2581.マネー情報空間



マネー情報空間             虚風老   
   
信任性の問題がでてくる。
アメリカならば、ドルを刷れば、問題にならなかったが、アルゼン
チンならば、問題になるじゃろう。
IMFが、発展途上国が赤字になった時は、型にはまった、緊縮財政を
強要して、多くの国が苦しんだ。
自国では、反対のことをするんじゃがね。

アメリカは輸入国になった。ドルの切り下げは、今後はインフレを
招くじゃろう。
いままでは、国内生産物が、外国産への置き換えであったから、価
格を下げた。
しかし、国内生産物がないもので、外国産を輸入する必要があれば
(石油とかね)、ドルベースでの価格は上がる。

ドル基軸というのには、いわば、背後に、<ドル=軍票>という姿
さえ考えられるわけじゃ。他国が、アメリカの力に対して、信任し
、且つ又代替できるようなモノがなかった。
それほど、1950年代を頂点に、アメリカの富・軍事力・工業生
産力、規範力は、圧倒的であった。
赤字→ドルを刷るというのは、相対的にドルの価値を落とす。
現に、今も円以外の通貨に対して、下落をつづけている。(円は、
輸出産業のことを慮って、買い支えに回っている。)もちろん強さ
や安定度というのは、相対的なモノじゃから、他国が、アメリカの
座を脅かす(代替可能なほど)ほどないと、乗り換えられないじゃ
ろう。しかし、政治的な正当性を失ったことの影響は、今までとは
違う時代がくる可能性が大きい。

「投機」がなぜ起きたかが問題になる。

ここで、<決済>というのを別の見方をしてみたい。
<現物の財や、サービスがあって、それの使用価値が生じる世界>
と<マネーとして、データ化=情報化された世界>を見てみる。
現金は、即時の決済である。
それ以外は、タイムラグを生じる決済といえるじゃろう。

ここで、<決済>はデータ空間内での、データの交換=相殺という
決済と、データから消費物への決済という二つがある。普通、価格
をつけるというのは、実体に対し、交換価値がこれだけあるという
データ(情報)への変換が行われ、使用する場合は、このデータを
再変換してモノ・サービスという実体を手に入れる。(データ化し
ている間は、データとして保存ができる。またフォーマットが統一
されているので、変換がすみやかに行われる)

需給や市場というのは、実体がどういうメカニズムでデータ変換さ
れる(価格決定)のかという、説明原理じゃろう。

実体=情報間の変換をマネー(データ)といい、
ところが、実体の大きさに関わらず、情報間での取引きも、<信用>
をやり取りする形で、可能である。
実物の流れと別に、データ独自の流れがある。
そして、<実物>と<データ>は対応しているようにみえて、そう
ではないのじゃ。
データは、影のように実体に対して伸び縮みするわけじゃな。

この場合、データの廻り先の拡大(権利義務の複雑化による信用量
の増大)が、全体の(情報空間)規模を大きくすることができる。
この場合、最終的な決済が先に延ばされる限り、いくらでも大きく
できる。

多くは「マネーという情報空間」に止まるじゃろう。あらゆる財・
サービスは売り上げや、賃金としてマネー化(情報に置き換えられ
るから)されるからじゃな。最終消費や、実物として放りだされた
存在のみが真に「決済されている」といえる。
通貨量(通貨自体が、国家による強制信用であるが)・信用量(銀
行をはじめ売り掛け、債権、行使以前の権利なども含めた決済され
ていない量)が、「マネー情報空間」の大きさといえるじゃろう。
この場合、内需(実体)に向うはずのマネーは、「マネー情報空間
だけを肥大させた」
つまり最終消費されなかっただけじゃ。そうして、データ空間内で
、裁定取引きという形で、すっと抜かれたんじゃな。そうすると、
影のように肥大していたものも、実体に見合った、いや、それ以上
にへこむわけじゃ。

実需に基づいた消費に対し、信用だけを増大しても、消費という決
済行動がおこなわなければ、生産活動は大きくなったとはいえない。
しかし、実体と乖離しても、大きく伸びた影のように、信用活動は
増大することができる。
この場合、実需と(データ内マネー)が混在しているために、背後
にある<信用>を利用した、決済が可能になる。

ウェーバーは、ピューリタン的精神による質素倹約によって、余剰
な資本が形成されると説いた。
その資本を適宜につかうことで、生産が拡大され、新たな資本が生
まれるという。
だが、本質は、資本は利潤を上げる為に、拡大的再生産を目的をする。
そして、それを有効ならしめるには、「消費の過剰」を必要とする
じゃろう。
かくして、コマーシャルは、消費を増大すべき尖兵としてあるわけ
じゃ。

マネーというデータのトリックに、「名目」と言うものがある。
これは、購買力を基準にして測られるが、
インフレ理論を振り回す人達が、どうやって、財政赤字を無くすか
の方法論として、インフレにすればというのを、言いくるめる時に
使っておるようじゃ。

