107.公共事業の思想



(読者からの意見)
得丸です。

公共事業の話が、ひろがりを見せているようですので、公共(対立概念
としてエゴ)について、議論をさせてください。

公共とは、私のないこと、私欲や物欲を100%排除した、絶対的に無私
の視点にたつべきだと思います。

江戸末期の思想家吉田松陰は、「講孟剳記」(講談社学術文庫)の中で
「仁智勇」の心で行動せよ、といいます。

つまり、一点の私心ない仁愛の精神をもって、日本を守る(当時は)という
目的意識をもって学習し、何をすればよいかわかったら、迷わず、命を
失うことを顧みずに、即行動に移せと。

この考えが、おそらく日本の明治維新を成功に導いた根本思想であった
のだと思います。

仁智勇の教えは、孔子が論語の中で二回も語っていることであり、伊藤
仁斎も、西郷隆盛も、おそらく当時の日本人の中でそれなりに意識の高
かった人々が共通にもっていた価値基準でした。

しかしながら、絶対的な無私の心に全ての行動の動機づけ、その仁智
勇を直列に結びつけて、誰にも相談することなく迷わずに行動に移すこ
とを可能としたところに、兵学者松陰ならではの現実感覚が反映されて
います。

あらゆる議論をする前に、私たちは自分の心を振り返り、自分の考えや
行動が、仁にかなっているか、礼にかなっているか、を反省すべきです。
私を利する心が少しでもあったら、駄目です。無私だからこそ、議論や
行動にパワーがつくのです。(絶対零度で超電導がおきるように)

それから議論をすれば、もっともっと収束する、意味ある議論になるの
ではないかと思います。つまり、とるべき行動が見えてくるのではない
でしょうか。
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(Fのコメント)
 得丸さん、ありがとうございます。このコラムで思想を論じられる
とは、考えてもいなかった展開です。

 明治維新は、江戸時代の陽明学の影響を大きく受けていたのでしょう。
行動が、純粋です。しかし、行動が純粋であると、生身の人間は受け付け
ないのが普通です。しかし、吉田松陰は、この陽明学を生身の現実的人間
に教育する。そして、その方法が優れていたように思うのです。知行合一。

 維新は、そういう人間が命を掛けで実現したのです。この中核部の周り
に残念ながら利益を求めて、参集する人たちが大量にいたことも確かです
が、中核部の思想性が重要なのです。この人たちが生きていた明治時代は
すばらしかったと思います。

 そして、現代は、論語の仁・孝・礼や無私の思想を学校教育でも
家庭教育でも教えていません。学校では経済論理の利益が重要とのみ
教えているのですから、現代、私利私欲の人間が大量に居てもおかし
くないのでしょう。現在は日本文化・伝統の変質が著しい状況です。

 このような私利私欲の人たちは、刑事罰を恐れるためだけで、法を
守っている状態になっているように感じています。しかし、慣習法が
しっかりしていなくては、法だけでは秩序は守れないのです。
成人式等でも、「私」が氾濫、集団としての「公」を確立できません。

 公共事業は、日本の次の姿に向けた構想の基、計画的に実行して
いく必要にあります。今までは、河川の氾濫を無くすことや、不便
な地方を便利にすることが、重要でしたが、やっと、次の日本を目指
す方向に資金が回せるようです。ここで今までの惰性の施策を継続
すると、将来の日本に禍根を残すことになると思います。

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