2552.マクロの戦略とミクロの戦略、、力と調整



質問です。             猿マシーン   
   
 @日本はどこへすすむんですか?
日本は一体何になりたいんですか。
経済で世界支配したいんですか。
それともアジアの盟主?
はたまた世界の強国?
戦略を考えるBBSなんでオブラートに包んだ言い方はしないです。
一体何を目指してるのか白書読んでも分かりません。
講談社学術文庫とか、ちくま学芸よんでもワカラヌ。
馬鹿なオイラに教えてください・・・。

A戦略っていうけどさ・・・
さっきの@が無いと戦略なんて作りようが無いわけですが。
@を実現するためにはどんな戦略が必要なのか教えてください。
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マクロの戦略とミクロの戦略、、力と調整。 虚風老   
 
日本の戦略というまえに、少し、根源を見据えて考えてみようかの。
それは、生命が、なにをもって「生命」たるかである。

命は、動的な新陳代謝による、<継続性の希求>をもって、生命と
なしておる。
まあ、その言い方をかえれば、複製能力とか、生殖能力とか、環境
への対応とか、複雑化(進化)とかいう。

意識・無意識にかかわらず、あるいは外的な変化による淘汰・選択
されていくことにかかわらず、<継続しようという力>につきうご
かされる。これは、普通「欲」とも呼ばれておる。

しかしこれには常に「個体としての死=継続の断絶」という運命が
ある。継続の欲求の断絶が、苦の根源に横たわるっておって、それ
が様々な派生的な<欲>を生み、それが達成できないためにまた
<苦>をつくる。

個体としての死は、生命が<常に変化している外界の状況>に対応
して、基礎的な情報体を継続させる方法であったと考えられるかも
しれんの。

いわば、「情報体」の生き残り方が、生き物の戦略となる。これは
、いろいろに形を換えながら常に再現される(フラクタルのように
)わけじゃ。

ということにおいて、常に戦略とは、近しい情報体が「生き残る」
手段を模索する方法を取る(考える)ことなのである。しかし、
単純に近しい情報体だけのことを<利己的>に行っても、情報大系
(生態系)は維持されない。それどころか、偏狭な利己性は社会に
とって常に害悪であるといえるじゃろう。
社会という系は多様性のうえに相互依存関係として展開されたウエ
ッブ(織物)として存在するからであるからじゃ。
近年<環境>という言葉がキーになっているのは、生態系・循環系
という多様性の維持が自分達の<生>の基盤であり、それを破壊す
ることは、そのまま<自己の破壊>の道であることを気づくように
なったからじゃね。
これらは、マクロ的な見方じゃからじゃが、<社会>が<個人>の
生存や権利の基盤であるというのは、きちんと押えておかねばなら
ない。

同時にミクロ的にみれば、同じ狩り場において、同じ物質を取り合
うもの同士には、テリトリー(領域)の奪い合いがある。
ふつう、国益とか狭い意味での戦略という場合、<どちらが多く取
る>かに単純化されやすい。
政治の本質は、多数間における<調整>である。
その調整の決め手になる強制力を、<権力>という。
力の物理的力を暴力といい。その暴力を権力が、警察力として国家
が独占することによって、国をならしめ、(その警察権の力を正当
のモノとする為に「法」が存在する)
だから、法は<力>の正当性の根拠であり、かつ<力>の制限(制
御=恣意的な発動を止める)であるともいえる。

(法治以前には、<力>そのものが<力>の正当性であった。国際
社会は、国際法という紳士協定はあるが、完全な法治になっていな
い(警察力がない)ので、やはり<力>そのものが<力>の正当性
を決める。但しここでの「力」の種類と働きは多様な性質がある。)
軍事力を行使することによって、国家間(権力間)の最終的な調整
=自己の意思を相手に押し付けること=が行われてきた。(一応、
安保理が、その役を果たすことになっているが、大国のエゴを止め
られないことは見てのとうりである。)

この力の行使は、主に<分配>について発揮される。
つまり<分配>は、経済の特質ではなく、政治の本質なのである。
この<分配>を巡っての力関係がどうなっているのか、あるいは、
どういう<力>をどういうふうに配置すべきか、というのが<戦略
>である。

例えば、今新・自由主義者(ミクロの民間が自由に競争をやれば、
みんなうまくいくという、強者の為だけの経済神学)がやっている
のは、労働セクターから資本セクターへの富の移転、分配構造の変
化である。(俗に金持ちはますます富み、貧乏人はますます生活が
くるしくなるというやつじゃな。これを南米でやったもんじゃから
、一部の金持ちと、不在者地主のような、国外資本家の富を吸い上
げられ、自分達の生活がままならなくなったと考えたため、反米左
側の政権だらけになってしまった。まあ、貧乏人の方が人数か必ず
多くなるからの。逆に独裁権力に近い圧政者の方が、一部の権力を
押えて、利益を共有させておいた方が、利用し易いわけじゃ。)

戦略には、近視眼的に自国、自分達の取り分(権利等を含む)を
どうすればうまくいかというのを考えるというのがある。(それに
は、多数の相手があるのだから、ただ欲しいとだけ言ってもだめだ
し、奪いにいけばいいというものでもないから、何処かで、ギブア
ンドテイクや、多数間での利害の調整を考える。それには、それぞ
れの各種の<力関係を読む>ことが必要になる。
それが状況を読むじゃな。

しかし、マクロ的な視点を常に忘れてはならない。
心臓の肉を我がものにしたといっても、自分を含むみんなが死んで
しまっては元も子もない。
最終的には、社会全体が機能していて、生態系や循環系(生物的に
も社会的にも)という全体が活力を持ちながら継続していくことが
要求される。(動的定常性の維持ともいうが)
その点で、ミクロの活動(個人・企業・人間)には制限が加えられ
るべきものなのじゃ。

但し、計画経済もうまくいかないことはあきらかじゃ。
いわば、それぞれの欲の追求と、社会全体の存続という二つの焦点
<個別と全体という>を持った楕円の軌道上にあって、状況に対応
して、それらの間をスイング(揺らす)するようにしていくことな
のじゃろう。
つまり、常に不平をいう世界以外に、世界は存在しないということ
じゃな。
ユートピアや、どこかに完成やゴールは存在しないんじゃ。

人々の<生活>をみて、<苦しみ>がどこにあるか、それから常に
修正していく、その現時点での方法のが、戦略じゃといえるじゃろ
う。

まあ、利益にしろ、大国になりたいにしろ、それらは、どういった
<手段>が最適かの問題である。(経済利益がなければ、生きにく
いし、大国の方が、そりゃ国際社会では生き易いかもしれん。
しかし、根底は、人一人づつが生活をして、子供を作って次世代を
繋げていくのが目的なんじゃよ。)
それにあった世界に日本という舟が浮かんでいられるよう、日本の
舵をとり、その世界が大荒れになったり壊れてしまわないようにす
ることが、しょせん生きる道なんじゃ。

                      虚風老


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