127.葉隠は含蓄深い



どうも、こんばんは。 いつも、拝読しております。

貴兄は、葉隠を下らないと言いきっておられますが、
「葉隠」全部を通読された上で、下らないと断定されておられるの
でしょうか?

いままで、葉隠を下らないと仰る方をたくさんお見受けしました
が、たいていの人は、「武士道というは死ぬことと見つけたり」の
一文のみを拾い読みされただけで一事をもってすべてを推し量って
おられる、それが現状です。

わたくし自身、葉隠をすべて通読したかといえば、恥ずかしながら
すべてを通読したわけではありません。わたくしが手にとって読む
ことが出来たのは「葉隠入門」(森川哲朗 日本文芸社刊)ですが、
聞書第一(第一巻のこと)から聞書第九まで取り上げられています。

貴兄に置かれましては、既に、ご存知のことであろうと思いますので
、これから申し述べるのは気が引けますが、
「武士道というは死ぬことと見附けたり。」の後には以下の文章が続
きます。

「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかりなり。別に子細なし。
胸すわって進むなり。図に当たらぬは、犬死などという事は、上方風
の打上がりたる武士道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たるよう
にするは及ばぬことなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きな方に
理が附くべし。若し図にはづれて生きたらば腰抜けなり。この境危ふき
なり。図にはずれて死にたらば、犬死気違なり。 恥にはならず、これ
が武道には丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常に死身
になりて居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕果たす
べきなり。」

あと、必要ないかもしれませんが、この段の解説を引用します。
『最後まで、読んでみれば、死の哲学でも人命軽視の哲学でも何でも
ない。ここでいう“死”は、“私心の死”である。“私欲の滅却”で
ある。・・・・』
(同書p33)
『 ただ、武士は、事の成る成らざるを問わず、死地に赴かなければ
ならぬこともある。また、成功などは度外視して、例え不利と分かって
いても、正義のために生死をかけなければならぬ場合もある。死の覚悟
を平生自分のものとしておくことが必要だといっている。
 はじめから結果は成功するとわかっていれば、誰でもやるだろう。
しかし、そのようなことが全く分からない場合、私欲を捨てる方向に、
私心のない方向に就くばかりである。そこに死の危険があっても、
胸をすえて進めばよい。
 この場合、図に当たらぬ、成功しないのは犬死などというのは、
上方風の算盤をはじいた偽物武士道である。
いずれに行くべきか自分の前に二つの途が別れた時は、生死、成功、
利害などは度外視して、正しい方向に附くばかりである。誰でも生きる
方が好きである。いろいろと好きな方向に理由を付けて生き残ろうと
するであろう。
 だが、それがもし図に外れて、正義に外れて生き残ったなら腰抜けで
ある。この境目が危ういのだ。どうしても成功の見込みはないと分かっ
ている場合にも、正義を立てるためにやらねばならないと考えるときに、
果たして何人が身を捧げるであろうか。 このような場合に身を投ずる
者を常識人は狂と呼ぶだろう。しかしそうではない。正しく正邪の判別
ができる者である。このような場合、躊躇なく正義につき、死の危険を
冒しても突き進む。それを武士というのだ。・・・・』(同書p34)

先の原文はもとよりこの解説からも分かるように、
「武士道というは死ぬことと見つけたり。」というのは、死ぬこと自体
に目的があるのではなく、正邪の判別をつけた上で、正義を貫くに当
たって死に臆してはならない、と言う心構えを指しているものだと
わたくしは心得ております。

ちなみに、その他に取り上げられている例をあげると、聞書第一にある
段で「何某当時倹約を細かに仕る由申し候へば、よろしからざる事なり
。水至って清ければ魚棲まずと云うことあり、凡そ藻がらなどのあるに
より、其の蔭に魚はかくれて成長するものなり。少々は、見のがし聞き
のがしあるも、此の心得あるべき事に候なり。」(同p53)
と、葉隠は、倹約令に懐疑的であります。