もう一つ、なぜインフレにしたいのかといえば、これも<移転>じ
ゃからじゃ。
国(税は名目であがるし、借金は実質で減る)つまり、分かり易い
<税>より、見えない移転を行う方が、政治的な不満として、政府
与党の不利益にならんからのう。

誰からか。。。年寄り(年金生活者)や賃金労働者。なんやかやで
、収入が比較的固定している人、価格に転嫁できない人々から、借
金している人へじゃな。
インフレといえば、みんな分かってしまうので、竹中なんかは、「
名目で」などと、経済学を知っているモノにしか分からないいいか
たをしよる。せこいの。

まあ、すこしはずれておって、答えになっておらんかもしれんが、
おいおいまた話してみるからの。
                   虚風老
参考になれば、「マネー敗戦」吉川元忠(文春新書)
==============================
Re:マネー情報空間 猿マシーン   2007/01/19 00:58 
   
 うーむ、やはりイマイチ納得できないなあ。
たぶん、インフレの視座の違いから生まれる違和感だと考えます。

まずアメリカの紙幣増刷の意味。
おそらく、コレはインタゲ(リフレ)だと考えます。
赤字財政の原因は単に紙幣を刷っていないという技術的な要因に帰
すことが出来ると考えます。
そして、アメリカがいま貨幣を増刷してるのは、赤字財政の是正の
ためです。
赤字財政の是正は、当然通貨の国際信用力の強化に繋がるわけです。

それから、インフレは別に嫌悪すべきものではないわけで。
インフレ反対派の論理はイマイチ説得力に欠けると思うんです。

また、虚風老さんは、消費に言及されております。
現在の景気が対外貿易に依存してい好景気だから基盤が弱い、と指
摘されているのは正しいと考えられます。
よって、虚風老さんはアメリカ経済がこけたらマズイと論及されて
おられる。
これも正しいでしょう。
では、日本はどうすればいいのか?
やはり、国内の消費を拡大して需要と供給の循環市場を作れとなら
ざるを得ないのでは。
そうすると、必然的にマイルドインフレを起こさざるをえない。
バブル景気の失敗は、供給する通貨の量を間違えた(端的に言えば
、アメリカのドル攻勢を読んでいなかった)ことにあります。
今は2007年で、1987年ではありませんから、日銀は圧倒的迫力を持
ってマネーサプライを増やすといいんじゃないかなと、なるわけです。
とりあえず試しに国債を買い上げるとかすれば、随分な刺激になる
と思います。

ウェーバーの例えは、日本国民の貯蓄率の高さの比喩だと理解しま
した。その上で、日本の通貨増刷は極端なインフレが起きるかもし
れないからマズイとおっしゃるなら、以下のような論理になります。

@日銀は力が無い(なぜなら10年の不況にさいして、金融政策は無
 力だったから)。
A日銀が紙幣を増やせば、人々はただ貯蓄に回すだろう。
Bよって、循環は起きない。

これは多分虚風老さんもオカシイと感じるはずです。
まず、紙幣の増刷がインフレを招くとしたら、消費者が紙幣を「支
出」に回し、その支出が生産力を超える場合に限られます。
Aで支出は起きないと断じて、@で金融政策は需要を増やす方法と
して効果が無いと断じながら、インフレが起きるというのは実にオ
カシナ議論になってしまいます。
吉川元忠元教授は、なぜかこの議論に疑問を感じなかったようです。

MIT教授クルーグマンは1995年の段階でこの議論のおかしな点に
着目して、日本経済の不況の原因をバッサリと分析しています。
しかしながら、バブル以後の日本は「インフレ=悪」という亡霊に
取り付かれてしまったようで、黙殺されているわけです。
クルーグマンの説は、クリントン政権で積極的に用いられ、クリン
トン景気に結びつきました。
10年位前からクルーグマンの著作は翻訳されて出てるわけですが、
どうも実行される兆しは無かったのです。
2001年以後に行われた量的緩和は、クルーグマンの見解を一部取り
入れたものでした。これは結構有効だったようで、不良債権処理と
ベースマネーの上昇に成功したようです。
あとは、マネーサプライの上昇をはかり、消費刺激をするのも有効
なんじゃないかな、と思います。

ただ、金利上げるとか言い出してる日銀の動きは不気味です。
ベースマネーが伸びただけであり、マネーサプライが伸びていない
のは統計上でてるわけで。
ここで金利を上げると所謂「庶民の肌に感じる景気回復」なんての
は出現しないわけです。
質問があったら質問してください。

参考文献
Collected Essays of Paul Krugman Appeared in Foreign Affairs 

The age of diminished 

The Accidental Theorist : And Other Dispatches from the Dismal Science 

(スンマセン、クルーグマンばっかりです)


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