***** 日本仏教の特徴 ***** 得丸久文 東京国際仏教塾の第19期生として、スクーリング、合宿、 課題図書などから得た体験と知識を総合して、以下に日本仏 教の特徴をまとめる。 1 非論理性・無宗教性 ・非論理性 非論理性は、漢文・サンスクリット語のまま丸暗記して読 むお経に代表される。読む側も聞く側も意味を理解できない 漢文やサンスクリット音のの読経は、日本仏教が生者への語 り掛けを無視・拒絶している象徴である。 般若心経の色即是空の「空」を、「実体がない」と理解し て、「存在するものは実体がない」、「物質には実体がない」 などというすっきりしない解釈を釈然としないまま受け入れ てそれ以上深く追求しないのも、論理的でないことの証左で ある。 (「空」は時間の最小変化量、デルタtが正しいと、私は信 じている。アンベードカル著「ブッダとそのダンマ」参照) ・無宗教性 宗教とは、ヒトが幸福になるための、ヒトが不安から解放 されるための思考法・行動のパッケージである。しかるに日 本仏教は、死者が極楽浄土に旅立つための追善供養の呪文を 唱える葬式仏教以上のものではなく、生者に生き方を提示し ない。 生者に語りかけるべきなのに怠ってきた。人生訓である法 句経を軽視・無視しており、戒律を尊重しないところは宗教 的でない。 2 親権力性・権威性 ・親権力性 主だった寺の多くが、歴代の天皇の要請によって建立され た勅願寺である。それ以外の寺も天皇の家族が建立要請した 御願寺、氏族が建立した氏寺など、貴族や時の権力者によっ て建立されている。 律令制の時代(七-十世紀)には、私度僧の増加が国力衰退 につながるとして、毎年の得度者数を国家が管理していた。 江戸時代になると、キリシタン禁教を名目として、寺請制 度が実施され、寺は幕府が民衆を管理するツールとなった。 ・権威性(イエ社会性) 江戸幕府は、全ての寺を、各宗派の本山を頂点とする階層 構造に本寺・末寺として組み入れる本末制度を導入した。 釈尊から宗派開祖を経て代々仏法が受け継がれたとする擬 制を血脈(ケチミャク)という。朝課で歴代和尚の名前を唱 えたことがあるが、まさに日本というイエ社会ならでは慣行 だ。戦前に歴代天皇の名前を暗誦したのと似ている。「天上 天下唯我独尊」とは逆の発想である。 各宗派内で、今なお分裂騒動が絶えないのは、まさにおイ エ騒動であり、仏教の思想や宗教性とはまったく無縁なこと が起きているとしか思えない。 3 現世肯定 ・ 僧侶の無戒 公然と肉食妻帯を行ったのは親鸞が初めてだったが、事実 上は他の宗派の僧侶も実践していた。明治五年に太政官布告 で肉食妻帯が許された以降は公然と行われた。禁酒も五戒の ひとつだが守られていない。 ・ 天台本覚の思想 芽が出て花が咲き実を結び枯れていく草や木の一生を、そ のまま発心・修行・菩提・涅槃の姿と受け取り、草木も成仏 するととらえる草木成仏の思想は、日本独自である。 あるがままの「具体的な現象世界をそのまま悟りの世界と して肯定する思想」は、「古代末期から中世にかけての日本 の天台宗でおおいに発展し、天台宗のみならず仏教界全体、 さらには文学・芸術にまで大きな影響をおよぼした。天台本 覚思想は、あるがままの自然をそのまま悟りとして肯定する。 しかし現世がそのまま悟りの世界であるならば、わざわざ 修行をして悟りを開く必要もないと強弁する僧侶たちの放蕩 堕落をもたらしたとして、本覚思想への批判は強い。 最後に:二十一世紀の本覚 「自然が大陸のように厳しくなく、四季折々に美しいたたず まいをみせる島国では、自然の変化はむしろ望ましいものと みられ、人間の生死の無常もその自然の変化の一部分として 受容され、肯定された。」 人間も自然の一部としてみる本覚思想は、生命進化の法則 にも合致する。人間は裸化し言語を話すサルにすぎないから だ。 地球環境問題が深刻化する二十一世紀に、本覚思想の読み 替えが求められている。 人間は生まれながらに悟っている。しかし飲酒、無益な殺 生、嘘、盗み、邪淫などの人類文明特有の悪によって、日々 悟りから遠ざかり、自分たちの存在基盤である地球環境を破 壊している。 我々は野生動物の時代の記憶を取り戻してこれ以上自然を 破壊しないためにも五戒他の戒律を守って生活すべきではな いか。 日本仏教は、本覚思想を生み出した日本人の本質直観能力 を生かして、世界の人々にわかりやすい形で、自然との付き 合いを提示していくべきではないか。 (終わり) 仲々に手厳しいご意見ですが、その通りですね・・と思います。(箕輪)