このほか、含蓄の深い段が数多くありますが、実際「葉隠」を手にして
おられるなら、ここで紹介するまで及ばないでしょう。


それから、pm300695氏は、
>そして葉隠は日本の近代化にとって何の役にも立っていません。
>ご存知でしょうが・・(笑)。
>
>国際戦略とは余り関係の内話ですが、葉隠が話題に上る
>だけでも虫唾が走るので(爆)。

と、言いきっておられますが、わたくしは断言したい。 同氏は、
おそらく葉隠を通読されたことがないことを。というのは、葉隠を全体
を通して良く読めば、ほとんどが「処世訓」であることは、容易に知り
うるものです。
これを読んで、「虫唾」が走るのであれば、 自助論と言った「処世訓」
の類を読んでも、虫唾が走ると言っても過言ではりますまい。

それから、日本の近代化は明治から始まるという固定観念をお持ちの方
には、日本の近代的な精神は既に織豊戦国時代に完成されていたと言う
見解に対して、おそらく自由でありえないのでしょう。。。。


世の中で一番始末の悪いことは、実際は何も知らないくせに、一部を
知ってすべてを悟ったかの如く振る舞う「生兵法」である。これは、
無知よりも始末が悪い。 わたくしがもっとも唾棄すべきものだと心得
ている輩です。
特に小林よしのり氏の漫画を読んだ人に多い。 このような「生兵法」
評論家気取りの人間こそが、小林氏の忌避する「疑似左翼市民」では
ないでしょうか?(この場合は、疑似右翼市民というべきか?)


戦後日本が現在のように停滞したのは、(主に左派)思想家・評論家
が、実際は国際社会をしらないのに、すべてを悟っているかの如く振る
舞った結果、思考が硬直化し国際潮流に乗り遅れてしまった。
貴兄の論考の底辺に流れるものは、かかる点にあるといつもお見受けし
ている。

かかる主張をされる方が、どうしてこと葉隠に関しては、そのような
固定観念から抜けきれないのか不思議でならない。

すべて、いや、その全貌を読み付けた上で、その固定観念が正しいと
仰るのであるのなら、それは個人の立派な識見であり、わたくしがどう
こう言うべき筋合いではありません。却って非礼を詫びる必要がありま
しょう。
是非、その辺りのことをお聞きしたい。

また、貴兄は葉隠を「朱子学」の亜種?とお考えのようですが、
むしろ、わたくしがこの「葉隠入門」を読んだ限りでは、その底辺
には、「言行一致」を貴ぶ陽明学の精神が流れているように見受けます。
いわば、論語や自助論といった「人生訓」に近いものではないかと思い
ます。
それは、その項目立てを見てみれば、分かりましょう。
聞書第一、第二は、原筆者である山本常朝自身の『教訓』。
聞書第三から第五までは、藩主鍋島直茂、勝茂、光茂、綱茂の
            『言行録』。
聞書第六から第九までは、佐賀藩士の『言行』。
聞書第十は、他国武士の『言行』。
となっています。
言行録や処世訓、このようなものを「大義名分論」と位置づけておら
れるのでしょうか。貴兄の文面ならびに文意から、このあたりが明確で
なかったので、失礼ながらお訊ね申し上げる次第です。

ちなみに、朱子学は「大義名分論」を基本にした観念論であり、
これに対して、陽明学は、実践に重きを置いた実学論であるとわたくし
は認識しております。
そういう意味で両者は対極の位置にあると思います。

かかる前提に置いて、葉隠が幕府の「官製」朱子学に追従するために
作られたものだと見なす主張には、大きな論理の飛躍があるように思
いますが、どうでしょうか?
この辺の貴兄の考えをお聞きしたいので、お訊ね致したく思います。

