2503.江戸の思想2(報徳思想)



報徳思想は、二宮尊徳の思想である。この詳細を見よう。Fより

二宮尊徳(1787年〜1856年)は、江戸時代後期の農政家である。
その生涯を簡略に述べれば、農民の子として生まれたが、水害や両
親の死などにより、家の没落に直面する。しかしながら、厳しい労
働と自らの才覚により、自家の復興をみごとに成功させた。さらに
、その経験を活かし、武家の財政再興や村落復興にも次々に成功。
その手腕を買われて、晩年には幕府の役人に登用されるまでに出世
する。戦前は、子供時代の二宮金次郎の像が各学校にあった。それ
ほど戦前の日本政府はこの二宮尊徳の思想を普及しようとしていた。

その二宮尊徳が財政再興の思想として用いたのが報徳思想である。

報徳思想は、独学で学んだ神道、仏教、儒教などの概念を自由に組
み合わせて説いた豊かに生きるための知恵である。前回見た石門心
学の発展系をそこに見る。石門心学が商業に即した教えであるのに
対して、報徳思想は農業に即した教えであり、このため自然を理想
化していない。そこが石門心学とは大きく違う所である。
それではその報徳思想をみよう。

自然に行われるのは天道であり、人道は人為によるものである。自
然に放置すれば人道は行われない。人道を行うには人の意志が必要
であり、それに伴う勤労がいる。

人がいやしむ畜生の道は天理自然の道である。人の尊ぶ人道は、天
理に従うとはいっても、作為の道で自然ではない。

人道は人為のものであることを強く説いている。人道というものは
天然・自然の道に相対するもので、天然・自然に放置しておけば、
人の生活は成り立たない。そこで教えを立て、刑法を定め、礼法を
制して、やかましくうるさく言って、ようやく人道はたつものだ。
自然の道は永久に廃れることはないが、作為の道である人道は怠れ
ば廃れる。

人道は勤めることが尊しとして、自然にまかせるのを尊ばないのだ。
しかし、天道と人道は相和して百穀も実るのだと説く。人間は自然
にまかせておけば私利私欲に陥る。それを抑えるのが人道だ。

しかし、モラルは時代や環境で変わると相対化してみて、善悪を絶
対なものと見ないから、絶対の善人がいないと同様に絶対の悪人は
いないと考える。人には長所も短所もある。その長所を導き出して
短所を矯めるのが教化であるという。

この思想は経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく、
社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。

その実際の行動を報徳仕法と呼び、「勤労」、「分度」と「推譲」
の三原則を基本である。「勤労」は生活の基本であり自助努力の大
原則ですが、同時に知恵を働かせて労働を効率化し、社会に役立つ
成果を生み出すという自覚を重視します。

「分度」は経済的には、収入の枠内で一定の余剰を残しながら支出
を図る生活、経営の確立。計画経済の基本です。この余剰が、明日
の、来年のそして未来の生活、生産の発展と永安のための基礎資源
となります。このため、復興の対象とする家や領地の歳入歳出を
数十年分にわたり、徹底的に調査し、そこに見合った経営規模の枠
を決定することで二宮尊徳は多くの農村を復興した。

「推譲」は、分度生活の中から生み出した余剰、余力の一部を、各
人が分に応じて拠出します。これが報徳資金になり、相互扶助、公
共資本あるいは弱者、困窮者救済に宛てられ、家政再建、町村復興
、国づくりが進められます。尊徳は桜町領復興に当たり、小田原の
田畑家屋敷、家財を全て売り払い、それを仕法の資金として推譲し
ました。 

「積小為大」は小を積んで大を為す。大事をなそうと思ったら、小
さいことを怠らず勤めよ、小が積もって大となるからだちいうのだ。

尊徳は、方法論の位置づけ体系化として「一圓融合」と言い、宇宙
万物の生成発展は、太極を根源としている。この根源から諸相が生
まれるとする。

現代人の多くは経済的拡大を目指すあまり、権利意識、自己中心的
風潮を高めすぎており、「道徳を忘れた経済は罪悪である」を行な
っているといっても過言ではない。
このため、「経済を忘れた道徳は寝言である。道徳を忘れた経済は
罪悪である。」と道徳と経済一元化を説いた尊徳の思想は、今の日
本に必要な思想であると思う。

そして、尊徳のいう「一圓融合」の中での「分度」を考え、調和の
取れた「持続的発展」を維持するための行動が重要になっている。


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