2593.制御こそいのち



制御こそいのち。 虚風老   
   
 消費=欲の達成は、生命の炎であり、炉の火でありエンジンである
わいの。
その為、燃やしつづける為には、連続的なエネルギーの投入がいる
のは当たり前のことじゃ。

しかし、野放図な炎は人を焼き尽くすし、世界に対して、破壊的な
力でもあるわけじゃ。
生産する力とは、一にも二にも、制御・制御。。。コントロール。。。
コントロール。。から生まれるわけなんじゃよ。
(モノを造る時には、まず自己の肉体をコントロールしなければな
らんし、機械ならば、メカニズムを制御しなければならない。また
、モノをつくる人と人や、人とモノの間=システムを制御しなけれ
ばならない。)
破壊には、力(パワー)だけでもできるが、思いのとうりに爆発燃
焼さけるには、これも制御技術の粋がいるじゃろう。

消費の面白さより、つくること・生むこと(生産)の方が、はるか
に面白く・楽しめることなんじゃ。
制御は、同時に2者間(自己と他世界との)でのコミュニケーショ
ンでもあるといえるじゃろう。消費が自己閉塞的(自己を満足させ
る)な快楽ならば、コミュニケーションは開かれた快楽じゃ。

消費でない楽しみ方を知っておる人というのは、たいてい、何かを
、つくったり・生んだり(芸術とか)しているか、コミュニケーシ
ョン上に楽しみを見つけられる人じゃな。
会社をつくるというのは、その総合じゃから、もちろん面白いしの。

制御こそ、方向を持った力であり、その高度化こそが<技術>なの
じゃ。

                 虚風老

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大衆と民主主義。 虚風老 
   
 民主主義では、自立・自覚した個人というものを想定しておるよう
に思えるが、アメリカなどで、民主主義とは何か、また現在の民主
主義がどうなっているかという考察をした本がたくさん出ているこ
とはご存知であろう。

ホワイトハウスは、最大の宣伝活動であるという意見もあるし、メ
ディア操作などに関する書物もでておる。
大衆操作ということでは、アメリカで発達した行動心理学などがあ
げられるのじゃが、これの淵源はナチスであったわけじゃ。

選挙などで、見られるネガティブキャンペーンもそうであろうし、
日本でも、野党・与党を問わず、イメージの落しあいや、論争のな
かでのダメージコントロールがおこなわれておる。(政策の有効性
を論ずるより、はるかにエネルギーが割かれておる。わしゃ、それ
を見る度にうんざりしてしまうがの。)

また、大衆はマスとしては、信じられるモノかもしれないが、個々
は自己利益にとらわれたり、偏見にみちていたり、感情に左右され
た、不条理なものでしかないじゃろう。(わしだってある意味そう
じゃ。最終的には、自己の内心の良否に照らし合わせるからの。理
屈と感覚が相反して、どこかおかしいと感じた場合、直感を重んじ
るわい。)

その国の政治は、その国の国民レベル以上のモノをもつことはでき
ないというのは、よくできた格言じゃな。

今や、民主主義とは、底辺の主体的な<個の判断>の総体なのでは
なくて、操作すべきモノになってはおらんじゃろうか?
そして大衆は、ますます被操作的になっておるのじゃないじゃろうか?

                  虚風老 
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Re:大衆と民主主義。       猿マシーン 
   
 国民とか国家とか、そういう枠組みはもう意味が無いんじゃないで
しょうかね?
国家は余りにも脆弱ですし、個人は能力さえあれば国家を倒せる時
代です。
Google化した世界と言えるんじゃないですか。 



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