最後に、これは私見ですが、「武士道」と言うものは、儒学では律し
切れないところがあるのではないでしょうか。士道を貫く者は、責任
を取るとき、切腹してそれを果たしますが、私が論語を読んだ限り、
それを示唆する文言は見受けられない。
この私見は、未だ難しいところでありますが、武士道をすべて儒学に
結びつけるのは、違和感があります。

以上、まだ幾つかお訊ねしたいこともありますが、
(「江戸幕府は階級性を導入するために、仏教の平等性をきらい」と
いう点と、「この君子を教育する思想が論語(朱子学)となるのです
から、貴族性を有するのです。」という点ですが。。。)
取りあえず葉隠について気になる点につき、御披見していただきたく、
ふつつかながら筆を取りました。
ご一考いただければ、幸いです。
それでは、失礼します。

光舟 『悠久の神州』(ただ今、休業中)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1388/
===============================
(Fからのコメント)
 光舟さん、よく勉強されている。恐れ入ります。
江戸時代は、哲学として日本の中で大きな動きのあった時代でした。
山本七平が紹介した石田梅岩の日本現代資本主義思想の元や、国学
として、本居宣長・平田篤胤などを生んだ時代です。

 葉隠は思想書としては、その理論体系を成していない。光舟さん
も言うように、「処世訓」です。この処世訓として、今の時代、参考
になるかというと、あまりならない。このため、今、多くの人に薦める
本ではないと言う意味で、くだらないと言ったのです。葉隠の最初は
いいが第2章から以降は、だらだらして面白くない。

 もちろん、全て読みましたが。HOWTO物。思想としての体系も
ない。武士道の死を書いたものは、有名なものでは、葉隠しかありま
せん。その通りです。中国思想は臥薪嘗胆で、死を乗り越えて、次の
チャンスを待つですから。

葉隠の言いたいことは、
1つ、武士道において、おくれを取らないこと。
1つ、主君の御用に立つこと。(考えるな等今の時代背景と違う)
1つ、親に孝行をすること。
1つ、大慈悲心を起こして人のためになるべきこと。

 江戸幕府は、思想的意味では、国学や朱子学に大きなウエイト
があったはずです。勿論、葉隠も武士の鑑として、鍋島藩では有名で
その後、諸藩でも、読まれたようです。

 陽明学は朱子学の「大義名分論」の批判から出てきた論であるので
行動が中心になっている。しかし、江戸幕府は朱子学を中心に置いた
ため、この朱子学ができないと学者として出世はできなかったのです。

 朱子学は禅宗批判から出てきたので、仏教を「真実を偽るもの」と
している。この部分を江戸幕府の幹部は、仏教打破に使おうとしてい
たのでしょう。

 これは、浄土真宗の拡大とその激しさを見れば、武士階級にとって、
危険であることは十分知っていたからです。織田信長のようにそれを
徹底的に破壊できないとすると、その勢力を利益で釣って、思想を
骨抜きにすることは、この当時の為政者として急務であったはずです。
そして、その骨抜きにする理論背景が必要であったのです。

 しかし、現在、朱子学の道徳性より、陽明学の行動性が必要にな
っていきている。戦後50年続いた政治体制が制度疲労している
ことは、今の政治の閉塞状況を見ればわかる。

 今の時代に則しているのは陽明学でしょう。行動の時です。知行
合一です。審議会や委員会で議論して答申を出しますが、しかし、
一向に変わりません。「行動」がないからです。「私がなにをして
も世の中は変わらない」とし、行動している者に向かっては「世の
中を知らない」とか「未熟者」と言って非難する。

 ところが、現実に社会を変えているのは、「個人」です。「個人」
が始めた運動が、だんだん大きくなって明治維新もできたのです。
これを始めたのは、萩の片田舎の青年、吉田松陰だったのです。

どうか、細部に拘らず、大きく問題を捉えましょう。そして、今の
問題をどう解決するのかを共に考え、行動しようではないですか?
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