2586.現代と仏教について



現代と仏教について、求道しつづけてください。 まとり   

 ブッダとは、何か?
それは、「真理に目覚めた者」という意味である。
真理とは、何か?当事、「苦からの救済された状態」として、解脱
=涅槃(ニルヴァーナ)の思想が先行的に存在した。すなわち、完
全なる「苦からの救済」を手に入れることが、ブッダが求めた本来
の「真理」なのである。(そもそもの目的が、哲学的真理の究明で
はない)
そこで、もう少し深く振り返ってみれば、そもそも対象となる「苦
」とはいったい何なんだろう?
実際に救済されるとはどういうことなのか?が問題になる。

そのために、世界及び自己を見詰める。=真理の根底を見詰める。
(ここでは、いやがおうでも哲学的真理にも近接していく)

真理の根底がダンマ(法)である。(この言葉も先行する哲学−思
想−宗教にすでに存在した)ブッダとは、そのダンマがなんである
かを顕かにし、仏とは、ダンマを説くものであり、転嫁してダンマ
を意味した。仏性は、だから、ダンマそのものを指す場合で使われ
るときと、ダンマを知る・ダンマに随順するときも使われることに
なる。
(指すものと指し示すものが同じ概念で括られる場合がでてくる。)
現代的にいえば、シニファンとシニフェの混同・混用である。

同じように、真理に目覚めたことと、真理そのものが同じ「仏」に
括られている。
で、根源の真理と派生的なハタラキにおける真理が存在する。
では、ブッダの言う真理とはなにか?ダンマとはなにか?
それは、
すべてのものが変転化している。変転化していることが存在を生む
。(諸行無常)
すべてのものに固定し自生独立自立したという実体はなく、すべて
は因果を含む相互依存的な関係性がつくりだしている。縁・起=(
諸法無我)

また、他方で仏と神観との混同がみられたのも誤解しやすい原因で
あろう。
東洋において、「神」とは、自然の力、ハタラキの擬人化から出発
している。
つまり神の力・ハタラキを動かすことに、呪文や祭祀の源泉がある。
したがって、願望(欲)を達成することに順に働く力を期待する。
(もしくは、逆に働くのを避けることをねがう。力そのものは、
順逆両方に働くものだから)
ところで、まったく、神と関係ないかといえば、そうも言い切れない。
なぜなら、神を内在性(こころ)と捉えた場合、それを動かす力は
識にあるからだ。
しかし、それは外在性の神との混同であろう。(もちろん、東洋や
西洋の神秘主義では、この外在と内在の同一であることを説く)
ダンマもまた自然に内在する究極のハタラキ・力そのものを生み出
すのであるから、その力のという意味もある。(それから、即物的
な展開をしてしまう)

なお、密教については、あるチベット密教の師家が、密教とは、
「変換」である。
と述べた著書に会って、なるほどと目から鱗が落ちる思いがあった。
いわば、「力の変換」を通じてあらゆる場面での「救いの力」とし
て現じていくのである。(空海錬金術師説の淵源はここにあるので
あろう)

わたしも、中村元著作全集を読みながら、なぜ、かように多様な考
え方が現れたのかという理由の方を考えたりしていました。

ところで、先ごろの得丸さんが著わされた、まとめのレポートに関
連したもので、比較的手に入り易いモノでは、小学館ライブラリ―とい
う文庫版に入っている
「バウッダ」中村元・三枝充よし共著、は、今回考究された部分と
重なっておりますので、
参考になるのではないでしょううか?

また、講談社学芸文庫の
「龍樹」は読まれましたでしょうか。
大乗仏教の基本になる空観は、この中論によるものですから、御一読を。

ブッダが希求した真理が、「苦からの救済」であるならば、
多様な現実に即した法門があるのは、むしろ当たり前のような気が
します。
その苦をどれくらい根底にもぐって取り除けるかということと、現
にある苦をとにかく取り除くという道があるでしょうから。

                      まとり

ちなみにユダヤ・キリスト教にとって、救いとは、超越的な絶対神
による任意=パーソナルな行為による「選別によっての保証=契約
」による奇跡に求めています。
だから、「神は死んだ」とか、「進化論」とかが「救いの保証」を
危うくするという心理がはたらくのでしょうね。
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みなさま、        得丸

明後日から夜行バスを使って、4泊5日で、H大学に出かけてま
いります。
インド現代史を教えている友人が、大教室を3コマ、ゼミを1コマ
使ってよいということですので、現代南アフリカ史を2コマ、21
世紀仏教思想を1コマ、ゼミで読書論を話すつもりです。

それぞれ異なるテーマですが、基本は、1.人類はどうして裸にな
り、どうして言葉を生み出し、どうして文明を作ったかということ
と、2. 言葉には意味がない、言葉によるコミュニケーションの
メカニズム、限界と技法、3. 思想をもつことの大切さ、なぜ人
間は思想を必要とするのか、といったことを話すつもりです。

原始仏教、大乗仏教、日本仏教についてのレポートに加えて、悟り
・仏性・空・縁起・本覚といった基本概念について、西原克成・島
泰三の文明観をふまえて、なおかつ奈良康明先生の大変にわかりや
すい講義をふまえて、仏教の思想面についてレポートいたします。

URLから、奈良康明先生の「生きる道としての仏教」を読んでく
ださい。

ずばり、悟りとは何かが、わかりやすく、説得的な言葉で語られて
います。私の参加している東京国際仏教塾の開講式の記念講演でし
た。

インド滞在歴のない中村元とちがって、奈良先生は4,5年インド
に留学しておられましたし、その後もたびたびインドにいっておら
れるインド大好きおじいさんです。その分、話が説得的です。

  http://www.tibs.jp/kougi/nara/nara01.html

余力のある方は、NHKブックスの奈良康明著「釈尊との対話」を
お読みくだされば、仏教とは何かがもっとわかると思います。

では、おやすみなさい

得丸久文
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得丸様の「空」の解釈。浅山
From: 浅山 正治 
                

得丸様

次の会にいただくお話、楽しみにしております。今日、地域の老人
会で、無断で転送した貴メール、その方、貴方の「空」の解釈、今
まで読んできた仏教書より、分かりやすく、参考になりましたと。
その方の孫は「宇宙の三次元のキャドを描けると」言っていました。

もう一人、貴方の解釈に共感深めて居る者がおります。小生の幼馴
染です。彼はハンセン病の熊本の国立病院の栄養技官でしたが、今
は同県下を漫談で講演して回っています。その内宇宙と仏教の繋が
りを説かれる日をご期待申し上げます。

今日は地域の老人会で酒が少々周っていますから、これでごめんく
ださい。取り急ぎご報告まで。草々
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浅山さん、

鈴木先生がおっしゃられるように、言葉には意味がない。ひとりひとりの
体験を呼び覚ます引き金が言葉であり、そのため、意味はひとりひとり
の体験によって異なってくる。

だから、空の解釈は、百人百様可能です。 あまりそんなことにこだわ
る必要はないよ、とおっしゃる方もおられます。

だけど、そういいながらも、空=無であるかのような、「実体がない」という
中村元ほか、日本の仏教学者のわけのわからない通説だけが通用して
いるのは、おかしいことですね。

それに、お釈迦様あるいは、過去の仏教者が、この言葉に込めた思想
はなんだったのかは、気になるところです。

木曜日に、弘前大学で、「地球史・人類史から読み解く21世紀仏教の思
想」というタイトルで、講義をしてきました。そこでは、空は、デルタ t であ
るという立場で説明をしてきました。 幸い、学生には受け入れられたよう
です。

よろしくお願いします。

得丸


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