(読者からの意見) 得丸です。 公共事業の話が、ひろがりを見せているようですので、公共(対立概念 としてエゴ)について、議論をさせてください。 公共とは、私のないこと、私欲や物欲を100%排除した、絶対的に無私 の視点にたつべきだと思います。 江戸末期の思想家吉田松陰は、「講孟剳記」(講談社学術文庫)の中で 「仁智勇」の心で行動せよ、といいます。 つまり、一点の私心ない仁愛の精神をもって、日本を守る(当時は)という 目的意識をもって学習し、何をすればよいかわかったら、迷わず、命を 失うことを顧みずに、即行動に移せと。 この考えが、おそらく日本の明治維新を成功に導いた根本思想であった のだと思います。 仁智勇の教えは、孔子が論語の中で二回も語っていることであり、伊藤 仁斎も、西郷隆盛も、おそらく当時の日本人の中でそれなりに意識の高 かった人々が共通にもっていた価値基準でした。 しかしながら、絶対的な無私の心に全ての行動の動機づけ、その仁智 勇を直列に結びつけて、誰にも相談することなく迷わずに行動に移すこ とを可能としたところに、兵学者松陰ならではの現実感覚が反映されて います。 あらゆる議論をする前に、私たちは自分の心を振り返り、自分の考えや 行動が、仁にかなっているか、礼にかなっているか、を反省すべきです。 私を利する心が少しでもあったら、駄目です。無私だからこそ、議論や 行動にパワーがつくのです。(絶対零度で超電導がおきるように) それから議論をすれば、もっともっと収束する、意味ある議論になるの ではないかと思います。つまり、とるべき行動が見えてくるのではない でしょうか。 ================================= (Fのコメント) 得丸さん、ありがとうございます。このコラムで思想を論じられる とは、考えてもいなかった展開です。 明治維新は、江戸時代の陽明学の影響を大きく受けていたのでしょう。 行動が、純粋です。しかし、行動が純粋であると、生身の人間は受け付け ないのが普通です。しかし、吉田松陰は、この陽明学を生身の現実的人間 に教育する。そして、その方法が優れていたように思うのです。知行合一。 維新は、そういう人間が命を掛けで実現したのです。この中核部の周り に残念ながら利益を求めて、参集する人たちが大量にいたことも確かです が、中核部の思想性が重要なのです。この人たちが生きていた明治時代は すばらしかったと思います。 そして、現代は、論語の仁・孝・礼や無私の思想を学校教育でも 家庭教育でも教えていません。学校では経済論理の利益が重要とのみ 教えているのですから、現代、私利私欲の人間が大量に居てもおかし くないのでしょう。現在は日本文化・伝統の変質が著しい状況です。 このような私利私欲の人たちは、刑事罰を恐れるためだけで、法を 守っている状態になっているように感じています。しかし、慣習法が しっかりしていなくては、法だけでは秩序は守れないのです。 成人式等でも、「私」が氾濫、集団としての「公」を確立できません。 公共事業は、日本の次の姿に向けた構想の基、計画的に実行して いく必要にあります。今までは、河川の氾濫を無くすことや、不便 な地方を便利にすることが、重要でしたが、やっと、次の日本を目指 す方向に資金が回せるようです。ここで今までの惰性の施策を継続 すると、将来の日本に禍根を残すことになると思います。