真剣に検討しましょう。「私」と「公」と「個」の
関係を明らかにする。

 「私」は私欲で、この欲を最大限にするのが西洋資本主義の考え
方の根本です。これを推し進めると、貧冨の差が大きくなり、社会
の根幹の秩序観や自己犠牲などの美徳が破壊されて、ギスギスした
社会ができ、お互いの信頼感がなくなり、社会効率が低下すること
になるのです。今の欧米を観察すると、よくわかります。

 このため、「私」の制限が必要です。これを法律だけでしようと
しても、訴訟社会ができるだけです。このため、道徳教育が必要。
そして、私心を捨てて貢献する対象が必要になるのです。これが、
人類・自民族・自国家なのです。そしてが「公」なのです。

 しかし、この「公」に貢献する基準は何ですか?
この基準は、公から与えられた価値ではなく、「個」を確立した個人
が自分で考える必要があるのです。この「個」を確立するためには、
人類の歴史観や哲学が必要なのです。この哲学教育を戦後、日本は
捨ててしまったのです。封建主義の遺物として。

 哲学とは何か?人間一人一人の人生を生きた証をどう個人
が考えるか、その基準を教えることです。この教育は、中学から
行うべき教育だと思います。外国で日本の偉い人が日本的哲学を知
らないで、その類の議論ができない姿を見るにつけ、問題と感じて
います。

 外国では貴族・エリート階級はその手の議論が大好きですから、
日本のエリート階級の思想はどうかと探りにくるのです。これに
ある程度相手を納得させないと、軽く扱われることになるので、
いつも、この手の議論に対応する必要があります。

 戦前は、論語等の中国哲学を日本のエリート層は教養として身
に付けていたため、欧米貴族階級から重んじられたように感じま
す。人間の根本は欧米も東洋も違いはないのですから。

 しかし、今のエリート層はこの哲学分野が全然ダメになってい
るように思います。人間が狭い。小さい。と感じます。
この復興が必要なのではないでしょうか?渋沢栄一の明治時代的
論語などはいいのではないでしょうか?この現代化や帝王学として、
講義された安岡先生の本などもいいと思います。
 これを、道徳教育に導入することが初めではないでしょうか。

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