2500.時代劇風に見ると分かり易い、自民党政権



時代劇風に見ると分かり易い、自民党政権。 虚風老    

自民党という党は、国民政党というがごとく、精神風土が、どこか
時代性を帯びておる。

今の、安部内閣は一層それが透ける構造じゃなかろうかの。

この政権は、岸家の若様=安部信三、家老=中川秀直
側用人=官房官・補佐官グループ、小姓=山本一太、国家老グルー
プ=森、先代藩主=小泉(隠居)、城代家老職の血筋、目付け=福
田といった配役か。

その中で、岸家の若(プリンス)と呼ばれたのが、先代安部(岸家
婿)で、現安部総理の母が「大奥」を仕切っているというぐあいじゃ。

今の政権は、まだ若が若葉マークなので、運営の中心は老中「中川
秀直幹事長」にあるといえるじゃろう。
これは、歴史からみれば、そのうち、「若」の実権の確立に動く「
側用人グループ」と「年寄り」グループとの権力抗争(世代間抗争
)につながりかねない要素をはらんでおる。
「若」に実権=を取らせることで、老中組みを「隠居」へ追いやり
から側用人グループが権力を握り、老中職をうかがうという図式じ
ゃ。中川も森の側用人だったし、小泉も福田の側用人であったとい
えるじゃろう。

創価学会は徳川時代なら門徒衆にあたるかの。

家督相続や、お家取り潰し、国替えや、所領安堵、浪人、脱藩など
また、大臣や政務官などは、勧請方・奉行職等の役付き
馬廻り役など、当てはめてみると、するする用語が当てはまってし
まう気がするの。

日本は議会制民主主義といいながら、内実は「幕府」的統治体制な
のではないかと密かに思ってしまうわい。

他派閥というのは、別藩というより、幕府の中の御三家という感じ
かな交代ができるという意味で、、、。旧田中派から旧福田派へは
、紀州家筋から水戸家筋へという感じかの?
尾張(宏池会)の若(加藤)は乱=謀反のかどで閉門蟄居扱いじゃ
ったしね。
で、ここも、結局旧君主の血筋(麻生)がでてきよった。(吉田=
宮沢を経て)

政権に荷担できないという意味で、野党は、外様大名衆(集団の寄
り集まり)であろうな。
まあ、黄門がいたりもするが、それは、政権に荷担していた人だか
らのはなし。

こうしてみると、自民党内での政権奪取の争いは「お家騒動」に近
い感覚が如実にあるわね。小泉が時代劇が好きなのもよくわかるわ
いな。日本の抗争の本質は、おそらく変わっておらんのじゃろう。
「血筋」が関係する企業などでも良くある話じゃなかろうか?

今は、中川幹事長の動静を見ているのが、一番舵取りが解かる手だ
てじゃろう。
そこに官邸を擁した、塩崎等のグループが、自分達の意見政策趣旨
をどう反映させていくかという力関係になっていうじゃろうな。
政界の寝業師といわれる中川は相当タフじゃ。

彼等にちょんまげ、上下を着せて想像すると、
下手な時代劇ストーリーより面白い世界かな。
本当に「殿、一大事でござる」とかいってそうじゃないか。
                        虚風老
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自己防衛・低負担国家をめざす とら丸  

現在の行政思想は戦後回復と経済成長時に有効な官指導・高負担政
策である。

 しかし景気低迷や後退局面では、官指導・高高負担となり、少子
高齢化要因となり更に官指導・高高高負担となる。

 一方、自己防衛・低負担の考え方はどうか。
これだと、金が金を生む虚構の景気拡大はない。子供つくりは自己
防衛の基本であるので、景気低迷は少子高齢化要因にはならないし
、高齢化問題や、子供の教育問題も生じない。ただ役人が困るだけ
である。

 役人天国、すなわち国民不在のわが国では、自己防衛・低負担社
会への転換は難しい。従い将来を予測すると、官指導・国家破産に
至る。

 官指導に問題がある。正確に言えばエリート官僚による生活感を
無視した国家指導である。役人も大半の人はこのような矛盾を感じ
ているのではないか。役場などでは生活感が溢れている。

 近年の町村合併は、官指導・高負担化を加速することになる。野
球で言えば、内野(国)が弱体化したので、外野選手を前進守備に
シフトするようなものだ。内野守備は楽になるが外野はがら空きと
なり試合に負ける。試合に負けるより、内野守備のほうが大切と考
えている。そもそも試合を認識していない。

 国民は自分の頭で物事を考える必要がある。そうすると社会のお
かしな部分が数多く見えてくる。官指導・高高高・・・負担のブラ
ックホールになるまえに、一人一人がまず政治を変えて、社会を安
定化させる方に向かう必要がある。

 急激な方向転換はだめである。段階的に改革し、一部を壊して、
一部を新しく作る。そして数十年後には、自己防衛・低負担社会を
目指す。まず政治を変えること。 
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             教育        とら丸

  教育とはレンガ造りのようなものだ。土を練って長方形に企画ど
おりに焼き上げる。大人レンガは複製機能があり、同じレンガを再
生しようとする。子供は変幻自在の粘土で、幼児期まではどんな型
枠にも適応する。おそらく犬にもなれるし、熊にもなれるだあろう。

 自我が芽生えると、粘土は固結し、いったん固結すると、基本形
状はもう変わらない。学校はレンガを磨き、製品としての品質を高
め場所だ。基本形状を無理やり変えることはできない。

 すなわち、粘土を作るのは男と女だが、レンガを作るのは親と宗
教で、レンガを磨くのが学校と社会だ。 


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