ガイア理論・複雑系に関して



Fさんへ

すいません。かなりの御無沙汰をしておりました。
仲津です。自称、最強のハイ・スペックPCが、無名の割安メモリ
を足したところ、とたんにダウンしてしまい、1ヶ月近く原因も分
からず使えませんでした。今日、ようやく回復しました。巨大法人
を支援するわけではありませんが、やっぱり大手の製品には信頼が
あるようで。

 そして、今日、メールを受信したところ、他のメルマガをあわせ
て、400通(!!)ほど届いており、とりあえず、この間の投稿
の返事を見たかったのでこのメールの返信と他のいくつかの「国際
戦略フォーラム」に関して公共事業や日本の国旗・国家などの身近
な話題のものについてまとめたものを送信します。
(少し、忙しいのであまり詳しいものは提供できませんが了承くだ
さい。)

1,ガイア理論
 かつて、地球線宇宙号という考えが、われわれの地球に対する一般
認識でした。要するに、機械です。進化しないのです。これは、
18C以降のデカルト的機械論によるもので、現在は複雑系の登場
などによって、このパラダイムは崩壊しつつあります。地球はガイア
である。地球が生命をはぐくむ前とその後で環境が大きく変化して
いるところからこの仮説付けがなされました。

 生命による多角的な生態系が地球のホメオスタシス−恒常性を促進
させているという。つまり、地球がはぐくむ生態系が多角的になれ
ばなるほど、地球は長生きできるという風に考えてよいでしょう。
つまりは地球は一個の巨大な生命体として進化を続けているのです。
もちろん、太陽系の崩壊という限界は明かですが。この仮説付けが
複雑系と融合し、ガイア理論となりました。

 因みに、これは僕の個人的意見ですけど、その生態系から生まれ
、現在、地球の恒常性をCO2などによって破壊している人間はいかな
る存在なのか。この疑問に対する答えです。牛や猿でも地球では生
きてゆける。では、宇宙ではどうか。われわれ人間は、何か別の世界
に生きる使命を負っているように思えます。破壊は、反抗期のよう
なもの。人類としての成人が今、必要だと言うことです。「理由の
ない存在はない」これが、私の思考の助けです。

 また、これへの危機打開に関しては今、ミームというDNAに変わる
自己設計進化の理論が唱えられています。

2,複雑系
 時計仕掛けのリンゴに代表されるデカルト・ニュートンのパラダイム
からアインシュタイン、プリコジンを経て新しい哲学概念が今、作
られつつあります。そのきっかけとなるであろう存在が複雑系です。
かつて、科学は要素還元主義の手法を取り、「部分の総和は全体に
等しい」としてきました。これは、ギリシャ哲学や多くの宗教が
第一原理という、この世の全てを普遍的に支配する原理があるとし、
それを探求することを使命としたからです。また、そのほうが簡単で
したし、これは歴史の必然といえます。しかし、生命と生命でない
ものの区別は、これでは全く不可能です。生命の起源はアミノ酸と
言われています。アミノ酸が結合を続けてゆくと突然単細胞生物とな
った。

 タンパク質はアミノ酸の結合体ですが、生命ではない。この種の疑問
が宇宙理論、物理学、生物学など多方面で展開され、要素をただ還元
するのではなく、要素同士がどう関係しあうかを考える関係論的把握
の手法を追求するようになりました。それが複雑系です。しかも、
未だ、経済学をはじめとして、多くの学問では、デカルト的手法を用
いたものが多く、複雑系への転換を求めていかなければならないとい
ったところです。

 上記を含めた、現代科学のより深い知識を求めるならば、このサイト
をご覧になるとよいでしょう。
「量子論と複雑系のパラダイム」
http://plaza2.mbn.or.jp/~nif/paradigm/paradigm-web.htm
青木さんという個人がやられておられるものですが、かなり中身の濃
いものです。私も、現代科学の興味を引くきっかけをここから得まし
た。

 あと、書籍であれば、具体的に実社会との関連性を説いたものとし
ては
   フリッチョフ・カプラ「ターニング・ポイント」工作舎
がよいでしょう。
分厚いですが、読み応えがあります。因みに、私は経済学専攻で複雑系
を基盤とした卒論を書いて、知人に見せたところ「カプラの縮小版じ
ゃん」と言われて、読んだ本です。本当にそうでした。1984年出版
なので、あまり笑えない話です。

3、吉野川の件に関して
 読者の方からのコメント読ませていただきました。
たばこ産業や酒産業のからの観点は、確かに公共事業を有効需要のみの
観点からとらえた場合、非常に興味深い見解だと思います。しかし、
本来は、公共施設の拡充と有効需要の両方の性質を見越して行うのが
公共事業です。

 しかも、無欲が大切という表現がありましたが、公共事業は、通常
投資を行う場合、フリーコスト原則という利潤を見込まない前提で行う
のです。

 やはり、問題は公共事業そのものではなくて、長年の政府(自民党)
とゼネコンとの癒着でしょう。しかも、結局はそれも国民の情けなさに
あります。高度成長の甘い蜜におぼれて、何千年も前からの教えにある
、諸行無常・盛者必衰を忘れてしまっていた。なにより、自由と平等
が自然との契約と不断の努力によるその継続による自然法の契約概念
も忘れてしまっている。そのつけが教育、犯罪、宗教、国民体質にで
ている。これは当然日本に限ったことではない。形こそ違え、多くの
先進国が頭を悩ましているとことです。物質的豊かさでは解決できな
い問題があったことを。世の中が改善されてゆくことは約束されてい
ますが、それはあくまでわれわれの自覚によるものです。

 だからこそ、自己責任の時代と呼ばれる現代は、そういう点で望ま
しいといえるでしょう。批判と摂取ではなく、批判と対策が重要だか
らです。

 これでさらに一言いえるのは、もし「俺は日本の国旗・国歌は認め
ない」というひとがいたら、こういって上げるのが妥当でしょう。
「じゃあ、“君が代”わりをつくってよ。」でないと、オリンピック
のときに流す曲と掲げる旗がない。今は人間の同一性の認識力が小さ
いので、国単位にとどまる人が多いですが、そのうち、人類としての
自己同一性を認識できるようになれば、国旗・国家は必要なくなる
でしょう。そのためには、勉強しかないんですよね。死ぬまで勉強。
「無知は全ての罪の元である」、「無知からの解放こそ、哲学の最
終命題である」。知ることは何よりの快楽である。それでは。
                        仲津
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(Fのコメント)
かなり、面白い議論になっている。紹介されたHPの面白い。
 複雑系の応用で、国際社会・政治システムを評論していただくと
いいかもしれないですね。今後の投稿も期待しています。

 国旗や国歌は、日本の歴史に裏付けられている必要があるはず。
このため、「じゃあ、“君が代”わりをつくってよ。」とはいかな
いと思うが??

 グローバリズムになると、民族性の保持が重要になる方向にある。
全世界に展開している中国人やイスラムは、民族や宗教の保持を
積極的にやっている。欧州のフランスでも自国文化を保持する政策
を積極的にしている。
現時点は、人類としての自己同一性を認識できるような状態では
ないのでしょうね。

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