続・公共事業の思想



(読者の意見)
初めまして謙です。
どういうふうに意見を言えばいいのか、いまいち理解してないので
的外れな意見になったら申し訳ありません。

まず、公共事業には無欲性が必要である、というのは大賛成です。

吉野川の可動堰問題ですが、あれはどうなるんでしょうか?
たしか、住民投票を行い、反対派10000人>賛成派1000人という結果
になったと記憶しています。

が、どうやら、環境問題と水の汚濁が起きるのは一部地域だけで、
他の地域の人は圧倒的に可動堰を建設するべきだと主張していて、
署名も30万人分が提出されていると聞きました。

もちろん、環境破壊が表面上は小規模に見えても、後になって甚大
な影響が出るということは多々ありますから、範囲の問題ではない
とは思います。

そこで質問ですが、行政側の「環境への影響は少ない」などの報告
は事実なのか?ということです。
例えば、行政と建設業者が裏で手をつないでいるとしたら、当然、
計画を進めるため自分たちのメリットを主張するのではないでしょ
うか?

又、明治維新に関しての意見ですが、結果はどうあれ、私心なしで
の活動家はいなかった、もしくは、いたとしても極少数で本当に表立
って活動できた人はさらに限定されていたのではないでしょうか?

例えば、西郷隆盛、桂小五郎が明治維新での薩摩と長州での推進の
中核となっていました。が、彼らはあくまでも「藩」という視点から
しか見ることができなかったのではないでしょうか?
個人的には坂本竜馬ぐらいしか、維新の推進派で「藩」という組織
にとらわれず、活動してた人間はいないと思ってます。
人間、組織に属す以上、その組織の利害を考えてしまうのではないで
しょうか?もちろん、権力を持たない組織で社会を改革するというのは
大変なことですが自らの私心を無くすことには他人の利害を考える
以上、無理がでてくると思います。
幕末に「藩を無くし、統一国家を創りあげる」と、言っていた人達は
危険思想の持ち主、もしくは狂人として相手にされない人達だったと
思います。

ただ、最初に書きましたが、物事を考える時はあくまでも、そういう
利害を越えたレベルでするべきだと思いますし、それによって得ること
も大きいと思います。

なんだか、まとまりの無い上に長い文章になってしまいましたが、最初
の質問共々、御意見が聞きたいです。

Kimura
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(Fのコメント)
 私の主張は、日本の河川や海岸で天災の確率が1万分1であるなら、
それから守るというのは、ムリがあるように思うのです。

 今、やるべきは本当に被害の可能性が高い所を優先した方がいいの
ではないか。または、その金で都市環境の整備をした方がいいのでない
ですか。ようするに、経済性の原理を土木建設にも導入して、判断すべ
き時代になったように思うのです。河川改修ができて、被害が普通では
出ない最低限のレベルは達したと思うからです。

 日本の公共事業は日本の競争力向上に向けていくべきだと主張して
いるのです。住民の居ない所に新幹線・高速道路や百年か千年に1度の
確率の被害のための工事があまりにも多いように感じるからです。
それなら、その金を、都市の道路整備や国際空港整備や老人医療整備
や今後の課題になっている分野にシフトすべきです。

 このような議論が日本では発展しないのです。吉野川の可動堰が
いいか悪いかの議論になってしまう。しかし、国の金は国民の税金で
すよ。この使い道の優先順位が議論されていないのはなぜでしょう。
欧米では当たり前の議論なのですが。

 木村さん、現在から明治維新を見た感想ですよね。これは、戦後教育
による利害得失ですべてを見るという科学的態度です。戦後教育の成果。

 私心なしができるのは、現世の損得を超えないとできない。
この思想を戦後教育は喪失してしまったため、この観点からの議論が
できなくなっている。日本帝国のために死を考えると軍人が言っても
それは、軍国主義のためしか見ない。そこにある思想性や苦悩が理解
できないのです。

 若者が自分の金儲けより、国家の為に役立とうというとなにか変で
しょう。戦後、日本では論語や人間としての価値とはなにかを教育し
ていないためです。ちっと遠回りをしてしまった。

 江戸幕府がこのままではダメと感じていた勝海舟や、外国の事情を探ろ
うした吉田松陰は、藩や組織を超えた活躍をしている。坂本竜馬は、勝
の意思の伝令であったように感じる。その後の大久保も明治維新までは
薩摩藩ありきであったが、その後、藩を潰す廃藩置県を行い、それが基
で暗殺されるが、私心はなかったはずだ。反対が多くとも、日本のため
なら、死んでも行うとの信念がないと廃藩置県はできなかった。

 江戸時代の武士階級は武士としての思想で生きていたのです。金
とは縁がない。金を儲けるのは、卑しい町人がやることでしたから。
 欧米でいう貴族性を江戸時代は持っていたのですが、戦後、この武士
の持っていた思想も軍国主義の悪い思想ということで、廃棄している
のです。

 それと、江戸時代末期、日本は一つの「公」の単位として確立して
いなかった。公の対象は、藩でしたから。私心をなくして、藩のために
尽くすですね。その当時のほとんどの武士は。

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