2574.日本再生の精神を武士道や論語等に求める危険性



日本再生の精神を武士道や論語等に求める危険性

 安部首相の発言に誘発されたのか、日本人の倫理観を日本的に解
釈した論語や武士道に回帰させる趣旨の意見が多い。確かに、明治
初期から日露戦争までの日本人の行動・精神は評価するが、それ以
外の時期を一括りにすることは間違いと思う。

 戦国時代から江戸初期までの日本の人口は増大し、生産は拡大し
ていた。教科書的には開墾と農耕技術の発達によるとされている。
当然、それを支える合理的思考と進取の精神があったからだ。治安
も戦国時代と言われても当時のポルトガル人の記録によればヨーロ
ッパと同等程度で他のアジア諸国より遙かに良好だった。合理的精
神は権力者の能力が劣れば、誰かに取って代わることを意味する。
そのため、江戸時代にはいると徳川家の世襲制の確立のため、支配
する側に都合がよい儒教の朱子学を奨励した。そして、武士道はこ
の朱子学をバックボーンとして江戸時代に確立した。

 数世代に渡った教育結果は江戸末期の武士階級の行動に表れた。
合理的思考の停滞と進取の精神を失った江戸幕府の武士たちは、西
洋からの威嚇・攻撃に対応できなかった。

 純粋に武士道として行動した幕府側は危機に対応できず短期間で
消滅した。行動様式としては美しく日本人の感性に訴えやすいため
多くの文学作品として取り上げられている。それに反し、倒幕側の
主導者は朱子学だけの人間たちではなかった。倒幕側の人間たちも
武士道を持っていたが、それ以外に実践・実利を柔軟に考えるバラ
ンス感覚の持ち主だった。それ故に、明治初期から日露戦争までの
日本の行動は合理的であり、進取の精神を持ち、西洋人に認めさせ
ることができる礼儀を実践した。

 最近の世相を反映し、「自己利益より公益を考慮する事」や「礼
節」を再興するために武士道・論語等の復活を訴えるのはよいが、
武士道・論語等の持つ欠点を十分に理解して説明したものがない。
武士道や儒教は合理的思考や進取の精神が乏しくなり、精神論だけ
に陥りやすい欠点がある。また、欠点ではないが、儒教には「悪」
は永遠に「悪」であるとしている。つまり「いけないことは、永遠
にいけない」となる。一見良い規範に思えるが、なぜ「悪」になっ
たかが忘れがちで、その再検証や状況・価値観の変化への対応がで
きず、思考停止に陥りやすい。

 例えば、トヨタ自動車の基本の一つに「改善」と「なぜを5回追
求する」がある。また、不良があったならばどの工員も生産ライン
を止める規則がある。これらは、合理的思考と進取の精神の一つの
形だと思う。

 「自己利益より公益を考慮する事」や「礼節」は人間関係の基本
で、どの国・民族にもある。集団社会を営む人間にとって必要なも
のなのだ。自己と他者の関係をスムーズにし、調和のとれた社会に
するためである。各国・民族ごとに違った公共精神や礼節があり、
日本の場合、武士道や論語等は規範となるが、上記のような欠点が
ある。多くの規範ではなく、「他人に迷惑を掛けない」「他者への
思いやり」「自己を律する」「強者におもねらない」「全体への奉
仕」などがベースだと思う。ようするに独立心・向上心・克己心・
忍耐力・観察力・好奇心等と他者を思いやる心や他者の存在を積極
的に認める行動が必要なのである。そして、合理的思考と進取の精
神が無ければならない。

佐藤俊二
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(Fのコメント)
論語は、合理的な思考を述べていないだけで禁止をしていない。
その辺りの誤解があるように感じる。そうしないと、現在でも論語
を規範にしている人たちがいるし、米企業家が論語を取り上げない。

江戸時代、幕府は新しいことを禁止したことで、江戸時代は進取の
精神が無くなったのであり、論語にその原因を求めるのはおかしい。
その証拠に明治時代、進取の企業家・渋沢栄一は論語を大切にして
いる。
朱子学には論理性を重んじるために、欠点がある。このため陽明学
がでてきた。

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