2505.「個の欲望の追求」ということについて



「個の欲望の追求」ということについて      S子
   
2501.社会の液状化を憂う「個の欲望の追求」という言葉に惹
かれて少しだけ私見を述べてみます。「僕らの世界」は「個の欲望
の追求」で成り立っていると言うのが真実でしょう。生きたい、死
にたい、食べたい、眠たい、綺麗になりたい、名声が欲しい等々。
誰もが皆その欲望を叶える、実現するためにこの世に生まれてきた
と言ってもいい。

ただ「個の欲望の追求」にあたって、現代はその方法がインスタン
トに合理化されてきたという見方ができるのではないか。その最短
手段、最短目的としてマネーが手っ取り早いという認識が市民権を
得ているというのが現状のように思う。

だからマネーさえあれば、マネーで懐が潤えば全ての欲望は叶えら
れるような錯覚に陥るわけ。だけど「僕らの世界」は量的世界では
なく質的世界だということでしょう。誰もが皆インスタントに合理
化された方法で「個の欲望」を充足させたところで、心の底から真
に「個の欲望」を達成させた充足感は得られるのだろうか。「僕ら
の世界」では、それぞれのカリキュラムはそれぞれにあって皆違っ
て当たり前なのに。

「個の欲望の追求」の方法まで合理化されては僕らは何のために
ここに生きているの?ということになってしまう。インスタントに
合理化された「個の欲望の追求」で、なぜ社会が混乱に陥るのかは
、経済と言うマネーに依拠している現代社会では当然の帰結でしょ
う。

「個の欲望の追求」をするにあたってのひとつの方法論として、
「僕らの世界」における調和と循環の元にそれを達成せよ、という
ことになってくると少なくとも今日のような混乱した社会には陥ら
ないように思うのですが、どうでしょう。「個の欲望」を真に充足
させないことには、例えそれがその人の生涯をかけた途方もない時
間を消費しようが、いくら他の何かに欲望を転換し誤魔化しても人
の心は最終的には誤魔化しきれないもの。

個にとって中途半端に欲望を抑え続けて行くことのほうがずっとよ
くないことだし、そんな社会はいずれ沸点に達して北朝鮮のように
爆発してしまうかもしれない。どうしたら調和と循環の元に「「個
の欲望」を叶えることができるかは、「僕らの世界」では最大にし
て重要なテーマでしょう。 
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(Fのコメント)
個の欲望を抑える思想を再度、日本は構築することが重要である。
この思想は江戸時代に確立していた。江戸時代は日本の市場経済が
確立した時期で、その裏づけとなる日本的な思想も準備されたので
すが、第2次世界大戦後、米国GHQが日本の封建主義として圧殺
した思想である。

この思想を再度、日本は教育上で復活する必要があるようだ。
鈴木正三、石田梅岩、二宮尊徳などは日本の勤労思想としても非常
に大切にしなければならない思想である。この現代化が待たれるよ
うに感じる。説明のしかたを工夫する必要があるようだ。

日本人が戦後教育で米国ナイズされて、金持ちになることしかない
考えないために、道徳の裏付けが無くなっている。これが日本病を
引き起こす原因になっている。


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