2496.江戸の思想1(石門心学)



江戸時代の代表的な思想は、儒教(朱子学)、国学、石門心学、蘭
学でしょうね。この思想を見てみたい。   Fより

石門心学が一番、現在に影響を与えている。日本の資本主義精神の
基礎は、この石田梅岩の思想である。欧米の資本主義の精神がプロ
テスタント教の精神が基礎にあるのと同じような状態にある。

このため、欧米資本主義と日本の資本主義は、その基礎のレベルで
違うことになる。日本は契約より話し合いをベースにした社会であ
り、企業と言う共同体の一員としての雇用のために、終身雇用が定
着している。

そして、その精神的な部分は、石門心学によっている。その石田梅
岩の思想の基礎は江戸初期の鈴木正三の思想である。
正三の思想は、「仏法則世法」で生活の業を立派な行為と考え、心
がけ次第で労働をそのまま仏行となしうるとした。農業則仏行なり
となる。農業を修行と考えて行動することを求める。商人の利益も
否定しないで、正直の道にいれば修行である。人に奉仕した結果が
利潤を生むことはいいことになる。

この鈴木正三の思想を発展させたのが、石田梅岩の石門心学である。
正三が宗教家として説いた修行方法を、梅岩は非宗教家である思想
家として思想に置き換えた。役に立つ物は真理であるので、古来の
思想のいい部分を使って証明しようとする。その根本は「本心」の
存在においている。「本心の学」から心学となった。梅岩の基本も
正直であり、「本心」に対して正直であれの意味になる。

これに比べると、聖書には「本心」は登場しない。梅岩は「本心」
とは何かを問い詰める。「本心」は自然である。自分の中に天然自
然があり、それが「本心」を構成していると見る。このため、日本
では「不自然」という言い方が、批判になる。

「心」すなわち内心の秩序と、宇宙すなわち天然自然の秩序は同一
であり、この2つをつないでいるのが「形」であり、「形」に従っ
ているのが自然であるように、人と社会をつなぐのが「形」であっ
て、この「形」に従っているのが自然であり、それに従うのが「道
」であり、その基本をきわめたものが聖人ということになるのであ
ると。

世俗の業務に宗教的な意義を感じ、すべてを度外視して専念し、人
間の倫理=道と考えて、これを実行し良心を満足させ、さらに倹約
しているなら、資本が蓄積して、その結果として利潤が世界最高に
なってしまうのも不思議ではない。

そして、梅岩は倹約を説く。その基本は「自制」であり、それが社
会秩序の基礎と考えている。

以上、現在の日本の資本主義は、その精神が梅岩の石門心学の思想
でできている。それを変えようとしても無理で、この石門心学にあ
る精神で日本流の資本主義を営むしかない。それと日本の心学を徹
底した方が、日本人には分かりやすい。欧米の資本主義思想を持ち
込んでも、言葉だけが流行して、その後は廃れることになる。

CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)
を梅岩は説いている。「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死する
やうなこと多かるべし」「実の商人は、先も立、我も立つことを思
うなり」と、実にシンプルな言葉でCSRの本質的な精神を表現した
石田梅岩の思想は、近江商人の「三方よし」の思想と並んで、「日
本のCSRの原点」として脚光を浴びている。

二宮尊徳は日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕
法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家であるが、
その二宮金次郎にも多大な影響を与えている。日本の倫理的な資本
思想は鈴木正三、石田梅岩が築いたのです。

根本に日本人としての神道的な思想が染み込んでいる。この観点を
戦後、封建主義として捨てているが、その復興が必要な気がする。
そうしないと、今後もライブドア事件や構造計算偽造事件が起こる
でしょうね。
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日本の私塾一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の私塾一覧では、江戸時代半ばから幕末にかけて、当時の教育
の一翼を担った代表的な私塾の一覧を提供する。江戸時代の教育水
準は国際的にみても高かったと考えられ、武士はもちろん、商人や
農民の間にも読み書きなどを学ぼうとする教育への関心が高かった。
僧侶や浪人らが子どもに読み書きそろばんを教える寺子屋から、名
の通った学者が指導し人材を輩出した著名な塾まで、さまざまな私
塾が存在していた。さらに幕末に近くなると蘭学塾、兵学塾、医学
塾など多様な学問の私塾も見られるようになった。塾として教育を
行った期間は短いが後代に大きな影響を残したものや、また明治以
降も、近代教育制度の中にその伝統が続いていったものなどがある。

・漢学塾 
護園塾(江戸) - 荻生徂徠 
心学講舎(江戸) - 石田梅岩 
藤樹書院(滋賀県・青柳) - 中江藤樹 
明倫舎(京都) - 手島堵庵 
古義堂(京都) - 伊藤仁斎・伊藤東涯 
懐徳堂(大阪) - 中井甃庵・中井竹山ほか 
洗心洞(大阪) - 大塩平八郎 
黄葉夕陽村舎(広島県・福山) - 菅茶山
(黄葉夕陽村舎はのちの郷学 廉塾の前身) 
青谿書院(兵庫県・宿南) - 池田草庵 
松下村塾(山口県・萩) - 吉田松陰・玉木文之進 
咸宜園(大分県・日田、大坂、江戸) - 広瀬淡窓・広瀬旭荘 

