時代劇風に見ると分かり易い、自民党政権。 虚風老 自民党という党は、国民政党というがごとく、精神風土が、どこか 時代性を帯びておる。 今の、安部内閣は一層それが透ける構造じゃなかろうかの。 この政権は、岸家の若様=安部信三、家老=中川秀直 側用人=官房官・補佐官グループ、小姓=山本一太、国家老グルー プ=森、先代藩主=小泉(隠居)、城代家老職の血筋、目付け=福 田といった配役か。 その中で、岸家の若(プリンス)と呼ばれたのが、先代安部(岸家 婿)で、現安部総理の母が「大奥」を仕切っているというぐあいじゃ。 今の政権は、まだ若が若葉マークなので、運営の中心は老中「中川 秀直幹事長」にあるといえるじゃろう。 これは、歴史からみれば、そのうち、「若」の実権の確立に動く「 側用人グループ」と「年寄り」グループとの権力抗争(世代間抗争 )につながりかねない要素をはらんでおる。 「若」に実権=を取らせることで、老中組みを「隠居」へ追いやり から側用人グループが権力を握り、老中職をうかがうという図式じ ゃ。中川も森の側用人だったし、小泉も福田の側用人であったとい えるじゃろう。 創価学会は徳川時代なら門徒衆にあたるかの。 家督相続や、お家取り潰し、国替えや、所領安堵、浪人、脱藩など また、大臣や政務官などは、勧請方・奉行職等の役付き 馬廻り役など、当てはめてみると、するする用語が当てはまってし まう気がするの。 日本は議会制民主主義といいながら、内実は「幕府」的統治体制な のではないかと密かに思ってしまうわい。 他派閥というのは、別藩というより、幕府の中の御三家という感じ かな交代ができるという意味で、、、。旧田中派から旧福田派へは 、紀州家筋から水戸家筋へという感じかの? 尾張(宏池会)の若(加藤)は乱=謀反のかどで閉門蟄居扱いじゃ ったしね。 で、ここも、結局旧君主の血筋(麻生)がでてきよった。(吉田= 宮沢を経て) 政権に荷担できないという意味で、野党は、外様大名衆(集団の寄 り集まり)であろうな。 まあ、黄門がいたりもするが、それは、政権に荷担していた人だか らのはなし。 こうしてみると、自民党内での政権奪取の争いは「お家騒動」に近 い感覚が如実にあるわね。小泉が時代劇が好きなのもよくわかるわ いな。日本の抗争の本質は、おそらく変わっておらんのじゃろう。 「血筋」が関係する企業などでも良くある話じゃなかろうか? 今は、中川幹事長の動静を見ているのが、一番舵取りが解かる手だ てじゃろう。 そこに官邸を擁した、塩崎等のグループが、自分達の意見政策趣旨 をどう反映させていくかという力関係になっていうじゃろうな。 政界の寝業師といわれる中川は相当タフじゃ。 彼等にちょんまげ、上下を着せて想像すると、 下手な時代劇ストーリーより面白い世界かな。 本当に「殿、一大事でござる」とかいってそうじゃないか。 虚風老 ============================== 自己防衛・低負担国家をめざす とら丸 現在の行政思想は戦後回復と経済成長時に有効な官指導・高負担政 策である。 しかし景気低迷や後退局面では、官指導・高高負担となり、少子 高齢化要因となり更に官指導・高高高負担となる。 一方、自己防衛・低負担の考え方はどうか。 これだと、金が金を生む虚構の景気拡大はない。子供つくりは自己 防衛の基本であるので、景気低迷は少子高齢化要因にはならないし 、高齢化問題や、子供の教育問題も生じない。ただ役人が困るだけ である。 役人天国、すなわち国民不在のわが国では、自己防衛・低負担社 会への転換は難しい。従い将来を予測すると、官指導・国家破産に 至る。 官指導に問題がある。正確に言えばエリート官僚による生活感を 無視した国家指導である。役人も大半の人はこのような矛盾を感じ ているのではないか。役場などでは生活感が溢れている。 近年の町村合併は、官指導・高負担化を加速することになる。野 球で言えば、内野(国)が弱体化したので、外野選手を前進守備に シフトするようなものだ。内野守備は楽になるが外野はがら空きと なり試合に負ける。試合に負けるより、内野守備のほうが大切と考 えている。そもそも試合を認識していない。 国民は自分の頭で物事を考える必要がある。そうすると社会のお かしな部分が数多く見えてくる。官指導・高高高・・・負担のブラ ックホールになるまえに、一人一人がまず政治を変えて、社会を安 定化させる方に向かう必要がある。 急激な方向転換はだめである。段階的に改革し、一部を壊して、 一部を新しく作る。そして数十年後には、自己防衛・低負担社会を 目指す。まず政治を変えること。 ============================== 教育 とら丸 教育とはレンガ造りのようなものだ。土を練って長方形に企画ど おりに焼き上げる。大人レンガは複製機能があり、同じレンガを再 生しようとする。子供は変幻自在の粘土で、幼児期まではどんな型 枠にも適応する。おそらく犬にもなれるし、熊にもなれるだあろう。 自我が芽生えると、粘土は固結し、いったん固結すると、基本形 状はもう変わらない。学校はレンガを磨き、製品としての品質を高 め場所だ。基本形状を無理やり変えることはできない。 すなわち、粘土を作るのは男と女だが、レンガを作るのは親と宗 教で、レンガを磨くのが学校と社会だ。