2558.本覚的総括: 瞬間瞬間を大切に生きる



2006本覚的総括: 瞬間瞬間を大切に生きる、野生動物の生態を基準に生きる
From: Kumon Tokumaru 

みなさま、2006年がまもなく暮れていきます。

だんだん年の瀬とお正月が普通の週末のようになりつつあり、さびしい限りで
すが、それでも、一年一年をひとつの区切りとして大切に思う意識は残ってい
ます。

米軍支配下で戦争後の混迷が深刻化するイラク情勢、北朝鮮による「核実験
騒動」といったきな臭く不安を煽り立てる国際情勢、労働分配率が低いままで、
生活費はかかる一方、庶民の暮らしは大変になっていくばかり。

ワーキングプアという血も涙もない言葉が流通するせちがらさ。石油枯渇は現
実のものとなりつつあり、熊や猿たちの山の生活が成り立たなくなって、人里
に降りてきて次々と殺されていく。本来、散り終わってしかるべき、落葉樹なの
に、まだ葉っぱをつけているものが、かなり多いのも、気になります。

と、暗い話題をして、暗い気分になっても仕方ないので、私の一年を振り返っ
て、少しは明るい話題を提供しようと思います。


1 ストイックな受験勉強

 今年は正月のお屠蘇も返上して、受験勉強で年をあけました。

 会社が第一級陸上無線技術士の資格取得を奨励したので、昨年11月から
禁酒して、1月末に行われた試験の準備をひたすらしました。28年ぶりの受
験勉強です。

   無線資格の受験奮戦記
   http://www.musen-shikaku.com/shikaku/taikenki/tokumaru.html

 幸いに努力が実って、3月から晴れて技術者となったのでした。

(本業の軍事衛星通信についてのご報告は、業務上の守秘義務がある
ために、ご紹介を省略させていただいております。あしからずご了承く
ださい。)


2 仏道修行

 試験勉強づいたので、今度は何か他のことを勉強しようと思い立ち、4月に
開講された東京国際仏教塾という通信講座を申し込み、第19期の塾生にな
りました。

 4月の入塾式、奈良康明先生のご講演、5月の二日間のスクーリング、日
蓮宗(5月)、臨済宗(6月)、浄土宗(9月)、天台宗(9-10月)という宗派のお寺で
の合宿修行、そして、宗教概論、原始仏教、大乗仏教、日本仏教それぞれに
ついての本を読んでレポート提出。ここまでが10月。

   私の仏教修行
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180613.htm

   日本仏教の特徴
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/181208.htm

   大乗仏教の特徴
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181005.htm

   宗教概論・原始仏教・修行の感想
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180904.htm

   既成教団・宗派に感じた限界
   http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180907.htm

 11月からは、天台宗の長福寿寺(千葉県茂原市)で、月に一回二泊三日
の修行を来年3月まで続けています。

 天台宗は、日本仏教の本家のような存在で、坐禅、念仏、法華経、護摩
焚き、声明、そして山の中を歩く回峰行と、実に盛りだくさんの修行をするこ
とができます。ほかに法事の見学や教義の座学もありますので、中身の濃
い週末になります。


3 空=時間の最小変化量(デルタT)である

 この夏、仏教の本を探しに自宅近くの図書館を訪れたところ、ビーム・ラオ・
アンベードカルの「ブッダとそのダンマ」(光文社新書)を書棚に見つけました。

 アンベードカルは、インドの不可触民出身で、独立直後のネルー政権で
法務大臣を務めた人です。大学1年のときの、上原淳道ゼミで荒松雄「三人
のインド人」という本を紹介されて読んだが、3人は、ネルー、ガンジー、アン
ベードカルでした。そのときに偉大な人であるという印象を受けた記憶が蘇り、
その本を借りて読みました。

 今年、2006年は、アンベードカルが1956年10月にナグプールで仏教徒に
改宗して50周年です。また、改宗後ひと月半した12月14日に彼が亡くなって
満50年。この本「ブッダとそのダンマ」は、アンベードカルが聖書を持たない仏
教徒のために、文字通り命の限りを尽くして書き残した本なのです。

 本書の中で、アンベードカルは、「空」について説明します :
「一時性の側面は普通人にはいささか理解し難いところがある。総ての生き
ものはいつか死ぬだろうということは容易に理解できる。

 だが、人は生きていながらいかに変化しつづけ生成してゆくかを理解する
のは容易くない。

 『これはいかにして可能か?総てが一時的であるが故に可能なのだ』と
ブッダはいう。これが後に“空観”と呼ばれる理論を生み出したのである。

  仏教の“空”は、現象界の一瞬毎に起る永久の変化を意味している。

 総てのものが存在しうるのはこの“空”故であることを解するものは極めて
少ない。それなくして世界には何ものも存在しえないのである。一切のもの
の可能性が依拠するのは正にこのあらゆるものの姿である一時性なのだ。

