118.米国から見た国家・国旗論



以前にも質問をさせていただきました。
私もアメリカの短大に留学したことがありましたが、個人としての
アメリカ人には敬服するものの、集団としてのアメリカつまり国家
にはどうも疑念を抱かざるを得ません。まあ、そう言うとちょっと
きついですが、アメリカにいて感じたのはいかにも人工国家の臭い
がしたということです。国家という言葉自体が人工を意味するので
しょうが。だからアメリカ人は多種多様な民族構成であっても「ひ
とつ」を意識させるために、国家・国旗、はては時折車のステッ
カーにも貼られているような「God Bress USA」など、まともな信
仰心を持っている人が見たら赤面するようなプロパガンダがない
と、(ああ、もちろん米国の敵、もですね)存続できないのでしょ
う。

 一方、日本は国家というより国なんでしょうか。「国破れて山河あ
り」アメリカ人の友人に言ったらほとんど意味が理解できませんで
した。国際社会では良くないことなのでしょうが、どんなに頭をす
げかえても、日本は日本という意識が日本人の政治への無気力感を
生み出しているのでしょうか。でもアメリカ人は変なことに、やは
り「ここは侵略した土地」という潜在意識を持っているように感じ
ました。逆に言えば、火星に星条旗を立てればそこがアメリカ、と
いうことでしょうか。国家とはそんなものだと認識していますが。

 一方日本は言うまでもありませんが、土地に愛着があります。土
地あっての人ということでしょうか。
近頃、驚いたことがあります。豪州に赴任していたときに、一緒に
働いていたニュージーランド人の女性が豪州男性と結婚するので、
豪州国籍を取得したのです。そして彼女は今はすっかり豪州人で
す。私はなぜか戦時中の日系人強制収容所を連想しました。アメリ
カに行って感じたのは、日本人の場合、(古い文化を持つ国民は全
部そうかもしれませんが)名前を変えても、生涯英語で生きても、
生涯米の飯を食べなくても、何もしなくても一生涯日本人であるこ
とがついて回る、ということです。欧米人であれば、少なくとも順
応する部分が多いでしょう。 だからアメリカ人はどんなことが
あっても日本人たれる日本人、日本文化に嫉妬したのではないかと
思うのです。そんな民族だから強制収容所にでも入れておかないと
枕を高くできなかったように思います。(アメリカ人は非常に歴史
コンプレックスですね)

だから、国家に無関心、国歌や国旗に敬意を払わないが、それでも
あくまでも日本人をしている。そしてこれがまさに愛国心に目覚め
たら、アメリカはこれが怖いのでしょうか。そういうことならアメ
リカの戦後の日本への教育指針に納得がいきます。みごとに自虐的
にプログラムされています。確かに1民族、1国家、1言語、1文
化。これはなかなか得られない素晴らしい機動力を発揮できる武器
にはなりますね。最近は幕末、明治時代に興味を持ち、片っ端から
本を読んでいます。また、外国人から見た当時の日本を記した手記
なんかも読んでいますが、アメリカにしてみれば、できればさっと
通過して、じっくりと学んでほしくない部分であるように思いま
す。政治家・軍人共に昭和時代のそれと比べると「本当に同じ日本
人か?」と思うほど傑出していると思います。やはり1民族、1国
家、1言語、1文化であった機動力の賜物なんでしょうか。

もっと日本人が外国と接し、自国の歴史を正しく読み返したら、明
治時代のような信念のある和洋バランスのとれた時代がまた、到来
できるのでしょうか。

これからも楽しみに読ませていただきます。

bruce-nさん
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(Fのコメント)
bruce-nさん、ありがとうございます。今後も米国から見た視点の
投稿お願いします。

 日本の伝統文化を、取り戻す運動が最初でしょう。このためには、
戦後のGHQ呪文から脱出が、どうしても必要と認識しています。
それと、江戸時代の発掘が重要のような気がしています。
日本のルネサンスですね。

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