・主な心学講舎
京都:五楽舎、修正舎、時習舎、明倫舎、恭敬舎 
大坂:明誠舎 
江戸:参前舎 

・西洋医学の塾 
鳴滝塾(長崎県・長崎) - シーボルト 

・蘭学塾 
芝蘭堂(江戸) - 大槻玄沢 
適塾(大阪) - 緒方洪庵 
天真楼(江戸)- 杉田玄白 

・書塾 
楽群堂(江戸) - 亀田鵬斎 
蕭遠堂 (江戸)- 巻菱湖 
小山林堂 (江戸)- 市河米庵 
須静堂(京都) - 貫名菘翁 

・画塾 
写山楼 (江戸)- 谷文晁 
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実心実学の発見−いま甦る江戸期の思想
From: gesell

日本・東アジア実学研究会さんから、小川晴久編著、
『実心実学の発見−いま甦る江戸期の思想』、論創社刊

目次

序論 実心実学とは何か、その視点 小川晴久
*
貝原益軒の『楽訓』の世界/自然と読書
−−二つの楽しみの源泉  小川晴久
熊沢蕃山の”民衆的儒学”と”生態学的文明論”  荻生茂博
宮崎安貞−−孤高の農哲学者−−  黄用性
石田梅岩−−心学の本質−−  山崎益吉
安藤昌益−−収奪の世から自然の世へ  古藤友子
三浦梅園−−天地の人と天地の道−−  小川晴久
山片蟠桃−−上方町人の無神論的合理主義−−  別所興一
大蔵永常における自立経済  森野榮一
二宮尊徳−−人道としての至誠実行の学  古藤友子
渡辺崋山−−徳治主義と”世界普遍の道理”の自覚  別所興一
横井小楠の実学  山崎益吉
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殿様は細かいのが好き
2006/08/22
松田 千穂=日経ものづくり
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20060822/120355/
 テレビの時代劇などで,あれ?という場面に出くわすことがあり
ませんか? (そもそも時代劇を見ないという方も多そうですが)
言葉使いだったり所作だったり,その気になって見ると,けっこう
引っかかるところはあるものです。筆者は最近,裃(かみしも)が
気になります。柄が大きすぎる。あれは,テレビ映りを考慮しての
ことでしょうね。本物を博物館で見たことがありますが,ガラスケ
ースを隔てて1mも離れれば,無地にしか見えません。 

 裃。これは,大名などが江戸城に参上する際に身に着けた礼装で
す。江戸城には各地の大名が集まります。どこの大名も自分の領地
をアピールしたいわけで,その手段として選ばれたのが,裃でした。
それなら悪代官のようにもっと金銀で豪華にすればよさそうなもの
ですが,1683(天和3,5代将軍綱吉就任の3年後)年に出された奢
侈(しゃし)禁止令により,そういうわけにもいきません。大名た
ちは,どうやって自分(の藩)をアピールしようかと考え,その結
果,文様は細かくなっていったのです。「うちの藩には,これだけ
細かい文様を染める技術がある」。 

 ----と,ものづくりのブログには甚だふさわしくない話を書いて
しまったのは,昨日,伊勢型紙の重要無形文化財保持者であった中
村勇二郎(1902-1985)氏に関する講演を聴き,さらには氏の作品を
目の当たりにしたからです。前回のこの欄で書いた「伝統工芸は技
術の蓄積」ということを実感できました。 

 伊勢型紙は,上記の裃の細かさを支えるもの。和紙(美濃紙が多
い)を数枚重ねて柿渋で補強し,そこに細い彫刻刀で文様を刻んで
作ります。延暦年間(728-805年)に始まったともいわれ,江戸時代
,紀州藩の庇護を受けて発展しました。幾つか技法があるのですが
,中村氏は,道具彫りの技術において,重要無形文化財保持者(い
わゆる人間国宝)の指定を受けました。 

 自ら鋼を切って文様の形にし,彫刻刀を作り,1枚の型紙の中に数
十万ともいわれる点を刻み,文様を描き出す。一つの柄の中にも数
十本の彫刻刀を使う。中村氏の場合は,生涯で数千本の彫刻刀を使
った。晩年になって視力が著しく低下しても細かな文様を彫れた
・・・。壮絶な世界を想像させます。 

 そして「これがその型紙です」と目の前に氏の作品が広げられま
したが,これがただの茶色の紙。驚く準備は万端だったのに,どう
反応すればよいのやら。
しかし,それをライトに透かしてみると・・・無数の穴があいてい
るのです。それが並び,文様を形作っているのが何となく分かりま
す。これは尋常な技ではありません。 

 最近,古い型紙を使ったインテリアを見かけますが,あれは,型
紙自体の意匠性や風合いを利用したもの。それに対して拝見した中
村氏の型紙は,それ自体は決して美しいとは言い難い。ところが,
これを高い技術のある染め屋さんが染めると,たいへん見事な反物
が出来上がります。それが面白いところ。 

 その型紙を作るための和紙も,砂利が混入しないように,通常と
は違う製法で漉くのだとか。最適な紙があって,専用の彫刻刀があ
って,それを使って彫った型紙がある。製品を完成させるための要
素の一部分を目にできたことは,とても喜ばしいことと感じました。 


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