国の安定性について



 今まで、国際的な動向を検討してきたが、読者の皆様からの質問
を見ると、国家観とは何かということが分からないために、質問さ
せているように思えるのです。戦後、国家観の教育がなくなったた
めでしょう。
 このため、少し視点を変えて国家の原理を検討・議論したいと思
います。まず、国の安定性について論じようと思います。

 国の安定性とは、国民の統一的な秩序観があり、その秩序観に基
づいた法律が整備されていることであろう。国民は法律を知らなく
ても、自分の評価尺度で生活していれば、犯罪等は犯さないことが
できる社会である。勿論、親が子供に親の価値観を伝承する必要
はあるが、それを意識しないで実行できることが必要であろう。
このため、日本の法律も半数以上は明治初期の太政官時代に整備し
た法律が使われているのです。慣習法はあまり変化しないのです。

 そして、その国の秩序価値観が国際社会のそれと同じであること
が必要である。なぜか?
 国際社会の価値観と違うと、70年代に日本が東南アジアで味わ
った労働観の違いよる戸惑を感じることになる。時間を守らないなど。
普通は、そのような国には外国資本は来ないし、地元資本でも生産
性が低く、国際社会での競争に負けてしまう。このため、国は西洋
の契約や価値観を教育して、変化させようとする。しかし、西洋の
価値観を導入する基盤がないと、導入が進まない。その例が
アフリカやフィリピンにある。

 アフリカやフィリピンなどは、その国特有でかつ、長い時間の
秩序観を経験していない。それは、自主的統治の歴史が短いため
と、外国支配時代に奴隷労働を強いられ、固有文化を持てなかっ
たためと考えられるのです。

 このため、国際的な企業が進出しないし、進出してもうまく行
かないことが多いのです。秩序観の西洋化が進んでないためです。
 しかし、この価値観を国民に醸成するには、長い時間が必要なの
です。

 日本の場合、神道の基礎価値観の上に、紀元600年に聖徳太子
が仏教を導入した。その後、白江村の戦いに負けたことにより、
天武天皇が唐から律令制を導入し初め、文武天皇の時に大宝律令が
完成した。しかし、律令制は日本に定着しなかった。日本の慣習と
は違ったため、律令は朝廷の官史しか知らないことになり、ほとん
どの人が知らないために無視されていった。

 この日本に慣習法ができたのは、鎌倉幕府の貞永式目で、やっと
庶民(武士)にも法律が浸透する。この後の幕府はすべて慣習法に
なったため、秩序が整ったのです。

 その後、明治維新で欧米の文明を導入し、契約制度等日本のそれ
までの秩序観に欧米の価値観をプラスして、新秩序観を創造したの
です。
 この秩序観が戦後再度米国流の価値観を入れて、中国文化の儒教
的価値観を捨てたのでした。現在論語教育はほとんど日本ではされ
なくなったのです。
 このため、日本は大きく変化して、米国流価値観になっているの
です。戦前生まれと戦後生まれの経営者の倫理観が違う理由です。
しかし、変化はあったにしろ、1400年以上の歳月をかけて、
日本民族の秩序観と統一性を醸成してきたのです。これは大きいで
す。日本の財産だと思います。

 しかし、米国国民の多くはいろいろな国から移民してきたため、
秩序観や価値観はバラバラでかつ、その価値観を60年代統一しよ
うとしたが失敗した。現在は、最低の道徳を教育しようとしている
が、価値観の違いや人種差別からの犯罪が多発している。その上
銃社会であるため、直ぐに大量殺人になる。

 国家が安定する条件は、一民族国家がいいが、もし、移民を導入
する場合でも、日本の価値観と似ている国から、徐徐に移民を受け
入れることが必要でしょう。

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