“空”は広がりも長さもないが内容のある点のようなものである。(略)」

“空”は、時間概念であり、「広がりも長さもないが内容のある点のようなも
の」としてアンベードカルは説明します。数学的に評点すると「空とはΔt
 (時間の最小変化量)」ということができるでしょう。

 これは、実は、6年前に僕が富山で考えたこと、そしてなかなか人に理解
してもらえなかったことと同じす。50年前に亡くなったアンベードカルを尚友
と感じました。

以下、6年前の論考:
  http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1212311.htm

 「個々の人間の人生は大河の一滴にすぎない。その人間の生きている
 時間は、かぎりなく短い。

  しかし、一滴一滴の水のしずくがなくなれば、川は干上がってしまうよう
 に、個々の人間がいなければ、どのような立派な歴史も生まれない。

  一瞬一瞬の短い時間がなければ、何百万年、何十億年の時間の連続
 も生まれない。

  たしかな歴史の時間に見えるものが、実は実体などないもので、よくよ
 く見ると一瞬一瞬のできごとの積み重ねに過ぎないのだ。歴史は瞬間瞬
 間の人間活動の結果として存在しているかのように見えるだけであって、
 歴史そのものからは何ひとつ生まれない。

  この瞬間のことが「空」ではないかと思うのです。

  短い人生だけど、一瞬一瞬を大切にして生きなさい、一瞬一瞬に全てを
 かけて悔いのない人生を歩みなさい。

  それをいうために「空」という概念があるのではないか」

以上、引用終わり


4 本より覚る、天台本覚の思想: 野生動物標準

 天台宗には、古くから本覚の教えというのがあります。

 本より覚る、本覚の教えとは、人間は生まれながらにして覚っているという
ことではないかと思うのです。

 生まれながらにして、覚っている。にもかかわらず、文明の中で育つこと
によって、嘘を覚え、酒を覚え、猥褻なことを覚え、盗みを覚え、釣りや猟
など無益な殺生を覚えて、覚りから遠ざかる。

 だから、釈尊は、五戒で、殺生、盗み、邪淫、嘘、酒を戒めたのではない
か。これらは文明の悪弊であり、野性動物は行わないことです。

 西原克成先生によれば、口呼吸と冷たい食べ物・飲み物、そして過労に
よって、人間は不健康になっています。これらも野生生活にはないものです。

 僕たちは、野生動物の生活を思い描きながら、できるだけ野生生物と
同じように生きていくのがよいのではないでしょうか。

  野生動物標準
  http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue66/htm/p7.html

  http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180921.htm


5 一九会道場 お手引きの集い
 12月、ロンドンでいっしょに合気道の稽古をしていたYさんが、一九会
道場の初学修行をするというので、私は「お手引き」として、支援する側
に回りました。
 暖房のない道場で、一座約一時間ひたすら「トホカミエミタメ」と神の名
前を叫ぶ修行。まったく先の見えない状況下で、一座ごとに全力を尽くす
ことが求められます。それを三日三晩もやるのだから、大変。
 私は昨年2月に初学を達成しましたが、お手引きの集いに参加するのは
はじめてでした。

 今年1月の受験勉強も、この道場の禊修行だと思って、毎日毎日、ひた
すら、勉強したことを思い出しました。今回、修行者を支援する側で参加
して思ったこと。

 修行道場というのは、修行をする場ではない。あくまで修行のやり方を
覚える場にすぎない、修行方法の習得する場にすぎないということ。

 本当の修行は、道場の外に出て、実社会に戻って行うべきものなのです。


 それでは皆様、この一年大変お世話になりありがとうございました。
残り少ない2006年ですが、残り数日を大切にして、よい新年をお迎えください。

得丸久文 @ MCC


今年行ったその他の論考・記事・発表
・ノンフィクション:
「リアル・プリンセス 地球の痛み、わが痛み」 富山で地球環境問題と
取り組んだ3年間のことを、ようやく整理しました。(私家版、未刊)

・学会発表
7月6日、日本写真測量学会学術講演会にて、口頭発表
「衛星リモートセンシングの存在理由と国家主権 ―― 宇宙平和利用原
則見直しにともなうシステム工学的検討 ――」

・雑誌記事
国際縄文学協会会報誌 「縄文」14号 荒川修作特集号に
 「平たい床こそ間違っている! ー  三鷹天命反転住宅で
    自然と共存する意識をつくるとき」
http://www.jomon.or.jp/infomain-2.html

・コラム記事:
追悼 アンナ・ポリトコフスカヤ
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181020.htm

コンサート評 植物文様
http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue61/htm/p8tokumaru.html

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180502.htm

地球浪漫 「全共闘と2・26事件」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180225.htm

地球浪漫 「はだかの起原、ほか」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180104.htm

その他の得丸コラム一覧
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-t.htm



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