2559.世界はなぜ精神病院なのか?



世界はなぜ精神病院なのか? ――― 人類の原罪としての嘘 ―――
鈴木忠志演出 チェーホフ記念モスクワ芸術座公演 「リア王」を観て
2006年12月22日 東京初台・新国立劇場中劇場
from 得丸

僕が今年観た演劇は4本。すべて鈴木忠志演出だった。「オイディプ
ス」、「シラノ・ド・ベルジュラック」、チェーホフ作「イワノフ
」、そして年も押し詰まってみたのが、シェイクスピアの「リア王
」だった。

「イワノフ」では鈴木の若々しくお茶目な演出に笑い、「リア王」
ではボロボロと涙が流れた。鈴木忠志の「リア王」は1994年(ロンド
ン)、2003年(高岡)で日本人キャストで観ているので、これが三度目
だったが、はじめて泣いた。

今回は、役者がロシア人、台詞がロシア語(日本語字幕付)というほ
かは、基本的な原作理解や演出に変わりはない。どうして今回泣け
たのだろう。


演出ノートで鈴木はいう。「世界あるいは地球上は病院で、その中
に人間は住んでいるのではないか、私は、この視点から、多くの舞
台を作ってきた。(略)

主人公は家族の絆が崩壊し、病院の中で孤独のうちに死を待つしか
ない男である。その男がどのような過去を生きたのか、その男の回
想と幻想という形式をかりて、シェイクスピアの「リア王」を舞台
化した」という。もちろんここでいう病院とは、精神病院である。

世界を見よ。太陽が東からのぼって一日が始まり、四季が巡り、鳥
が啼き、花が咲く。どこにいったい狂気が潜んでいるか。どこにも
狂気などありはしない。そこにあるのは天然自然の法、宇宙の法、
仏法が支配するのみである。

ではなぜ世界は精神病院なのか。世界は狂気にみち溢れているのか
。人間が狂気を作るからだ。とくに言葉。言葉の意味するもの
(significant、音声記号)と意味されるもの(signifie、内実)とが不
一致をきたす場合に、狂気は生まれる。

嘘、偽り、へつらい、調子合わせ、裏切り、心にもないこと、でま
かせ、、、。それらの不真実な言葉たちによって、世界は狂気に包
まれ、嘘をつく者と嘘を聞かされる者それぞれの心が乱される。嘘
をつく者は、言葉の真実性を信じなくなったことによって、信じる
という行為そのものに、真実に見捨てられ絶望する。嘘をつかれる
者は信じることの不毛や辛さや悲しさを味わい、絶望する。こうし
て世界は精神病院になるのだ。

リア王の冒頭、三人の娘に王は愛情を言葉にせよと求める。全ての
悲劇はそこに生まれた。そもそも愛は言葉に置き換えることができ
るものだろうか。言葉によって愛の深さを推し量ることはできるの
か。

女たらしや呑み助の患者がちょっとだけ登場することによって、リ
ア王は、仏教の五戒、不殺生、不偸盗、不邪淫、不飲酒、不妄語と
奇妙な一致を見せる。そこにシェイクスピアならではの普遍性があ
るのだろう。

言葉のもつ危険性、言葉がいかにやすやすと真実性を失って、嘘に
なるか。真実を語ろうとする者ですら、嘘の犠牲者になりうる。嘘
こそが、概念を用いたコミュニケーションを生み出した人類に特有
の原罪なのかもしれない。

人間は、真実を語るために、言葉を生み出したのではなかったのか
。それなのになぜ真実の言葉が通じないのか。王国の遺産にも心を
奪われることなく、自分の心の真実を語ろうとしたコーデリア(まご
ころ)までが殺されなければならなかったのはなぜか。

 では、どうすれば嘘は見破れるのか。どうすれば、騙されないの
か。嘘から身を守るのか。言葉の限界を知った上で、健全に生きて
いくにはどうすればよいのか。私たちは、嘘という人類の原罪につ
いてもっと真剣に悩まなければならないのではないか。


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