2521.江戸の失敗学



各位
 皆様は大蔵永常をご存知ですか?
 平成の畑村洋太郎ですね。(失敗学)

>
>行政は口を出さず民主導でやれ、ただし行政はマーケットリサーチ
>に精を出せと指摘する。多くの失敗の原因を「適地適作の作物でな
>いこと。領主側が早く利益をあげようとして費用をかけすぎること。
>専売制によって生産者の自由な売買を妨げていること」などをあげ
>、そして国を富ませるためにはまず、下の者(民衆)が豊かになり
>、その後で領主が利益をあげることを提唱し、「民富」の優先を主
>張した。
>
>現在、地方は特産品づくりのノウハウがほしいはずですが、このノ
>ウハウを示す大蔵農学の今日的意義は大きい。


>
>金銭をもっている商人が、自給自足の生活をしている農民に食を与
>える姿を見て、永常は農民も換金性のある作物で収入の増大をはか
>ることが必要であると痛感した。

>
>享和2年(1802)苦心の『 農家益 』3巻を刊行した。35歳の時であ
>る。為政者に副業の利を説き、ハゼの栽培や製蝋について力説した。

当時の出版には、いまもそうだが、金がかかる。
スポンサーがいたものと思われる。

                  hs
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(Fのコメント)
江戸時代は工業も商業も農家が副業で行う体制でした。百姓という
のは農家であると思われていますが、北前船の船主でもある時国家
も農業を行っていた。

そうしないと、江戸時代は評価されない。町の有力者になれない。
農本主義でしたので、商家も農業をして、藩の体制に入ろうとした。
藩は地域に庄屋を農家から選んで、庄屋に権限を与えた。このため
庄屋になると、その地域の税金などの仕事や町の管理を行う仕事が
できて、いい実入りになる。

庄屋は金持ちであり、その金持ちは何をしたかと言うと、農家から
原材料である農産品を加工する工場を作りや資本を船に投資したり
、商業を営んだりしていた。このため、庄屋が地域の金持ちになっ
ている。

この庄屋たちが、大蔵永常をサポートしたのでしょうね。


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